ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

櫛田神社

2012-06-26 05:00:00 | 

約15分遅れで福岡に着いたものの天気は今にも雨が降り出しそうな曇り空、観光案内所で地図を貰い何処に行こうかと思案するも、是非行ってみたいと思う志賀島(魏志倭人伝にある“親魏倭王”の金印の出土地)は電車と徒歩では遠そう、丁度N田君から電話があり、近所で観光するのに良いところは無いかと問うと、大濠公園へでも行ってみたらという返事でした。

でも雨が降りそうなので空からの攻撃には無防備な公園などは行きたくなく、地図を見てると『はかた伝統工芸館』というのを当日夜行くはずの中洲川端駅の近くにあるのを発見、二度同じところに行くのも芸が無さそうでしたが、公園よりはましだろうと思い、中洲川端駅で降りて伝統工芸館を探したのでした。

             

地下鉄を降りると丁度、博多座という観劇の殿堂の前に出、「ほう!これが博多座か」と見ながら、博多座の前を通る土居通りを右往左往しながら伝統工芸館を探しますが、一向に分からず、商店街を見つけたので方向を変えて商店街の中を歩き始めたのでした。          

                       

4~500mほど続く大きな商店街を歩くと、商店も少なくなってきた頃に大きな鳥居があり、博多総鎮守と銘打った旗がはためいていたので、ここに入ってみようと思ったのでした。鳥居の前には座っている人がいて、なかなか立ち去りそうもないので、まぁ博多の人も写真に入ってもらおうとシャッターを切ったのでした。

             

鳥居を潜ってまっすぐに進むと重そうな石がいくつか散らばっています。石には力士の名前が彫られていて、『力石』との説明があります。おそらく“ちからいし”と読むのでしょう、決して『あしたのジョー』の“りきいし”ではありますまい。

                       

力士の中で目新しいのは朝青竜、白鵬や福岡出身の魁皇の名は無かったように思います。あの悪名高い朝青竜の名があるくらいですから、これからも石は増えるのだろうと思いますが、空間の問題もあり、先に奉納した力士との関係もあって、やたらと増やすわけにもいかないのでしょうね。

                       

力石の右側に植わっていた『夫婦銀杏』、三本の樹のうち前1本が雌の樹だそうで、あと2本が雄の樹なら夫婦円満とは言い難く、説明には秋にはたわわな黄金の実を宿すので子孫を残す霊樹として崇められているらしいのですが、縁結びの願掛けには相応しくないと思うのです。

             

曲がりくねって進むと奥にあった拝殿、神社事態は天平宝字元年(757年)の創建とされ、博多津中(那珂川の中州のことだと思う)の鎮守として人々の崇敬を集めてきたと言われています。

             

拝殿の右を見ると山門があり、どうやらまたしても裏口から入ってきたようです。

             

こちらが正門にあたる鳥居なのでしょう。でも中洲川端駅から来る人は皆、裏口から入ってしまうのは仕方がありません。この鳥居の右方向にも入り口がありました。伝統工芸館はその先にありましたが、個人のものらしく、喫茶が主となっているようだったので入りませんでした。

                  gooリサーチモニターに登録!