日本ジャンプの父・笠谷幸生死去


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https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20240426-0046

 72札幌冬季五輪70m級金メダリストの笠谷幸生氏が、4月23日に
80歳で亡くなったらしい。

 アジア圏で初めて開かれた札幌五輪では優勝候補として臨み70m
級(現ノーマルヒル)で、金メダルを獲得しただけでなく銀を金野
昭次が銅を青地清二が取って表彰台を独占するという快挙を演じて
いた。

 もっとも90m級(現ラージヒル)では1本目で2位につけていたが、
2本目に大倉山の横風に煽られて失敗し7位に終わり二冠ならずジャン
プという競技が風などにより運・不運に左右されるという事を私は思
い知ったのだった。

 それまで我々九州人にとって冬の競技はあまり馴染みのないもので
冬季五輪があったからこそウィンタースポーツの存在も知ったし、こ
れまでの冬季五輪でのメダルはコルティナダンペッツォでアルペンス
キー回転の猪谷千春が銀メダルを取ったのが唯一。

 それがジャンプで表彰台独占したのだから一気に盛り上がったのを
覚えているし、ジャンプのアプローチレーンのクラウチングをマネす
る者が続出したのも笠谷ら日の丸飛行隊の功績だろう。

 年末年始のジャンプ週間4連戦で開幕から3連勝し日本人初の総合優
勝が確実視されながら、札幌五輪代表選考会が重なったため帰国した
のはアマチュア時代のスキー界ならではの話だろう。

 しかし葛西憲明がW杯で船木和喜らが長野で活躍し小林陵侑が2度
のW杯総合優勝を果たすなど笠谷の蒔いた種は、しっかり根を下ろし
花を咲かせ実を付けている。

 特に小林陵侑のW杯総合優勝を見られたのは何よりだと思う。

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