遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

なるほど現代アートね

2014-05-28 11:08:53 | 現代美術

フロイトこの35億の絵の話題は前にも書いたけれど

現代アートって

そういう話題の世界があるわけで

普通人はだいたいそういうことに精通してないから意味不明

こうなる

そういう世界を垣間見れば面白いことは山盛りなわけで

素人だってそれなりに面白い

けれど

絵描きで世に出ていくということになると

ムラ社会に入るとか

そういう話題性のチケットを手にするか

みたいな感じもあるのかよ?

下らねえ!という気もするけれど

考えてみれば 独創性なんて

誰も考えたことのないことを考えるということとは違うので

どこかが亜流だって

そりゃあ

全ての文化は  亜流亜流 と進展を遂げてきたと言えば

言える

源流 ってのもあるけれど

それを発展させたり影響させ合ったりして

新しい世界はできてくともいえるし。

コマーシャルの世界とかマスメディアの世界とか

そういうものが社会の中で 応用され というか

メソッド化されというか そういう風で

マニュアル化 というかね

なんか人々の脳髄を操作する化け物になっている感じがしないでもない

牛久ビエンナーレで

超デブの裸体が描いてある絵があって入選したが

ホホホ あれを現代的というのかよ

と パクリジャン!という侮蔑感は沸いたけれど

変らぬ物差しで立派な絵だったのかもしれないしね

その手のものがいっぱいあったが

こういう感じの中を若い絵描きは生きていくのね

と思った

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セザンヌ 庭師ヴァリエ

2013-12-10 19:21:40 | 現代美術

Img760

セザンヌの図録を読んでいて

頭が悪くなって

訳が分からなくなった

なぜか

フランス人の文章の翻訳がわかりにくいのだ!

わたしは

どういう風にセザンヌの絵が分析的キュビズムに至るのか

ようく 知りたかったのだが

私の関心や考え方の進め方が

多分フランス人とは全く違う脳みその構造なのだと思うようになった

↑の庭師ヴァリエの肖像は

わたしは素晴らしいなと思うけれど

どこかどうって新しい見方をしたわけではないけれど

筆致というものを重要視して絵を作り上げてきた

この筆致っての 分析的キュビズムの

切 片線 キューブ の

その方向とか組み立てとか

結びつくのがわかってきた

↑1906年の絵

↓1899年の絵 ヴォラール

Img761

ヴォラールもまだ若いなあ

もう単純に素晴らしいとしか言いようがないけれど

ピカソのヴォラールの肖像↓と対照すると

本当に面白い ↓は1910年

Img762

この背景のこれは何?

と思ってたがセザンヌの絵と対照すると

やっとわかった

ちょっと気持ち悪くなってきたので(体調悪いのだ)

また いつか

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平面?立体?

2013-12-06 21:56:53 | 現代美術

Img748

島田章三↑という画家は

キュビズムを取り入れて

それを徹底的に平面化した人なのだな

と思った

図録を見ると分析的なのはやってなかったのか?

わたしは思いつきで

何の必然性もないのだけれど

浅く前後をつけてみるかな?とやってみて

画面が変わっていくのが面白くなってきたところ

ちょっとうるさいが

Img_9350

元の案はこれ↓

Img_9351

大塚先生は

もっときれいな色でやれば?黄色とか

仰ることが意味不明だったけれど

獲りいれ時を描きたいんだから

そうだ黄色で行こうと思ったんだが・・

下のは田圃は平面的に描いたんだけど

上のは ずらして行こうかなと思う

立体的にというか

空間的に前後とか

抜けてつながるとか

そういう絵は描いてみたい気がするし面白い気がし始めた

それが今回の発見

群像でそれやってみよう

田圃自体はまだいろいろ描いてみたいし

田毎の青空 また別バージョンで描いてみたいし

田圃 里山 田舎は画題が多い

も一つ

色々なおばあちゃんも描きたいのだ

おばあちゃんのヌードなんて

もう記憶で描くかな

今日は一人変わった人観察した

多分武蔵の従弟のK君と同じような病気だ

何時もおばさんが洗い場で隣になるとシャワーのお湯が跳ねると文句言う人

このひと

Img749

おなかのあたり

こんなかんじ

で床は正方形の竹みたいなマットがテープで張り合わせられてるが

そのテープの上に絶対乗らない

まず自分のロッカーの前に立つと二ますはなれて立ち

自分のぬれたタオルを二枚 斜め右蓋ますはなれたところに投げる

都合9ます占領して陣を取るのだ

歩くときもかたくなに自分ルールを守っている

ハハハ 変人で面白い

ここまで行かないけれど

老婆は皆尋常じゃないのだ

それって 絵に描きたいのよね

絶対書かせてくれるわけないから

記憶で描くしかない

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抽象画4

2013-12-05 06:23:30 | 現代美術

抽象画の流れは

ドイツ表現主義とキュビズム これが二つの源流なんだってさ

多分こういうことは常識なのだろうが

わたしはそういうことを知らなかった

素人ってそういうことだ

じゃあ

素人はどう見るか

好きか嫌いか

かっこいいかステキか

そんなところだ

だからセンスのいい絵描きさんの絵は

素人にはパワーがある

Img744

 笠間で買ってきた図録で

この島田章三という人は具象だけど

ステキだと思う

彩友会のYさんにみせてやろ!

これはキュビズムから発しているけれど

お絵描きで

素人と玄人の違いって二つあるな

と発見

一つはデッサンを勉強した時期が臨界期前に山盛りやったかどうか

(でも こんなのなくても 玄人になれそうだけど)

もう一つは

体型的に美術史を現代まで勉強したかどうか

(これはものの見方にうんと影響するから

必須かもしれないと思った

ただ自分にはそれが欠けてたと思ったからかもしれない)

まだまだあるかもしれない

だから面白くってやめられない。

さて 安井賞って↑の方は取ったとあるが

大塚先生の話にはよく出てくる

具象画を描く人には多分垂涎の賞だったのだろう

柳田昭氏はそれの最後の受賞者だ

今調べたら 鴨井玲もそれ取ってるんだ

堀君のお父さんも佳作賞もらってる

フウン

センスのいい人は

どうしていいのだろうな

生まれつきかな

生まれつきのものは

見る分にはいいけれど

考えるのは無駄だから考えない

でも

なぜ抽象画を描きたくなる人がいるのか

なぜ 写実はダメよという人がいるのか

リアリズムという語が蔑称なのか

だんだんわかってきた

コメント (2)
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抽象画

2013-12-04 13:55:09 | 現代美術

ある画塾で(子供から大人まで対象)

抽象画を描こうという授業

感情を絵にしようという発想の授業

これだと視覚的な対象じゃないけれど

対象がある絵だよな

抽象っていうのか?そういうの?

多分そういう授業を受けたことがある人の発想なのだろうな

わたしは抽象画って ホント

何か抽象するんだと思ってた

そういう抽象画ってつまりリアリズムじゃん

そういう風に思ってた

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抽象画2

2013-12-04 06:31:32 | 現代美術

生身で

何かわからなくても

抽象画が面白いとかいいなあと思うことはないのだろうか?

と思ったが

あるだろう

と思う

でも

身の回り見渡すとあまりないかもしれないのだ

何でだろう?

 

そもそも抽象画ってなんだ?

wikiによると 描く対象のないのが抽象画みたいなこと書いてある

視覚的に描く対象が理解できないと抽象画だと思っている人は多いがな

描く対象ってなんだ?

わたしは抽象画を描きたい気持ちがずっとわからなかった

何で抽象画を描きたくなるのだろう?

なんか 特別に訓練を受けないと描けないような気がしていて

それがなんだかわからなかったが

この頃いくつかわかりだした

視覚的に見えるものを描くことは楽しいので

生涯学習おばさんはそれだって 充分一生楽しめる

このオザンファンの絵(ああこういうの

人は抽象画っていうかもだけど

対象はあるねえ)

見たKINU洋画会副会長さんは

デザインとはどこが違うんで?といってた

平面構成みたいな絵ではあるよねえ

ああ 平面構成ねえ。

この間の ミロの講座で描いた絵↓

この講座の時オートマティックな画法って

結局絵を描いているときの対象が画面じゃないか

と思った

な~~~ンにも考えないで描いたりするか?

人って

画面を考えるよ

これを描いてたら

大塚先生は私が垂らして黒で跡をつけてたら

この黒い色にグラデーションをつけたらとおっしゃったので

仰天して いやよ

と言ったが

同じ画面を見ても人によって

絵を描いてる過程で思うことがすごく違うものだ

と思って面白かった

ポロックだってオートマティスムだものな

娘の絵もそういう感じだけれど

そういうのを 深層心理と結びつけるのが

おかしいと

わたしは思う

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やっぱり書いておかないと忘れる

2013-11-26 06:09:37 | 現代美術

ああ手が痛い

●キュビズムが表れた時代は第一次大戦のときで

それで

ドイツ的という攻撃を受けた

カーンワイラーとかがかかわったからだろう

●分析的キュビズムのころの絵の解説に

多視点でとらえたものをバラバラにして組み立てた

とよくあるけれど それって 絵を描かない人間の云いだと思ったが

多くのキュビストもそう思ったのかもしれない

それはそれで魅力的な作業だし

私も Tさんを描いた絵をはさみで切り分け

それを組み立てて絵を作ったら面白そうだと思っちゃったしそのうち仕上げようと思っている

●うんと最初はやっぱりセザンヌ回顧展の衝撃から始まったのだと思う

単純化 みたいな感じ

これはこれで 面白いので

そういう風に果物は描いてみたいと思う

ガラスのものとかも

●そのあとの細かい分析的キュビズムの絵

わたしは 実際ものが存在するのを細かい切片と

線 それらが結びついて力が通ることを

分析していったのではないかと思うけれど

実際には描けない

一枚でいいから描きたい

人体が一番分かりやすいのだろうけれど

都会風景でやってみてもいいのかもとも思う

●レジェなどはうんと細かい部分を寄せ集めたのと大きな煙状の広い面積と組み合わせた絵があって

それは魅力だけれど

一つわかってないんじゃないかと思うことがある

それはルネサンス以来の

視覚的リアリズムから視線の解放

というのはないものなあ

それはほとんどのキュビストにも言えるので

キュビズムったってなあ と思った

見た目 キュビストチックでキュビズムっていうのもあったのだよ

わたしだってそういう風だし

●グリスについて

セザンヌの円筒形云々

グリスの把握とピカソの把握は逆という記述があった

そうだ!

グリスの絵が変だと思うのはそこだ

切子面というかそういう分割にものの形の方を合わせている

●色彩が乏しいから駄目だという批判を浴びてたらしい

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概念的な絵

2013-11-21 05:37:27 | 現代美術

美術教育で言う

視覚的リアリズムというものを否定するところから

キュビズムは始まった

そういう風に思った

視覚言語とか韻とか

もう一回視覚的概念を創り出して

画面を構築する

そういう風に理解し始めて

中国ドラマ韓国ドラマを見ていると

東洋の絵って

もともと概念的な絵が多いかも

9a02344b


日月五峰図という絵だけれど

約束事に従っていくらでもワンパターンな絵ができる

下の波を青海波みたいなパターンで描いてあるものもある

概念を絵にするというのは

実は東洋人はそっちの方がなれているように思うけれど

キュビズムとなると

拒否反応を示したり

厄介なことを始めたね

という反応になる

その概念というのが自分勝手だから共通言語じゃないからだ

然し

東洋の絵を見ると

よくもこんなふうに視覚言語を創り出したものだと

感心する

日本もずっとそれ出来たわけだし

だから応挙は驚異的で革命的だったわけだ

で 西洋で捨て去ろうという

視覚的リアリズムというのは

日本人にとっては

新しい

それで透視図法に熱中し

印象派ばっかり という西洋画の世界になったわけだったのだな

でもなあ

鎌倉時代の彫刻はロダンも真っ青だと思うし

始皇帝の時代の兵馬俑の彫刻も

概念的なものではなく

リアリズムだがなあ

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視覚言語

2013-11-18 05:20:57 | 現代美術

Img718

キュビズムの本画集の解説を読むと

視覚言語

この言葉がよく出てくる

それと視覚的韻

キュビズムは形をばらして組み立てた

と見る人も多いけれど

視覚言語 って便利な言葉だと思った

概念を典型で言い表すのが言語

と考えれば

そういうことだ

多視点なんて言わなきゃ惑わされないのだ

と思った

ピカソはこの視覚言語を使って

詩を書いた

と思うと分かりやすい

韻というのも

そうかと思った

そしてその韻に使われる形には民族性とか

文化的背景とかあって

それは西欧世界なのだわ

もう手が…ダメだ 

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忘備録

2013-11-13 20:22:27 | 現代美術

Img706


今日里山で描いていると

どうしたって

キュビズムが頭から離れない

モンドリアンのこの絵

キュビズムを習って描いているのね

わたしはどうしても三角で見てしまうけれどモンドリアンは

円弧と直線

なるほど

それで 里山の木立を見た

円弧ねえ 円弧いいかも

モンドリアンの画面の四隅のフェードアウトについてこの本の論者は

ピカソの楕円の画面へのオマージュととらえている

わたしは線のフェードアウトは空間

力の入れ替え

パッサージュ

と見ているけれどそういう記述はどこにもないし

フェードアウト というのを私のように見ているほかの作家もいない

そういうものか!

と思った

モンドリアンが こういう修錬から何で全く直線水平垂直だけのヨウ素の絵にしたのか

全く分からなかったけれど

そうか発端は キュビズムか

とやっとわかった

里山の手前のわらの山書いてたらキュビズム丸出しになる

そして すごくダサい

ハハハ

ダサくなるものだということがよくわかった

要素をいろいろにすると掌握しきれないよな

Img707


わたしはこの作家(フォーコニエ)は

相当頭の整理が悪く

絵もダサい

と思ってたが

自分の里山の藁の山も

相当頭の整理が悪く

ダサいので もうおかしくって

笑っちゃう

そう簡単に

かっこよくならないわよ

ハハハ

さて

私の言うかっこよさってなんだろうと考えてみた

Img705
これなんか かっこいいと思っちゃうのよね

ウラジミール何とかロシネという人の

彫刻はもう作れないだろうが

いいよなあ

立体作りたい

で私のかっこよさはスピード

キレの良さ

そういうところ

も一つ

ピカソの古典主義への転向について

政治的背景やら

何やら当時の評判やら 読んだ

相当顰蹙を買った出来事のようだ

フフフ

日本の画壇もどうしょうもないが

どこの世界も一緒だなと思った

グリッド画について

わたしはクレーからそういう言葉を使うようになったけれど

これもキュビズム方で

グリッド画ととらえた人は多く

クレーもか

切子細工 という感じ

私も思ったけれど

それらすべて表層の話だし

元のキュビズムのとらえ方は様々に変身

発展して行ったということはよくわかった

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