雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

思い出の場所

2008-07-22 10:49:10 | カワサキ単車の昔話
昨日、カワサキマイスターの恒例夏祭りがあって出かけてきた。

立派なイベントに仕上がっていたし、その内容もバイクの安全運転の要素が随所に盛り込まれていて、非常によかった。
excite と ひょこむ にその様子と感想などアップした。





gooでは、ちょっと観点を変えて、昨日このイベントを実施したカワサキライデングスクール近辺の場所についての昔話に触れてみたい。
カワサキの関係者でもこの経緯をご存知の方は少ないはずである。


ご存知の通り、正門横の2号線に面した1等地である。今はショールームなど整備されて非常にきれいである。
然し、昔はそうでもなかったのである。

今の安全運転コースの場所は、クルマで通勤する従業員の駐車場で確か舗装もされていなかった。


今のような形に長い年月を経て変貌してゆくのだが、何となく関係があったのである。


まず、1980年ごろ私は国内を担当していた。
国内市場でホンダさんを中心に安全運転活動が活発になりかけたころである。
中大型車の対策も暴走族問題などもあって注目されだした。
『中大型車はカワサキさんですよ』と業界でよく言われたものだが、
当時、カワサキの安全運転に関しては、ただただメグロ出身のベテランの秋元さん一人の人力と知識にひとえに頼っていた時代だったのである。
各社に安全運転普及本部が設置されカワサキは前田浩さんが本部長になられた。


事業部の副事業部長でもあった前田さんに、安全運転コースの設置をと耳打ちしたのは私である。
『どこに造る?』とおっしゃるので『門の横の駐車場』と答えた。

これは簡単なようで難しいのである。特に勤労や組合が絡む問題は、普通一般の人が普通にやってもとても実現出きる話ではない。
前田さんが安全運転本部長になられた機会に、何とか強引にトップダウンで動いて貰ったのである。
通勤自動車の駐車場は工場のど真ん中の3研南の空き地に移動したのである。
そして、正門横に安全運転コースを造って、
『一般社会の人の安全運転にも提供する』というコンセプトにしたのである。
そのコンセプト通りに、外から自由に出入りできるようになっている。


そんな経緯で、あの安全コースが出来たのである。
前田さんが居られなかったら、あのコースは出来ていなかったかも知れないと思ったりする。


二度目にあのあたりが改修されたのは、大庭本部長の時である。大庭さんはカワサキオートバイ販売の社長も兼務されていた。
大庭さんは、この社長の職責がお気に入りで熱心であった。そのころ事務所はちょっと離れた玉津にあったのだが、本社だけでも近くに置きたいとこのあたり一帯が候補に上がったのである。
これも普通なら難しい話であった。労働組合の事務所などがあったのである。
この移動などは簡単なようで難しいと思っていたら、大庭さん流でいとも簡単に中央突破で出来てしまったのである。

今のショールームつきのカワサキオートバイ販売の本社社屋が建って、ほぼ現状のような形態に綺麗に生まれ変わったのである。
1985年前後のことである。

私は国内は離れていたが、企画にいて大庭さんのすぐ近くにいたので、よく経緯が解っていたのである。



さらに、この安全コースを使って二輪専門の自動車学校を造ろうと動いたのは、1995年ちょうど10年後の話である。
これは阪神ライデングスクールの有馬さんに手伝って貰って、直接担当したのは私である。
この許認可は33人一般の生徒を試験場に送り込んで、2人滑ったらダメというほんとに難しい関門をくぐって許認可を受けたのである。

一般の受験希望者を指導して、その人たちに受験させるのである。
今大分で言われている様なことは一切なしである。飛び込みで受けに来た人たちと一緒の受験である。
何とか1年でクリアして、私は初代の設置者(校長先生のようなもの)になったのである。


昨日は、そんな思い出いっぱいの場所での、マイスターのイベントであった。
懐かしい人にもいっぱい会えたし、この場所についてこんなことを書いてみる気にもなった。
前田さんも、大庭さんにもお世話になったが、もう故人になってしまわれた。
そんな方たちのお陰で、
当初のコンセプト通りに、一般の人々にも解放された場所として機能しているのである。



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60おじさん今トップです

2008-07-22 04:49:30 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
これは『ひょこむ』に書いたブログの転記である。
半ば遊びもみたいなものだが、半ば本気である。

いろんな面白い話題や、ちゃんとした知識はみんなに情報提供すべきだと思っている。
元全日本モトクロスチャンピオン、60おじさん、山本隆君のことバイクに関する知識の豊富さは、そのライデングテクニックとともに、半端なレベルではないと思っているのである。




60おじさんとは長年の付き合いである。
昔はモトクロスの日本チャンピオンで、その道では有名選手であった。

2年ほど前まで、20年近くご無沙汰だったのだが、ブログのお陰でお付き合いが復活した。
三木のON ANY SANDAも、今年の4月にやった『どこ竹の竹とんぼ教室』も、
60おじさんが居なかったら私にとっては出会うことの出来なかったイベントだったかも知れない。


今年のON ANY SANDA でトップを走る山本隆君、63才になっても崩れないライデンフォームは流石です。

最近は、「ひょこむのごまどうふさん」からオフロード教室をというご希望もあって、この秋には、「60おじさんのオフロード教室」が実現するかも知れない。
シリーズでやれたらいいなと、密かに思っている。

もう40年も前だが、まだ山本隆が現役ぱりぱりのころ、東北のどこかのの県警に頼まれて白バイ隊員の技能講習をやったことがある。
講義と実技の半日ほどの講習だったが大好評で県警内で話題になって、東北6県の白バイ隊の講習をシリーズでやったのを思い出す。
信じられないかも知れぬが、そのころの白バイのほとんどは、カワサキだったのである。カワサキと言ってもメグロだが。



そんな60おじさんだが、何がそんなに忙しいのか、ブログのほうはさっぱりである。
何ヶ月に一度ぐらいしか更新しないのである。
然し更新したらその内容は、確かなのである。

せっかく山ほど知識も話題も持っているのに惜しいと思って先日勝手に、
『にほんブログ村にジョインしてみませんか?トップ10以内は保証します』と仕掛けてみた。
見事引っかかったのである。

『にほんブログ村』というのがある。
『小学校の徒競走』というテーマでブログを書いたりしたが、カテゴリーがいっぱいなのですぐ1位が狙えるのである。
私などと違ってかっては、レースで順位に生活を賭けていたプロだから1位とかベスト3には、関心があるのではと思ったのである。


それが今朝見たら1位にいる。トップである。
これはブログのバナーをクリックした数を1週間の移動値数で争っているのだが、いまの週間移動値数は350である。
350というのはゼロをひとつ加えてあるので実質35である。
1週かに延べ35人の人がクリックしてくれたということである。
1日に5人、本人のクリックも有効だから4人ということになる。

今、私とカバン屋さんが毎日クリックしているから、あとどなたか2人ほどの方が押しているというレベルの遊びなのである。

(ゼッケンは60おじさんにちなんで060である)

60おじさんのカテゴリーは『バイクモータースポーツ』である。
彼の得意、本職の分野だし、彼のモータースポーツ知識は、仕舞っておかないで広く公開して欲しいと正直、思っているのである。

ちなみに、もうひとつ上のランクの『バイクブログ』のトップは
あの『バイクヌポーツ』が入っている。
『スポーツ』ではなく『ヌポーツ』である。
私のgooのブログのアクセスが一挙に増えた最初のきっかけは、ここにリンクして貰ったことである。
一挙に100ほど増えてびっくりしたのを覚えている。

ON ANY SANDAの『ヴィンテージな走り、荒井市次、山本隆』という私のブログもリンクしてくれたりしたのである。


これは60おじさんもブログから借りてきた写真である。名選手荒井市次の生涯最後のレースだったのかも知れない。


そんなダートヌポーツが1位だから、それに続いて山本隆のブログが2位に続くなら、これはまたかっこいいと勝手に思って、半ばお願いでこのブログ書いている。

今回はこの原稿、私の主力ブログgooにも、最近ずっと続けているmixiのカワサキにテーマを絞ったブログにもアップしてみます。

このブログの『バイクモータースポーツ』のバナーを是非クリックしてみてください

60おじさんも、1ヶ月単位でなくせめて1週間単位でブログ更新お願いします。








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