雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略の時代       1

2020-05-11 06:48:15 | 私の生き方、考え方&意見


★ ごく最近小林茂くんが
  Facebook に私の現役時代の写真をアップしてくれたのだが、
  その1990年代の私の現役時代最後の10年間のテーマが、

 『7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ創造』だったのである。
 
 そんな当時の基本コンセプトについて纏まっているこんな冊子がある。



   
 


この冊子の冒頭にこのように紹介されていて、
当時の事業本部の部課長250名に講演会の形で話したものを要約することなくそのまま文章にしたものなのである。

この冊子を作ってくれたのは『岩崎茂樹くん』で、私とは親交があったのだが、
この紹介文を見ても、当時の私や国内販売の基本コンセプトを、間違いなく理解してくれていたと思っている。

 それはこのように紹介されている。

日本国内市場を担当しているカワサキオートバイ販売が、ここ数年の間、取り組み且つ相当の成果を挙げ得た一連のマーケッテング活動をご紹介致します。
これはさる1月29日、明石に於いてCP事業本部部内関係者約250名を集め、講演会の形で披露されたものを、要約することなく、そのまま文章にしたものであります。
 皆様方にお汲み取り頂きたいのは、そのユニークな手法ではなく、なぜそうしたのか? 何を狙っているのか? といった、一貫して中を貫いている ”哲学”=基本的な考え方であります。
特に、取扱商品をハードウエアとしたとき、それに絡んでくるソフトウエアの部分をビジネスとして捉え、ハードウエアだけでは、最早、競争相手との差別化が困難となったこの時代に、このソフトウエアのビジネスをイメージ構築の柱とした、ダイナミックなマーケッテング活動を、市場環境や、ユーザーの意識の変化に即応して展開していく姿勢をも学んでいただきたいと思います。
そうして頂くことによって、手法の一つ一つはそれぞれ、ご担当の市場に適用できないまでも、貴市場独特のマーケッテング活動計画策定に、必ずや一灯を投じる役割を果たし得るものと信じます。
   

         


★この1990年代の約10年間は、私の現役時代の『集大成』と言ってもいい時代で、
 『7万台』という途方もない目標も達成できるのだが、
 それ以上に『新しいカワサキのイメージ創造』がホントは中心課題で、
 『7万台達成』はその結果だったのである。

 この時代のことを、いつかは書きたいなと思っていたのだが、
 突然Facebook に小林茂くんが、
    この講演会のこんな写真をアップしたので、
 その時代のことを纏めてみようかなと思いたったのである。


 

 
 
 ★今までこのブログでも『カワサキのこと』はいろいろとアップしてきたのだが、
 『カワサキの歴史』 をその中心課題として纏めてきた。 
 
 今回は『7万台への挑戦 新しいカワサキのイメージ戦略の時代』と題して、
 その時代の私自身や、周囲の人たちの動きなどを中心に、
 そのベースにある『私自身の発想や生き方を』を、
 『私の生き方、考え方&意見』というブログのカテゴリーで纏めてみたい。

 
 今日が第1回なのだが、『第100回』ぐらいまで続いたらいいなと思っている。
 どれ位の期間になるかは解らぬが、『100回分』ぐらいの材料は多分あるだろう。
 
 その第1回は、小林茂くんがそのきっかけを作ってくれたので、
 そんな彼に関係のあることからスタートしてみたいと思っている。


★ この講演会は、髙橋鐵郎本部長(カワサキオートバイ販売社長兼務)から、
私が依頼を受けたのだから、私一人で喋っても勿論何の問題もなかったのだが、
目標達成のために頑張ってた営業以外の3人も講師に選んだのである。

 
講師のメンバーと内容はこんなことだったのである。


  



講師は私と、ケイ・スポーツ・システムの南常務、スポーツ推進部の重本部長、そして広告宣伝課の小林課長で、
聴衆は当時の事業本部の部課長250名なので、
そんな人たちに対して、私は兎も角、
子会社の若手のこんな3人が話をすること自体が異例なのである。
 
3人が話す内容等、私は事前には何の報告も受けずに、
ぶっつけ本番みたいなものだったが、
日頃やってることを話すのだから『任して、大丈夫』という私の発想なのである。

当時、彼ら3人がやってたことは、『それなりに高度な水準』だったという自信があったからそんな判断になったのである。


ただ、私は大勢の聴衆の前で話す機会は何度も経験していたのだが、
多分この3人にとってはこんな経験ははじめてだから、
そんなに上手く時間調整なども出来ないかも知れぬし、
講演の時間は決められているので、それは最後に『私が調整すればいい』とぶっつけ本番でのスタートだったのである。


その出来栄えがどうであったかは、
こんな冊子に纏めて社内は勿論、
海外販社には英文にして、
さらに高橋本部長は当時の川崎重工業の大庭浩社長以下全役員に配ったりしているので、『想定以上の評価』であったことは間違いないのである。

私は後、大庭さんから、全役員に国内市場のことを話すように指示を受けたりするのだが、機会があればその話もと思う。



★この講演会で、小林くんがどのような話をしたのかは、次回に譲るが、

 Facebook に小林くんは、こんな投稿もしているのである。


  



★私の話は兎も角
 
●南常務の『KSS とKAZE活動

KSSとはケイ・スポーツ・システム という「ものを造る川崎重工業」の中では珍しいソフト会社なのだが、そこでは30年経った今も尚続いているユーザークラブKAZEを片手間ではなしに『ソフトビジネス』として捉え、ソフト会社の中心課題として、真正面から取り組んだのである。 

HART ・YESS など他メーカーのユーザークラブが全て消滅している中で、
KAZEが残っているのは如何にその取り組みがホンモノであったかの証左だろう。 私は今も現役のKAZE会員なのである。

● 重本部長の『スポーツとレース活動

それまでのカワサキはレースに力を入れていたとは言い難い状況だったのだが、
この時代のTEAM GREENは、カワ販で担当していて、ロード・モトクロスとも、相当の力の入れ方だったのである。
ファクトリーに 宗和・塚本・多田、
TEAM GREEN に 北川・鶴田などがいた時代で、
オモシロかったのだが詳細はまたの機会に。

● 小林課長の『広宣活動

 どんなことを喋っているのか?
 これは次回にでも譲ることにして、
 カワサキの初代の広告宣伝課長が私で、2代目が岩崎茂樹さんなのである。
 
 小林茂くんは、確か榊君の後の4代目だと思うが、
 カワサキの歴史の中で一番長く広報を担当したのではなかろうか?

 広報とか広告の世界は、なかなかその評価もムツカシイのだが、
 『新しいカワサキのイメージ創造』という基本コンセプトを実現のための、
 非常に重要な役割を担っていたと思う。


広報については、私自身が専門に近い分野だったが、
小林くんが広告宣伝課長時代に、彼に具体的な広告の指示など出したことはない。彼は清水君と二人で結構自由にやっていたと思う。 

 

この講演会の講師にも、迷うことなく選んでいるのは、それなりに信頼していたのかなと思っている。

当時のカワサキの広告は結構ユニークで、
広告代理店とは私は結構密接に関係していたが、
それは基本コンセプトの分野で、具体的なことには『口を出したりはしていない


私は部下に仕事を任すというか、権限を渡すときに、
権限とはその人に与えられた誤りの量である』という認識で臨んでいて、
仮に、小さな誤りがあっても、それをすぐに指摘するなどは意識的にしなかった。
誰でも、自由に任したら、そんなに大きな誤りなどしないものなのである。


★これは、2013年の私自身の旧いブログだが、
その中で広告の話に触れていて、
こんな広告と一緒に、小林茂くんも登場している。

時間のある方は、リンクをお読みください。



 
 
 
 
 では第1回は、まずはこんなんところで、
 
 第2回をご期待ください。


 

  
 




 
コメント
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