ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

王子商店街

2012-06-11 05:00:00 | 大阪にて

いくら熊野街道を南下しようという試みとは言え、阿倍王子神社に裏から侵入してしまったという事実は、私に「ゴメンナサイ」という念を抱かせるのですが、“もと熊野街道”という碑を建ててまで、本来の熊野街道を最近のジャーナリズムよろしく真実に蓋をして、我が神社は熊野街道に面しているといった体裁を繕っているのではなかろうかと思うのは、実際に熊野街道を探しつつ、その過程で第5番目の王子に到達した私にとっては、神社が取り繕っていると思っても何らおかしなことを言っているというわけではありますまい。

そうです、私はここに至って“もと熊野街道”という碑はまやかしであり、熊野街道に面して阿倍王子が有ったのであり、それ(阿倍王子)を継承した阿倍王子神社の正面が熊野街道に面しているのは当たり前ということを正当化しようとしているのではないかなどとまで勘ぐってしまうのはいけないことなのでしょうか。

             

皆さんにとってはどうでもいいようなことをグダグダと書きましたが、私は本当に現在のジャーナリズムは真実を伝えると言うその使命あるいは命題を忘れ去っているのではないかと思っているのです。

私たちというか私たちの先輩は満州事変(その前からなのかも知れませんが)から太平洋戦争終結に至るまで、時の権力のいいなりの報道しか知らされなかった歴史があります。そのことが僅かの日本人民を除いては、戦争に(或いは侵略に)熱狂させられたのであり、信じていたのだからこそ、タエガタキヲタエなければならない結末になってしまったのです。運命共同体だから仕方がないと言う論理は通用しません、真実が国民に伝わっていなかったから。真実が伝わっていたら戦争(或いは侵略)に反対する人はもっと多かったのではなかったという希望的な憶測を抱いています。

             

私は全く以ってジャーナリストなどでは有りませんし、こんなどうしようも無いぼんくらな人間ですが、地域の草の根から、ウソを言って恥じないような言動、行動、開示・・・は監視・考証しなければならないと思っています。こういった真実を伝えると言う究極は職業としてジャーナリストだから出来るのか、雇われている身だから出来ないことなのか、それはその人の人間性の問題なのかも知れませんが、事実は人間性だからといって変わっては困ります。

             

勝手な話を書いている間に写真は阿倍王子神社の対面の王子商店街に足を踏み入れています。結構大きな商店街です。大阪(全国何処でもですが)は大きな資本の進出に拠って、小さな商店は閉鎖を余儀なくされてきました。

             

それが良いのか悪いのか、それは人夫々でしょうが片方にお金が蓄積され、片方が資本を失ったのは確かです。だけど日本人はどこまでも寛大、寛容、お人好しです。自分が悪くなっても人の悪口を言わない、そんな儒教的な信念が身に纏わりついているのでしょうか。

でもここでこの商店街が潰れることなく、いや潰すことなく続けている一因を見ました。『生々楽々ホール』なのか『楽々茶房』なのかよく分からないのですが・・・

             

要するに体制批判です。いや体制批判ではありますまい。自分たちがどうしたいのか、どうなれば満足なのか、それを自らが自覚すること、こうやって生きていく希望を体制批判に託することもあるでしょうし、もっと具体的な要求もあるのだとは思います。

             

あべの筋に戻って来ました。対面から見た阿倍王子神社。

この記事は姫の家で書いていますが、独りでいるといろんなことが書けてしまいます。家でいると話などがあって、綴り事はいつも直線的になってしまいます。

             

戻ってきて南側の入り口、この神社は北側からの入口はありませんが、残り三方から入って来ることが出来ます。

             

拝殿の前を通って元来た熊野街道に戻って行きます。もう“もと熊野街道”とは呼ばせません。だって真の熊野街道も現の熊野街道も示されてはいないのですから。

             

南へと下る道を進むととある公園に経塚と書かれた碑が目に見えました。経塚など探せばいくらでもありそうなものですし、それが決定的に何かを意味しているという代物なら、一項を設けなければなりませんが、上町台地にはいくらもあると思うのでわざわざ一項を設けることはしなかったのです。

             

経塚とは経典を写経した巻物を何かに入れて埋納した跡のことでしょう。有名なのは金峯山に埋納した藤原道長の経筒ですね。

             

ここで紹介されている摂津名所図会では熊野街道沿いの阿倍王子神社が王子権現と称され、大名塚、小町塚と並んで経塚があります。熊野街道と王子権現の位置関係からして、図絵の上が東であり、今の松虫以南のあべの筋はこの当時は無かったものと推察されます。

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