雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

徳野のおやじさんの一言

2016-06-11 06:46:42 | カワサキ単車の昔話

★久しぶりに川重明石工場を訪ねて、その帰り道、玉津の部品発送部門にちょっと顔を出したのである。

カワサキの部品発送システムは、昭和48年(1973)ごろ当時大阪の責任者だった私が発想して、業界に先駆けてスタートしたものだし、玉津の事務所も私の時代に新しく創ったものなので、非常に懐かしいのである。

いまは、この部門の長が望月君、部品と用品の担当を原クンがやっていて、2時間ほど雑談して戻ってきた。

望月くんは、私の息子と同い年の当時は若手も若手だったのだが、ジェットスキーの創世期にJJSBAに出向してくれたりして、援けてくれたメンバーの一人である。そんなこともあって彼の結婚式には出席したりした。

そんな昔話を『カワサキ単車の昔話』というカテゴリーでアップしてみたい。

 

★昭和48年ごろ大阪に『浜寺モータース』というお店があった。

あの有名な徳野3兄弟の実家である。まだその頃はレースはやってたが、アマ時代で親父さん自慢の3兄弟だったのである。

その浜寺モータースに行ったとき、親父さんが1台の修理車を私に見せて言われた一言、確かにその通りなのである。

 

『この車の修理をしてるのだが、部品が10種類ほど要る。注文をしたら4,5点は大阪営業所にあった。あとの幾つかは1週間か2週間で入ってきたが、残りの数点はまだ入ってこない。全部揃わないと修理は完成しないのに、最初の部品の請求書だけはもう届いているが、どうもそれを払う気にならない。』

 

この一言で、私はすぐ動き始めたのである。いまから40年前の話である。

 

 

 

●カワサキのその時代画期的な部品発想送ステムは、この徳野のおやじさんの一言からスタートしているのである。

●当時は各営業所に部品庫があった。部品補給を円滑にするためには各営業所が部品在庫をたくさん持とうとする。するとどういうことになるかといえば、メーカーがトータルで準備した部品の幾つかは、日本のどこかの営業所にはあっても、現実には手に入らないことになってしまうのである

●『営業所の部品倉庫をなくして、明石に集めてそこから送ればなんとかなる』という発想から、まず大阪の部品倉庫をなくして、明石での部品集中倉庫のシステムをスタートさせたのである。

●賛成して頂いて動いてくれたのが苧野豊明さんであったし、大阪で部品担当をしていた西川君と入社早々の鍛冶クンだったのである。

●ちょうどその頃、佐川急便などの宅急便のシステムが動き出したころで、今のように翌日必ずではなかったが、2,3日で全国どこにでも届く状態になったのである。

●全国の営業所の在庫をなくして、明石に集めたら欠品部品も無くなって、その頃からカワサキの部品供給は非常によくなったのである。

●今はどこでもこんなシステムだが、40年前の当時はこんなことをしてるのはカワサキだけだったのである

 

当初のこのようなシステムは、明石工場内からの発送だったのだが、その後何年か経っていまの玉津に部品倉庫を併用したKMJの本社を建てたのである。

FX400 が世に出てカワサキが意気盛んな頃だったと思う。

そこ頃の国内の責任者が私で、機能としては本社機能』『部品発送機能それに関西一の写真撮影スタジオの3つを備えたもので、非常に私としても想い出深い場所である。

 

★帰り際に、今の倉庫の状況を見せて貰った。

ここの部品発送システムは、川重の生産管理のメンバーたちが当初指導してくれて創り上げたものだけに、非常に効率的になっているはずである。

その動画はこちらだが、

 

世の中変わったな、と思ったのはこのように保管されている部品は、タイや ブラジルから送られたものだそうである。今は明石工場のものもあるのだが、タイやブラジルがメーカー機能を果たしているのである。

    

 

 そんな懐かしい、昔話がいっぱいのいい時が過ごせたと思っている、

 川重の明石工場もなかなかよかったのだが、それ以上に懐かしかった玉津の事務所だったのである。

 

 

★ちょっと別の観点から、

いま、玉津の部品センターに送り込まれてくる部品は、明石の工場のものもあるのだが、タイやブラジルからも送られてくる。世の中はそれくらい変わっているのである。

 

中大型スポーツ二輪専門店や、このような部品発送システムなどなど、今の二輪販売システムは当時のカワサキが先駆けてスタートしたのだが、『もう40年も前のシステム』なのである。

世の中は進歩して、全く変わった環境になっているのに、『いまだに40年前のシステム』をそのまま継承している『二輪業界の販売方法』は、『昔の米屋の販売方法』を今の時代に使っている『時代遅れも甚だしい』と私はずっと思っているのである。

1973年10月私が大阪でスタートさせた『カワサキ特約店システム』を2016年のいまも継承して頂いているのは、誠に「光栄」ではあるが、まさに『時代遅れ』だと思っている。

玉津で、望月君や原君とは、こんな雑談でもあったのである。

こんな『私の一言』で どこかが動いてくれたらいいのにと思っているのだが、この話の続きは、『シリーズ』でも書きたいほど、『私のアタマの中』にはいっぱいの想いがあるのである。

 

 

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関西国際大学 残念

2016-06-11 06:32:25 | 発想$感想

★神宮の全日本大学野球選手権に出場していた関西国際大学は、ベスト8に勝ち残る健闘を見せていたのですが、奈良学園大学に7-3で敗れて、残念ながらベスト4には進めなませんでした。

1敗したら終わりというトーナメント戦の難しさですが、十分健闘したといっていいでしょう。

 

先日の『関西国際大学 明治を破って8強』     

http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/1835410a79cd6dc2c6ad07d1f7ee2019

というブログに、『応援する会の』の会長の稲田三郎さんからこんなコメントを頂きました。

 

 感動しました。 (関西国際大学硬式野球部を応援する会 稲田三郎です) 2016-06-09 18:21:05

神宮球場から帰りの新幹線の中から、お礼のメッセージを送ります。
国際大学野球部の活躍を取り上げて頂きましてありがとうございます。
私達応援する会は、岡田保会長のもと、10年前に地元の有志が集まり発足しました。
私が会長をさせて頂いてから、なかなかリーグ優勝出来ず神宮球場が遠かったのですがこの度やっと出場することが出来、なんかホットした気分だったのです(笑)
今年のチームは数年来の先輩の様に、ドラフト会議にかかるような選手がいるようには見えませんが、チームワークの良さ、野球に取組む姿勢は彼等に負けて無いと感じています。
そして何より監督、コーチ陣の指導、采配の力量が光ったシーズンで有り、大会であったと思います
今年の選手達は本当によく練習するそうです。その選手達の資質・力量を引き出す日頃の取組が身を結んだ年なんでしょうね。
何度もタイブレークに迄持ち込む粘りの試合を見ていて強く感じましたのは、指導者・リーダーたる者は如何にしてメンバーひとり一人の良さを引き出せるにかかているのだと、感じいった3日間でした。

鈴木監督は日米大学野球で全日本の指導陣の中心人物の一人と聞き及んでおりますが、然もありなんと改めてその高い指導力と監督としての采配力に感嘆いたしました。選手の皆さんの諦めない気持ち、最後の最後まで投げ出さない姿勢が、勝利に結び付いたと思いますが、その選手達の気を引き出す事こそ指導者に求められる力量なのでしょう。リーダー・監督が主役ではないのですから…
昨日の試合終了後、スタンドで応援する野球部の学生の皆さんが肩を組み、歌い、喜びを爆発させ、グランドの選手達と一体になる姿に、この歳になって不覚にも落涙する私です。(40数年前の早稲田の応援部で声をからす、神宮球場にタイムスリップした瞬間なのかもしれません)
今日の試合は、三度目のタイブレークに持ち込んだだけでも、脱帽物です。学生の皆さんに
人生、何事も最後まで諦めたらあかん!』と教えられた気分です。そして試合終了後、なでか悔しさは無くむしろ清々しく思えた程です。
この大会でひとまわりも、ふたまわりも成長された選手の皆さんのこれからのご活躍を期待致します。厚くて破れなかった6大学の壁は突破しました。日本一の栄光はひとまずとっておきましょう。これからもご精進下さい。
最後に、このコメント欄をおかりして『ありがとうございました

古谷さん、三木にはこんな"元気"が有ります元気な町を創って行きましょう
これからも宜しくお願いします。先日は拙いコメントにお返事頂きましてありがとうございました。

3日間の熱戦の余韻に浸りながら…新幹線の車中より

 

新幹線の車中から、このようなコメントを頂きました。

昨秋、ひょんなことからこの応援団に入れて頂いたのですが、本当によかったと思っています。

関西国際大学の練習グランドは我が家のすぐ近くでたまに練習も観に行ったりするのですが、野球の技術のレベルの高さもありますが、何よりもその礼儀正しさ、野球だけでなく大学の授業も確りとという鈴木監督の指導力にをずっと以前から注目をしていました。

稲田さんも指摘されていますが、その指導力が素晴らしいと思っています。

関西国際大学の野球部が三木のまちに、緑が丘にあることを誇りにして、三木のまち自体も『元気活発なまち』になるように頑張っていきたいなと改めて思っています。

稲田さんはじめ、神宮まで応援に行かれたみなさん、本当にご苦労様でした。

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