遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

天使と悪魔

2013-07-22 11:13:56 | 外国の本

本当は ぐうたらしたいのは

この本を読んでいるからよ

わたしは悪魔と仲がいいもの

嘘よ

この話は 反物質という大量破壊兵器ともなるエネルギー源を巡る話で

キリスト教世界の 神と科学の闘争というか

陰謀を巡る話

今の原発を巡る問題も人間が自然への畏敬の念を忘れ

傲慢に使いこなせると思い込んでいることへの警告でもあるわけだし

現代的な話だわ

でも 東洋人の私には

そういう問題を 神と対峙させて考える思考回路がないので

疲れる

然し面白いものだから

疲れてグダグダしたいの

と言って

寝転んで読みたいというのが本心

上巻を読み終わった

下巻を開くのは我慢することにする

ところで

キリスト教で神様って白髭のおじいさんに描くわけ

の話も出てきた

↓のおじいさんは聖ヤコブを描いた気がするけれど

白髭のおじいさんに描くのは多い

他の神の像と違うなあ

何がルーツか?

ゼウスよ という話

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天使と悪魔

2013-07-21 05:17:50 | 外国の本

200301000482


かなり長いこと本を読めない日々が続いた

多分 頭がおかしかったのだろう

だから暇つぶしは数独ばかりやってたが

「風涛」を読んで本を読む脳みそがやっと目覚めてきた感じ

この天使と悪魔は読み始めて読み進められなくて

放置してあった

もう一つ 「薔薇の名前」という本も似た感じで読めない

「風涛」を読んでみたら

外国人の名前がわかりにくく 頭の中で視覚的に映像が浮かばないのも

読むときの困難なのだが

この話のあたりのことをドラマで見たせいで

登場人物が視覚化されると話が分かりやすい

と脳がぼけてきた私は考えた

映画化された「天使と悪魔」を見たのだ

この映画は小説をうんとゆがめて別物にしてしまったものらしい

だいたい私は小説を読んでから

その映画を見るのは嫌い

私のイメージした世界と違う展開になることが多いので

頭に来ちゃうのだ

逆の場合の私の脳みその働きは  面白いものだな

結局 ここでも人間は自分の甲羅に合わせてしか

ものを判断できない

映像がらみで入る情報は

相当 操作力が強い ということだ

テレビの 罪って 重いのはこれだな

でも 弱った脳には お手頃 そういうことでもあるのだな

ああああ

天使と悪魔 って ダビンチコードの前編なのね

ダビンチコード面白かったけれど

もうすっかり中身覚えてない

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エドガー・アラン・ポー

2013-06-06 07:47:15 | 外国の本

ルドンはポーやマラルメ、ボードレールの詩をいろいろ絵にしていた

高校生のころはろくに訳も分からず

なんだか世紀末芸術っていい感じだと思って

あれは何だったんだろう?反抗期の高校生には世紀末芸術の

反逆的退廃的なのがかっこよく見えただけかもしれない

高校時代が世紀末的だったような

などと思いだした

私は語学的な資質に欠けていて

もう英語って苦手

勉強ができないのを英語のせいにしていた

(英語というのは言葉のありようからして気が合わないの!)

というよににやけくそ

よくできる子たちの読んでいいた

モームの「月と6ペンス」なんて書いてあることが気に入らない読むに堪えない!

と文句言ったり13288595591

然し

友だちが私の英語離れにとどめを刺す武器に

ポーの短編集?詩集をくれた


これならあなたにも読める

友だちだから私を読むこと 的確だった

ポーの文章は読むだけで音が表わすので

読める

そういう文だった

辞書など引くのももどかしい(辞書引きでとどまったら意味不明になっちゃう)

読み進めちゃう音の響きなのだ(黙読でも音が響く言葉の紡ぎ方があると

その時初めて知った)

文学史上(美術史上も)ポーの果たした役割なんか知らないけれど

ルドンを見てきてあれこれ思って

そんなことを考えた

Redon_souriante00

↑ルドン 笑う蜘蛛

でも世界史的には現代に通じるんだろうなと思う

当時資本主義が勢いをまし

科学万能めいた世相

権威主義的な芸術界の硬直していたアカデミズム

とかに アンチ として沸き起こった芸術運動なのだろうから

資本主義はもうおしまいめいているよな 経済の破たん

科学万能に見えたけれど

全く手に負えない原発事故

そういう現代だものなあ

でも現代を思うと退廃的になんてなってられないよ?

 

話は戻るけど

ポーは音の紡ぎだすもので

私の言語能力の硬直を解きほぐしていった

それって とても音楽的なことだ

ルドンも音楽的環境に育っていて

自身かなりなバイオリン奏者だったようだ

(お兄さんは優秀な音楽家だったらしい)

ルドンの黒の階調 のちの色の時代に入っても

色の諧調の素晴らしさって 体が音楽でできていたからだろうなと思った

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少し謎が解けてきた

2012-12-02 08:42:56 | 外国の本

かちんとくるというのは面白い心理だと思う

だいたいはカチンと来てもこっそりそれは隠したりするよな

丸見えタイプの人もいる

うちのおばさんは丸見えタイプなのだよ

さて 漢字や漢語を受け入れる

受け入れ方が違う

ということが

日韓の考え方の違いを生んだという話がかなり興味深い

世宗がハングルを創生したとき

何で学者たちが

まるで狂乱状態になって反対したのか

訳わからんと思ってきたが

・・そこまで事大主義なのか?と思った

かつて 新羅などは

日本のように万葉仮名式の扱いもしていたのだそうだ

漢字を漢語ではなく自国語にも当てはめて読んだということ

それが

新羅以降無くなって

漢字は漢語で読むのが絶対 原理的

となって

自国語の文化を低く見るそうなったというのだ

だから日本みたいにカタカナだとかひらがなを作ったのは

野蛮だなんて話が出て

自国の文字を持つなど許しがたいと世宗に対して

わ~わ~申し立てていたわけだ

(申し立てる文化と 申し立てない文化の話も出てくる)

・・

新羅ね

新羅の三韓統一は え?

三韓統一と三国統一は違うのか

三国統一の時唐の力を借りたじゃないの

その前から冊封制度という縛りも強かったし

それで

漢字を自国語で読むのなぞ怪しからんという風になったのかもしれないと思った

日本に新羅百済がやってきて

(この本には縄文人を征服したとある)

そのころのそれらの人は漢字を自国語で読むことはしていた人たちだから

日本の漢字文化は

その後朝鮮半島とは別の道をたどったということだなと 理解した

ウリ という言葉の意味についても

これまで思い込みがあったことに

気付いたが

出かける用意しなきゃ

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う~~ちょっといただけない

2012-12-01 12:24:38 | 外国の本

この本読み進むとカチンとくる

日本語には母音が5個しかなく韓国語は20何個かあるとか

日本人は性悪説で韓国人は性善説だとか

そうかもしれないがいちいち対比させるやり方が

どこか

俺様のほうが偉いんだぞ

って威張ってるのか !と思っちゃう

そうはいってないのだけれど

そういう匂いがするのでカチンとくる

日本語にはへりくだった言い方が多いのは

階級差別のひどい国だったからみたいに書いてあって

あんたに言われたくない!

と思ったが

そうか 韓国の人から見ると日本人は差別者に見える

それはあるだろうと思ったが

日頃韓国ドラマを見て

階級意識が強い国だったという感想を持つので

違和感を感じたのだ

母は朝鮮に行ったことがあるんだが(戦前)

ものすごい身分差別がすごい国だと言ってたのも先入観かもしれないが

韓国の人と友達になるには

その価値観の座標軸が日本人と韓国人と違う

ということは知って置かなければいけないなと思った

自分の物差しで話しても通じないだろう

しかも山里授業で考察したように

日本人は

先祖に韓国の人と共通のものを持っているのだよな

それが変形してきて

それぞれの国民性が醸成されてきた

古代史を勉強というのはそういうことだったか

と思い至った

しかも

朝鮮半島と日本は

歴史の中で さらに複雑に絡み合っている

日韓が仲良くできることは

そう考えると

難しいことだけれど ちょっと 挑戦する価値のあることだな

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自分のなかにもある手前味噌

2012-11-28 19:39:08 | 外国の本

武蔵が

読んで見ろとよこした本

読んでみて

山里授業のおかげで

私は新羅と百済の日本の中の整理がかなりついたなあ

と思った

あれがなかったら わかりにくいなあ

・・

しかしこの本を読むと違和感を感じる

それは

著者の方も 日本のあれこれについては

違和感はあったのだな

この人は言語のことから考えを進める人だけれど

私は 表意と書いてあることに違和感を感じる

例えば日本は家という制度

親分が居て子分が居てと言う一族郎党も対な仕組みがあるが

朝鮮にはそういうものはない

というので

家門家門と盛んにこだわるのは何だ?

と思ったりする

前にもどこかで書いたが

和を以て尊しとなす となすって

聖徳太子の17条憲法にあると習ってきたこと

これ逆らわせない深慮遠謀だというようなことを

この著者も感じるらしい

朝鮮人は口を濁したりしない

言いたいことははっきり言う

みたいないいかたで

日本人の和気あいあいが好きな

ヘンなの!という感覚もあるようなのだ

それは 理解できる

朝鮮は恨と情の国というのだが

それは朝鮮半島は穏やかな気候で豊かな自然で

そこで育まれたものだというように会って

ああ

恨の国というのはよいことであり

大事なアイデンティティーを構成しているのだなとは感じるが

実際は

しつこく恨みがましいなあ

私はそう思っちゃうのよね

こんなに近くて

同根のものも多い国で

これだけ違和感を感じる

というのは

面白い

自分の感性でだけものを考えがちだけれど

ちょっとときどきいらっとくるけれど

この本ちゃんと読むか

と思ったわけです

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水没しちゃった

2012-07-14 22:01:13 | 外国の本

アフリカの印象 (平凡社ライブラリー)

ロクス・ソルスのほうは読み終わったので

これを読もうとした

今日も蒸し暑く

買い物で あちこち巡ったら

またあつさにやられたので

水の風呂にしようと思ったが

朝の風呂水はもう汚い感じで

(その時点で もう本持って

読む気満々だった お風呂は私の読書ルーム)

気を取り直して

本持ったまま お風呂もごしごしこすったりして

片手間で掃除して

自動給湯では熱すぎるので

シャワーで私用適温のお湯をためようとして

温度調節したりうろちょろ

手にはバスタオルと本も持って

横着していたら

本 湯船に落とした!

ところでこのレーモン・ルーセルという人の本

本当はフランス語が読めないと

本当の面白さは分からないみたい

日本のお話だと 地口だの 回文だの ダジャレだの

あるじゃない?

アナグラムだの

そういう仕掛けが 本当は面白いらしいのだけれど

日本の本だって 日本語わからなきゃ

その面白さは 翻訳じゃあ 通じないもの

だからそれについては

分かりません

この間 紹介したこれらも→ http://togetter.com/li/336046

百人一首が頭に浮かばないとか

ダジャレも通じないと・・となると

外国の人にはわかりにくいだろうなあ

(意外と日本人より通じたりして)

しかしレーモン・ルーセルの専門家の

岡谷公二氏が ルソーについても書いている

という共通点は

なんだかすごくわかった気がする

ルソーの絵に描かれている世界とレーモン・ルーセルの描いている世界が

似てる!

しかも

アフリカの上の本が1909年ロクス・ソルスはできたのが1910年

ルソーが死んだのが1910年

居た場所はパリ

ピカソのアビニヨンの娘たちが1907年

現れ方はいろいろでも これらは時代的なものだったのだな

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カレーの市民

2012-07-11 19:15:00 | 外国の本

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この像は国立西洋美術館にもある

通り一遍 この像を巡るエピソードは聞いていたけれど

今回

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

この話の第4章の終わりのエピソードが

カレーの市民がらみの話だったので

検索して 少し詳しくわかった

100年戦争で カレーがイギリスに降伏交渉をしなければならなくなり

カレーの有力者6人と引き換えに市民の命を救ってもらう

という

結局6人の英雄的行為のおかげで

市民も助かり6人も命を奪われなかったんだけれど

その子孫の 殺人事件の

謎の秘匿

それを 死者を行為だけ蘇らせる

ロクス・ソルスの仕掛けで暴かれる真実

という話

6人の英雄の一人だったという

フランソワ・コルティエという人の子孫という設定で

ふうん

6人の中にフランソワ・コルティエという人が居たのか?

と思って 検索したら

6人の名前にこの名前はない!

なんだ!レーモン・ルーセルのでっち上げか!

この4章の中には

花押を巡るような話が合って

これまた面白い

これ

秀吉の花押

ファイル:Tughra Suleiman.jpg

スレイマン一世の花押(トゥグラというらしい)

これに似たものが

フランスにもあったのだ

上のカレーの市民も表彰されて

貴族扱いというわけにはいかないが

代々フランソワという名を調子が相続できるとか

花押に似て

ç この↓の足がマムシの形になっているとか

別の話にもサイン代わりの図形の話が出てくるのが面白い

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第三章のエピソード

2012-07-09 10:36:21 | 外国の本

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

ここにある七つのエピソードが面白くて

短いし

大人向けの朗読コンサートにいいなあ

なんて

もう朗読コンサートに出ることはないのに思ってしまった

有名な話なのかレーモン・ルーセルのでっち上げなのか

怪しいけれど

アレクサンダー大王の暗殺未遂事件

(鳥を調教して殺させる)

とか

ヴォルテールの懐疑主義が 自らに向いちゃうとか

アトラスが疲れちゃって肩に乗った天球をぶん投げて

この天球に腹を立てて足蹴にしたとき

かかとが当たって山羊座の星が乱れたとか

(この話が一番短く数行)

もう笑っちゃう 

そうだ

この潜んでいる笑いが面白い

 

この七つの話は物語のソースになるなあ

神秘主義的

これは 娘は好きそうだ

送ってやろうか?

子供の本で(?)蟻の時代という本がある

蟻の会話の世界に入り込んでいくお話

世の中には

発想の豊かな人が居るものだと

感嘆してしまう

19世紀から20世紀にかけて

ヨーロッパは異世界に思いをはせて

芸術革命を遂げたのだな

パリ万博の日本のものも

想像力をかきたてたにちがいない

で アフリカとか 東洋とか

異世界へ

で心や脳みその異世界にも

新しい世界を求めて羽ばたいた時代だったのだな

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レーモン・ルーセル

2012-07-07 19:21:55 | 外国の本

ロクス・ソルス (平凡社ライブラリー)

 

この本はわけのわからん話が延々と続く

この本について書いたけど

グダグダしたので時々記事に移した

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