雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

明石球場、夏の予選で。

2008-07-01 04:40:09 | スポーツ
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夏の甲子園を目指して県の予選が始まった。
今年は90年の記念大会で兵庫県は東西に分かれての予選である。

ずっと旧い話だが、昭和25年夏、甲子園に出場した。
どの新聞にも『名門明石』と書いて貰った。
そんなに甲子園の常連校でもなかったのに、そのように呼んでくれたのは、
昭和8年夏球史に残る『中京ー明石の25回戦』の激闘のお陰である。

昭和8年と言えば、私が生まれた年である。
明石の現役の頃、既に投手の楠本、中田さんは戦争で亡くなっておられたが、
1年生の頃は、25回戦を戦った横内さんや後、峰本さんには監督もして頂いた。
25回戦時代の野球部長の竹山九一先生にはずっと精神的な薫陶を頂いた。

常に『25回戦の伝統』を背負った野球部生活で、技術よりは精神的な面で鍛えられたと思っている。

そんな先輩たちも、みんな亡くなって嘉藤栄吉さんお一人が元気で頑張っておられたのだが、その嘉藤さんも亡くなられて昨日明石で葬儀だったのである。

嘉藤さんは生前、内外ゴムでトップボールの開発なども担当されていて、明石のOBたちが集まって寄せ集めのチームを造ったりしていたのだが、兵庫県では結構強かった。その頃からずっとお世話になった。

温厚な嘉藤さんは
『私は25回戦の話は辛いんですよ。25回、私のセカンドからの悪投でーー』と言われていたのを思い出す。
2年ほど前、母校で講演をされたときお会いしたのが最後となった。



たまたま、昨日は母校明石が三木との一回戦が明石球場であったのである。

最近は、母校の応援など行ったこともないのだが、
嘉藤さんが、『たまには、母校の応援でもしてやれよ』とそれにあわせて亡くなられたのではないかと思った。

葬儀には、明石の市長さんや、明石のOBたちも大勢顔を見せていた。
久しぶりの顔も多かったし、同期の連中にも会えたりした。



葬儀の後、本当に久しぶりで明石球場に明石ー三木の対戦を見に行った。
予選の熱気を肌で感じて、何となく若返った感じでもあった。

この球場を訪れることが、嘉藤さんの供養のような気もした。
試合は4-2で明石が勝った。

こんなところに来るといろんな人に会ったりする。
この写真は、明石側ではなくて、三木の応援席からである。
写真もいっぱい撮ってきた。

三木高校の野球部の第1期生の岩田琢磨君(現在は岩脇琢磨)は私と同期で大學での球友である。彼が来ているのではないかと三木の応援席を訪ねたのである。
彼と一緒に並んで見ていた。大學時代、二人ともこの球場でよく練習をしたことがある。

丁度15年前、兵庫の野球OBを集めてチームを造り、大阪、京都のチームと試合をしたことがあるのだが、彼はその兵庫チームのメンバーでもあった。
その兵庫チームの監督をされたのが、当時75歳の嘉藤栄吉さんだったのである。
岩田が試合中そんな話をしていた。『あの頃はお元気だったのに』

私も岩田も今、75歳である。


嘉藤さんいろいろ有難うございました。安らかにお眠り下さい。


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コメント (2)
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