雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

子どもの育て方 雑感

2016-03-20 08:11:39 | 私の生き方、考え方&意見

 ★大阪の鶴見区の中学校の寺井寿男校長先生

子供は二人以上

これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります』 という訓示に大きな反響があったようである。

 

マスコミのテレビなどでの評論家の意見などを聞いていると、その殆どが批判的な発言で、そんな思想の人ばかりを集めているのかなと思ったりした。

いろんな意見があることは別に問題はないのだが、『こんなまともな発言』を肯定する評論家が一人もいないでは、テレビは偏っていると言われても仕方がないと思ったのである。

 

 新聞に載っていた発言の紹介である。言われていることは『極めてまとも』なことだと思う。

 

今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを2人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。

なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。

 「女性が、こどもを2人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それほど価値のあることなのです。

 もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。

 次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。

 人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。

 子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。

 やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。

 

今朝の朝日新聞はこの問題を特集していたが、勿論反対意見もあるのだが、『賛成意見も多数』と書いていた。

私は勿論賛成だし、私の周りの人たちは、この問題に対して殆どの人が『賛成、肯定』の立場なのである。

ごく最近『保育園つくれよ』というブログが国会で取り上げられたりもした。 

いずれも、子どもを産み如何に子供を育てるかという問題なのである。

人間社会が続いてきた『原点』みたいな問題である。

 

 

★ 当たり前の話だが、人間社会は男性と女性で成り立っている。

男女同権でない時代や、世界があったりはしたが、今は当然のことながら『男女同権』の方向なのである。

『男女同権』と男と女は同じだということは『ちょっと違う』と思っている。

男の得意とする分野と、『女にしか出来ない分野』がある。

『子供を産む』ということは、女性にしか出来ない『女性の特権』なのである。

子供を育てる』ということも、特に『幼児を育てる女性のやり方』を見ていると、これは男性にはとても真似のできない独特なものを持っている。男性は子育てを手伝うことは出来ても、女性と同じようにすることは『できない』と言いきれるそんな女性独特のものを、本来持っているのだと思っている。

 

そう言う意味では『社会での仕事』など、男性でも女性でも、出来ることだからこの分野に女性が進出することは結構なことで、これを止めて『子育てに専念』などとは言うつもりもないが、特に『幼児時代の子育て』については、女性にとって社会の仕事以上に『価値のある大仕事』であると私は思っている。

いま『保育所つくれ』と叫ばれている時代に、敢えてこんなことを言うと問題であることを百も承知で言うならば、『保育所での子育て』と『母親の子育て』では、『子供にとって全然違う質』のものではなかろうか?

専門家でもないのでよく解らぬが、私はこの時期『母親が育ててこそ、ホントにいい子が育つ』ような気がしてならないのである。 保育所は専門家が育てるのだが『所詮はよそのおばさん』なのである。

 

すべての女性にそうすべきだなどと言うつもりはない。

然し、今の時代にも確りと子育てに専念している母親を、何人も知っている。

女親だけが出来る』そんな子育ては、『女性にとって大事業』なのである。

寺井校長先生は、そう言うことを正直に云いたかっただけのことなのだろう。

教育者らしい、私は小学校時代の先生方を思いだしたのである。先生は、『職業』以前に『教育者』だから、自分の信念が言えないような人はダメだと思う。

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今から17年前、1999年

2016-03-20 07:15:28 | 自分史

 

★ 今から17年前、1999年5月31日現役最後の出社日だった。

翌日、6月1日から退職後の生活が始まるのである

現役時代のことは結構覚えているのだが、定年後のことは記憶が曖昧なので一度ちゃんと調べてみようと当時の日記をひっくり返してチェックを始めてみたのである。

日記帳からノートに毎月の日々の事柄を拾って行ったら1日でちょうど1年分が記録できたのである

ちゃんと覚えていることもあるし、『そうだったんだ』と思うこともある。

 

このブログの記事の材料になる事柄もいっぱい出てきたのである。

 

 

    

 

 

★定年後の有り余る自由な時間をどのように過ごすべきか。

未だはっきり解ってもいないし、今現在のようにネットも何もやっていないのである。

当時はまだ2年間顧問として結構な顧問料も頂いていたし、何もしなくても所得のある人生で一番優雅な時代であったのかも知れない。

 

1999年と2000年、年齢は66歳~67歳当時である

未だパソコンは始めていないし、当然ながらネットなど何もやっていない無縁のものだった。

辞めるきっかけになった1998年3月のくも膜下出血の検査に札幌の病院まで何か月ごとに行っていた。「もう大丈夫」と言われたのが2000年の5月なのである。

家では、園芸やバラの育成をはじめたり、家内とあちこち出歩いたりしている。

腰や膝が痛くてずっと整形外科に通ってハリやマッサージなどやっていた。整形外科の先生に『こんな治療していても基本的には治りませんよ。筋肉は何歳になっても付くからストレッチでもやられたほうがいい』と言われたのが2000年の4月24日だから、ストレッチも17年間やってることになる。

 

このあたりの時系列の記憶が全然違っていた。

定年になったのは68歳ぐらいだったかな、と思っていたのは2年間は何だかんだと札幌まで出張扱いでよく行っていたし、北海道川重建機の経営の相談にもよく乗って、毎月顧問料も頂いていたのでそんな気になっていたのだろう。

ストレッチを始めたのは70歳になってからだと勝手にそう思っていた。毎朝1時間近くやるのだが、まさか16年も続いているとは思わなかったのである。

当時はまだも飼っていたし、Tom Love という2匹の柴犬もいたし、この世話に結構時間を費やしている。

そこに庭仕事の園芸とバラを始めたりしているのである。バラを庭に植えたのが2000年の5月だからこれも15年以上にもなるのだが、ストレッチと同じく10年ぐらいかなという感じなのである

 

人間の記憶はいい加減なものである。

私は日記など付けてるので、振り返ってみたら何でも明確に解るのだが、感じだけでは全然違っているのである。

 

 

 

    

 

 

 

    

 

 この1本の樹に2種類の花が咲く珍しい椿を宝塚で買ったとばかり思っていたのだが、これは2000年の4月13日に 清荒神で娘の安産祈願に行って買っているのである。

ホントに小さな苗だったから、もう16年も経っているのである。

未だその当時は、男の子とも女の子とも解っていなくて、上二人が男だから『女の子だったらいいな』と思ったりしてたのだが、末っ子も男の子だったのである。

 

 

昨日は、そんなことで、ノート11ページ分ぐらいの事柄を書き写した。

別に急ぐこともないのだが、この1ヶ月ぐらいの間に、きっちりとこの17年間を纏めてみたいなと思っている。

パソコンを始めた年齢がもう一つよく覚えていない

このブログを始めたのが2006年9月だから、ちょうど10周年。その1年ほど前だと思うのだが・・・

 

 

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