雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

長寿社会と言うが・・・

2011-09-13 05:45:52 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★子どもの頃の、小学校の6年間はホントに長かったように思う。

中学校も、高校も、大学もそれなりに長かった。

歳をとるとともに1年が短くなるように思えてならない。

今年も早や、半分経ったと思ったのが、ついこの間であったし、お盆だと思っていたらもうお彼岸になろうとしている。

こんな調子で行ったら、すぐ80になり、そのうち人生終りである。

 

★とそんなことを書いているだけ、元気なのかも知れない。

最近は、自分より年下の方が、亡くなるのが、普通になってきたような気もする。

50代、60代の頃は、自分より若い方が亡くなると、それは普通のことではないとほんとにそう思っていたのだが、最近はそう言う感じを持たなくなってしまった。

特に、会社の方で、特に関係がなくても、面識があった方が、だんだんとこの世を去られる。

ある程度は、知っていた方だけに、あの人の人生は? などと思ってしまうのである。

 

★こんなことを思うようになったのは、やはりこの数年のことである。

若いころから、一緒にいろんな想い出を共有していた野球部の仲間たちが、数人続けて亡くなったのである。

その人たちの人生の一部は、私も一緒に、共有していたようなところもある。

平たく言えば、世のなかの『親友』と言うやつである。

『親友』と言える人の数が極端に減ってしまって、最近新しくお付き合いが始まる方は、滅法若い方が多いのである。

とても『親友』にはなれぬが、若さは大いに頂いている。

 

★こんな年になっても、口では『もう何年生きれるか解らない』と言いながら、『来年死ぬ』などとは決して思ってはいないのである。

私の母は今102歳である。100歳くらいまではホントに元気であったが、この2年ぐらいですっかり衰えた。

それでも、他の方に比べたら元気だが、何のために生きているのだろうか? と自分でも思うようである。

『もう早く死にたい』が口癖になってきた。

 

市から敬老の日のお祝いを頂いた。100歳以上には毎年出るようである。それも5万円の大金である。

母は、今特別養老施設に入っている。 全ての面倒を施設でお願いをしている。

5万円のお祝い金を頂いても、本音で言って『母のために』使う術がないのである。

これは多分、私の小遣いになってしまう。

『そんなこと』、と仰るかも知れぬが、具体的に使う術はあまり思い浮かばないのである。

本人はお金が要らない生活になってしまっている。

 

★長寿社会は確かにめでたいが、自分の意思で、自分で何でも出来る状態での長寿でなければならないと思う。

病院で、管をいっぱいつけて栄養剤を投入したりして、生きているというより『生かされている』のは、考えものである。

病院の経営にだけ役だっているのでは、と言えば不謹慎かも知れぬが、そんな気がする。

 

お陰さまで、私自身も家内も、結構元気だが、自分で何も出来ぬようになったら、生きながらえるのではなくて死んだ方がましだが、それがまた自由にはならないのである。

いずれにしても運命とか、寿命を大事にしたいものである。

 

訳の解らぬようなことを書いたが、

今机の上に、特別養老施設に受け取りを書いて頂いてきた敬老の日のお祝い5万円が置いてある。

なかなか想いは複雑である。そんなことでこのブログを書いている。

母には寿命の中で、長生きして欲しいと思っている。

多分、私の財布にその5万円は収まるのだろう。

 

★この施設には、100歳以上の方が5人くらいおられる。それは全部本人ではなく家族に渡されるようである。

市は、財政悪化で従来は、もう少し若い年寄りにもお祝い金を渡していたのだが、この頃それは廃止になった。

そんな人たちは、例え5000円でも、貰えたら喜ぶのにと思ったりもする。

と言って財源の総額の問題もあって難しいのだろう。

 

貰っておいて、文句を言っているようで恐縮だが・・・・複雑である。

 

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