遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

線のスピード

2013-10-15 19:18:17 | 芸術論

昨日若い絵描きと話していて

線のスピードの話になった

(生涯学習系の講座でクロッキー なぜやらせるかということになって)

線のスピード感 というのには

わたしもこだわりがあり 若い画家にもある

それは DNAかね というと

結局 そういう状態なのを見て育ったということもあるだろうという話になったが

線のスピード感の源泉は

実は日本画の 水墨の中にあるのだね

芦雪は応挙の弟子だけど

ファイル:Okyo Pine Trees.jpg

ほれよ スピード感が全然違う

やっぱり

わたしは走ってる絵が好きなのだな

ピカソもマチスも線は早い

ところでピカソと新美先生(私の主治医)って似てると発見

これじゃわからないなあ

明日は先生に会えるかどうかわかんないけれど

ちょっと

言ってみようと思う

怒るかな?

ピカソの絵はわかんねえ わかんない絵は嫌いだと言いそうだけどね

伝説の天才同士共通するかもなのだ

(新美先生もいろいろ伝説がある)

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世間は無視するに限る

2013-10-15 18:58:12 | 芸術論

さっきまで書いてた記事が消えて

がっくり

世間はダメだ もうダメだ

画廊主んこととか美術界のムラ構造とかの話を聞いて

もう日本は知性は劣化するし芸術は育たない

一億総白痴化だと思ったが

白痴という語が差別用語だからって

変換さえしなくして言葉狩りをしてる

馬鹿みたい

ラジオを聞いてたら

大竹まことの奥さんが若い絵描きの絵を煮まい6万で買って

今じゃン十万に値上がりして

その絵はすごく好きなのだ

心が休まるのだ

といってた

メディアは 恐ろしい

これで

若い無名の絵描きの絵を一枚三万で買っても

ありがたいみたいな話が 通用することになる

話を聞いてると多分6号くらいの絵だよ

若くて無名なら もっと高く買ってやれよと思うが

今じゃン十万という話が来て皆の意識の中には

絵が 株券みたいになって来た

若い絵描きの絵は 先行き値上がりするかもしれないから

貰っとこう みたいなことを 平気で言う人を

大量生産した番組だ

この絵を 俺は ホントに好きだ 見てると休まる

これで見てると休まる絵っていいよねという価値観が 広がった

ああ

芸術家が育たない環境は

テレビ ラジオのせいだ

大学の時 著名な美術評論家の授業が

すごくむかついた

鑑賞教育が大事だという授業だったが

もう 学生を軽蔑していること見え見え

おまえら程度のものが絵を描いたって彫刻を作ったってたかが知れてる

それより 本当に芸術を理解してるのか?

もっと自信が勉強しろ的な話しぶり

そうして 一般大衆は そうやって 優れたゲう術を分かる人間にしなければいけない

という 授業

むかつくなあ

著名だとそんなに学生が馬鹿に見えるのか

と腹を立てたが・・

芸術鑑賞教育って 本当は大事だったかもしれない

芸術って今や 時間つぶし お楽しみ 甘やかし 飾るもの

そういう風なものとして

付和雷同の 価値観でみんな同じような目線で

物を見て 誘導されていく

恐ろしい世の中だ

でも アルカイックスマイルも 北魏 異常に同じ口角上がりの

仏像 これは物ずつ来る人たちの間で 付和雷同 だったのだよね

そう考えれば今の時代も

時代の表現ではあるわけだ

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今って芸術の暗黒時代だよ 多分

2013-09-10 06:20:32 | 芸術論

19世紀から始まったかな

この資本主義時代は自滅に向かってると思うけど

これを打倒して新しい時代を切り拓けなかった人間の文化が

腐っていくのは運命かもしれないと この頃思う

全てが消費されるもので その枠組みに芸術も呑み込まれてしまってる

これの恐ろしいところは

この腐敗菌は人間の想像力も感性も知性も腐敗させるんじゃないか?

という気がしてきた

そこ行くと 埒外の退職老人は一番犯されにくいかもしれない

体力のある老人が革命家になるかもしれない

でも この腐敗怪物はよってたかってそれを殺すな 多分

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学術論文と芸術

2013-08-21 08:52:17 | 芸術論

わたしには学問がないのでよくわからないのだけれど

学術論文とか芸術とかって

泥棒に合うほど値打ちがあると思う

泥棒って絵を盗んでどこかのオークションに出てっていう

そういう泥棒じゃなくてよ

名称未設定 4

この絵とそっくりの構図でそっくり似たように描いて

(すごく下手だったけど)

〇〇連盟展に出てた絵があった

柳田さんにあこがれる人々が彼の教室に集まって

似たような絵を描いてるのだろうが

肝心なところは教われないのだなあ

と 不遜な感想を持ったことがある

似たような絵を描かせたい絵画の師匠は多く

描きたい弟子も多く

内心わたしは あほと違うか

と思ってきたが

この頃違うな

と思うようになった

それは笠間美術館の講座で

模写をさせていただいてからだ

↓ドガの模写

絵の世界では 模写って 昔から東も西も勉強方法として定着してる

美術教育の実践でも模写の授業って結構あったけれど

わたしはいまいち狙いを構築できないから

手を染めなかった

上手な絵を描く手段 みたいなんだモン

(そういう風に模写する人も多いしな 実際)

でも

ハタ と思った

わたしにとって人生に芸術があるって

何がうれしいかって

新しい世界を歩き回る術だから

鑑賞するのもうれしいし

稚拙な絵を描いていても飽きないのは

新しいものが次々現れるからだ

 

学術論文は読んだってわからないし

素人には難しいけれど

芸術に関するものは 少しは興味もある

だいたい図録にはそういうものを素人にもわかるように書いてあるものもあるからな

翻訳小説の後書きなんかもそうだ

文学については知識の足りない私には

美術に関するよりは

そういう文章を読んでも 頭の中に歴史的にとか社会的にとか

関連付けられた妄想は構築しにくいけれど

同じ学問の世界にいる人同士では

多分他人の論文は !!!!ひらめきを与えられるものに出会うときの喜びは

多分

すぐれた芸術に出会って

!!と喜ぶ 素人と似てるかもしれない

そういうものが一杯ある 芸術や学術論文は すぐれている証拠だ

だって そういう仕事って

人々に新世界へ導く仕事じゃないか ね!

だから 私は 知的財産権 って言う考え方が好きじゃないんだ

今は野蛮な時代だから

そういう権利を思うことは大事だけれど

・・・・

もっとも ある場所で ある人が 私の絵を勝手に持ち去って

小さい チョロット描いた絵だし もらっていいものだと思った

というのだ

その時は腹を立てて いいかどうかぐらい聞いてよ

と怒ったけど!

この絵だ

まだスキャンしてなかったし

カットに使う気だったんだモン

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浮世絵と娯楽芸術

2013-04-05 22:06:18 | 芸術論

浮世絵って

言ってみれば 娯楽芸術よね

お楽しみに買い求められた絵だもの

それが

今や ジャポニズム芸術という風な感じで

昇格している

お楽しみに買い求められるから 低俗だという気はないのだ

絵描きが 絵って インテリアじゃないんだけど

と言ったりするけれど

実際は普通の人が絵を買い求めるのは

インテリアとしてッて多い

これまたお楽しみ

お楽しみ要素は 大いにあるものだもの

それいいんじゃないか?

でも 浮世絵の場合

芸術的存在価値は大きい

ヨーロッパに渡ったら ちょうど当時は絵の平面性ということが

浮かび上がってくる時期だった

アフリカの芸術が キュビズムに一撃を与えたように

浮世絵も 空間感の変革に一役買った

当時のモデルニテに大きな影響力を持つにいたったのだもの

逆もあったし

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オッホッホこっぱずかしい話

2013-04-05 10:40:06 | 芸術論

だからこっちに書くんだが

多分Yさんと 北国さんも読みそうでこっぱずかしいのだが

考えることはすぐ書きたい病気だからしゃあない

子供のころ 自分は何をしたいのか

色々考えるではないか

わたしは ともかく本読み人間だったので

中学の時 ただただ面白おかしい子供時代から

色々考える人間になったころ

出会ったのが チボー家の人々だった

本を読んで物をあれこれ考える

友だちと語り合う

そういうことの面白さに目覚めて熱中

教科書には有島武郎の生まれいずる悩みというのが載っていて

宿題の感想文を読んだ先生が

有島武郎の本をもっと読め いろいろ考察して

書いて来いという課題をくれた

おおお書きに書いて 原稿用紙50枚の作文を提出した

それで 一人の作家について考える面白さにも目覚めた

先生は特別かわいがってくれて

ご自身の参加する劇団の公演などにも連れて行ってくださった

(我が家は 映画には連れて行ってくれるが

演劇鑑賞に連れて行ってくれるような家ではなかった)

あとね 学校の鑑賞行事だったと思うが

国立博物館にゴッホ展を見に連れて行ってもらった

(我が家は そういうものに連れて行ってもらえるような家ではなかったので

こういう展覧会は 初体験)

これが衝撃的な体験だったので

幼い私は興奮しまくり

芸術の世界がこの世で一番おもしろいと思ったのだよ

子供の進路は 理系だの文系だの言うけれどね

私の関心は 芸術系に方角は決まった

しかし いかんせん 才能には恵まれていなかったので

呆れかえるような過程をたどったのだが

それは いいのだ

才能って 何よ ないからって何が悪いんだ

人に対して説得力を持てないだけの話じゃないか?

わたしは自分さえ面白ければいいのよ

というわけで 才能はない美術の世界に入り込み

それは実ることもなく根性も足らず

生活に追われ 美術教師として

悪がきを追いかけて

老年期までもたもた来たのだが

今思うに

疑似芸術というのね

ロドルフ(たぶんラ・ボエームの原作者ミュルジュールもこういう考え方だったのでは?

と思うが)のいう

芸術とは欲望と虚栄心を満足させるたかだか一手段にすぎない

こういうのを 多分娯楽芸術っていうんだと思うけれど

それのどこが悪いのさ

(これまた今度書く)

でも 芸術の存在で一番大事なのは

やはり人間の価値観美意識思想などなどに 変革を起こし続ける

ということだと思うのだ

だから 常に変わらねばならない

と思うのだがな

新しい地平を拓く というのが芸術の要件だと思うので

美しいとか 素晴らしいとか

快をもたらす働きが 消費的なら 娯楽芸術ということになるのではないだろうか

そう考えると

その作品が価値があるかどうかというのは

何の価値か というところが問題だし

関係性の問題だと思うのだよな

さて 出かけなきゃ

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R.G.コリングウッド  2

2013-04-03 08:03:10 | 芸術論

この人のこと

ヨットのために書きだしたのじゃないのです

芸術論のこと

擬似芸術にこの世はおおわれているぞという意見だったそうだ

擬似芸術って

人生のための芸術である魔術芸術と

芸術のための芸術である娯楽芸術という類型

この二つに類型化されるというのだ

でもこれ WIKIで読んだだけでね

ちゃんと本読んだだわけじゃないから 浅い理解だけど

魔術芸術と娯楽芸術というのは

今もそうだな

エンタメ って何よ って 娯楽芸術 感情を高揚させる芸術

だよな

魔術芸術って  ためにする芸術  教会のための芸術とかね

本は出たんだな

今は古本しかないし

高いから

図書館を漁るかな?

芸術の原理 (1973年)

この勁草書房

友人が勤めていたがな

出版にかかわる仕事したのかなあ?

1973年 発行じゃあ もういなかったかもしれない

じゃあ 疑似じゃない芸術を

どうとらえていたかは

まだよくわからない

 

さあ 朝の辛い時間が過ぎて

だんだん 運転可能かも となって来た

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