山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

今年へ!「鎮魂」

2011-12-31 19:11:57 | 歴史・文化財
 隣接する市の公園の高台には、日清・日露戦争の戦没者慰霊塔がたたずんでいる。
 テレビではドラマ「坂の上の雲」で当時の戦況を詳しく放映していたが、ここの小さなムラからも犠牲者が輩出していたのだ。
 この高台の近くにはもうひとつの戦没者慰霊塔がある。

              

 大正34年と刻まれているが、いつのことを示しているのかはわからない。
 それは大正元年から数えると太平洋戦争の終結に当たるが、このムラから16名の犠牲者の名前が刻まれている。
 大正9年からの銘があるので、第1次世界大戦から太平洋戦争までの戦没者ということかもしれない。

                       

 今年が幕を閉じるにあたって慰霊塔をあげたのは、とくに原発による人間の・国の人為的な被害と共通するものを感じたからだ。
 同時に、自然災害のはかりしれないエネルギーからなにを教訓とするかが問われている。

 これらのことから、オイラが過疎の地で荒地に汗を流すことの選択の確かさを再認識したともいえる。
 そして、それを支えていただいた地元の人たちの暖かさ、今まで都会で支えていただいた人たちの暖かさがジワジワとオイラの心に沁みてきている。

 ありがたい。合掌。 
 「一陽来復」 

 
コメント
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