ルドンはポーやマラルメ、ボードレールの詩をいろいろ絵にしていた
高校生のころはろくに訳も分からず
なんだか世紀末芸術っていい感じだと思って
あれは何だったんだろう?反抗期の高校生には世紀末芸術の
反逆的退廃的なのがかっこよく見えただけかもしれない
高校時代が世紀末的だったような
などと思いだした
が
私は語学的な資質に欠けていて
もう英語って苦手
勉強ができないのを英語のせいにしていた
(英語というのは言葉のありようからして気が合わないの!)
というよににやけくそ
よくできる子たちの読んでいいた
モームの「月と6ペンス」なんて書いてあることが気に入らない読むに堪えない!
と文句言ったり
然し
友だちが私の英語離れにとどめを刺す武器に
ポーの短編集?詩集をくれた
これならあなたにも読める
と
友だちだから私を読むこと 的確だった
ポーの文章は読むだけで音が表わすので
読める
そういう文だった
辞書など引くのももどかしい(辞書引きでとどまったら意味不明になっちゃう)
読み進めちゃう音の響きなのだ(黙読でも音が響く言葉の紡ぎ方があると
その時初めて知った)
文学史上(美術史上も)ポーの果たした役割なんか知らないけれど
ルドンを見てきてあれこれ思って
そんなことを考えた
↑ルドン 笑う蜘蛛
でも世界史的には現代に通じるんだろうなと思う
当時資本主義が勢いをまし
科学万能めいた世相
権威主義的な芸術界の硬直していたアカデミズム
とかに アンチ として沸き起こった芸術運動なのだろうから
資本主義はもうおしまいめいているよな 経済の破たん
科学万能に見えたけれど
全く手に負えない原発事故
そういう現代だものなあ
でも現代を思うと退廃的になんてなってられないよ?
話は戻るけど
ポーは音の紡ぎだすもので
私の言語能力の硬直を解きほぐしていった
それって とても音楽的なことだ
ルドンも音楽的環境に育っていて
自身かなりなバイオリン奏者だったようだ
(お兄さんは優秀な音楽家だったらしい)
ルドンの黒の階調 のちの色の時代に入っても
色の諧調の素晴らしさって 体が音楽でできていたからだろうなと思った