★ 私が免許を取ったのは昭和40年6月17日である。
1965年だからもう55年も前のことである。
32歳の時で、娘が生まれる年、
家内が里に帰っていた時に学校に行って取得したのである。
そんなことで始まった運転だが、以来 スピード違反はあるが、
『事故は皆無の優良運転手』で、今は勿論『ゴールド免許』なのである。
免許を取ったころは、ちょうどファクトリーチームに関係していて、
私の運転の先生は『山本隆』くんである。
星野一義もいたが、彼は未だ未成年で運転免許は持っていなかった。
ヒール&トウや、ブレーキ・ターンなどのレーステクニックも覚えたし、
カーブを曲がるときの『スローイン・ファーストアウト』や
『ブレーキを踏むときはバックミラーを見て後方を確認』など、
アクセルを開けてる時が一番車は安定していて、
ブレーキを踏む時が『不安定』だという車の特性などもその時に覚えたのである。
当時の未舗装のデコボコ道や砂利道は適度にアクセルを踏んで、
『その頭の上を走れば車は安定する』ことなども教えて貰ったので、
その後の東北での実走行に大いに役に立ったのである。
★高齢者の運転事故が言われていて『免許返還』する方などもいるが、
多分、私はまだまだ車は運転するだろう。
今は、朝走りに行く三木総合防災公園までの往復と、
家内の買い物の付き合いだけだが、常に『安全運転』なのである。
今はそんな運転だが、現役時代は日本では本州の全県を自分で運転したし、
海外出張時は『海外免許』を取得しで空港でレンタカーを借りて、
自分で運転してその地を廻るというスタイルだったので、
ホントに世界各国を走っているのである。
★一番よく走っているのはアメリカで、出張回数も多かったから、
ロス近郊は道もよく解っているし、リンカーン工場のあったネバタ州も走っている。
最近は娘家族がアメリカにいるので、
遊びに行って、サンフランシスコまでの600キロは何回も乗せて貰ったし、
自分でハンドルを握ったこともある。
★ 東南アジアの開拓も担当して、
タイには何ヶ月も滞在し社用車を購入してたので、バンコック以外もよく知っているし、
フィリッピン・マレーシア・インドネシアの道もよく知っている。
★ オーストラリアは、ちょっとあとの時代になるが
シドニーから販売店廻りをして、内陸地域も知っているし、
個人旅行では北のケアンズから周辺の国立公園など
1日かけて走ったし、
海岸線のゴールドコースと周辺や
シドニーからブルーマウンテン国立公園など、
レンタカーで2000キロ以上走ったりしている。
★ ヨーロッパもフランクフルトを中心に、オランダ・ベルギーにも行ったし、
南へ下ってボーデン湖から、その湖をフェリーで渡ってスイスへも行った
りした。
一番豪華だったのはジェットスキーの市場調査で、
ジブラルタル海峡からスペインの海岸線を走った時で、
ここは全くの『避暑地』の連続だから、ホントに華やかだったのである。
アフリカのナイジェリアにも、市場開拓で駐在者がいたこともあって
首都ラゴスから、イバダンまで走ったことがある。
首都と地方の差が『歴然』だったし、地図で見るとほんの一部だから
ナイジェリアが解かったというレベルではないが、
現地に行ったものでないと感じることのできないことはあるものなのである。
★これは開発途上国でのCKDの調査チームの時だが、
まだ『王政時代のイラン』のこんな地区を飛行機と車で訪れたことがある。
そのイランの砂漠の中の長い道、世界には『あんな道』もあるのだと実感した。
そんな砂漠の中に、突如立派な都市が現れるのである。
人間が自然の中で、生きている様子がよく解った。
★そういう世界に比べて、日本の道は狭くて、曲がって、混雑して大変だが、逆に言うと本当によく整備されているとも言えるのである。
いま走ってる『三木の辺り』は、ホントに道もよくて広いし
混雑もないこんな道路を走っているのである。
コレ、高速道路ではない一般道で、
この道を走って毎朝三木防災公園まで車を運転しているのである。
こんな私の運転歴だが、
いつまで『車を運転できる』のだろうか?
車が運転できなくなったら、私の人生も終わりかも知れない。