この人のことは良く知らない
バラモンの僧で 人殺しをして
生きながら地獄に落ちて 仏様に救われた
という人らしい
千手観音のお供の二十八部衆の一人だ
この像は三十三間堂にあるじゃないよねえ
でも
鎌倉彫刻とルネサンスの彫刻と
そのリアルな表現について比較して述べているページに
妙法院のものだとあった
両方にあって片方は模刻ではないかというのだが
気になるから調べた
ハハハ
三十三間堂って本坊は妙法院だって
せいぜい知ってたって蓮華王院三十三間堂等名前くらいだ
秀吉が死んだあと三十三間堂は妙法院の管理下に置かれるようになったのだって
↑の本はなんでわざわざ妙法院なんて書いたんだろう?
模刻を探したが
すごく気持ちの悪い模刻があった
ゴム細工みたいな彫刻
この頃そういう彫刻をよく見るが
おえ~~~!!!
↑のは運慶の息子の一人湛慶の作とも言われてますが本当かどうかは分からないらしい
教科書とかに この四角頭の写真がよく載ってたから
知っているような気でいたが
実は
大して知らない
えいさい と思ってたらほんとうはようさいだって
でもようさいジャ変換はしないがね
展覧会では
この人の800年忌とかで 知ってる人はありがたく
いろいろな文字も読んだのだろうが
わたしは知らなかった
このころの日本から宋にわたった坊さんだの
宋からやってきた坊さんだのの物語があればいいのに
テレビドラマがあればいいのにと思った
宋では重源に向こうであってるんだそうだ
「重源」という小説はあるよなあ
読んだが忘れた(私は覚えが悪い)
どこかにあるなあさがしてみよう
うちにこれと同じ版画がある
こういうのを作るのが好きな人がいて
貰ったといってた
今日浮世絵を一杯見て
しみじみこれって印刷文化だなあ
と思い
すごい技術だ
こういう彫り師と刷り師もすごい
これを 庶民の手の届く値段で買えるというのもすごい
いわばファッション雑誌みたいなものだっていうのだが
おっしゃれ~~!!
ウフンすってき~~!!
なんていう乗りで
人々の間に伝搬していったという江戸時代
って
すごいねえ
リサイクルもすごかったというし
社会のありよう
その中にはこういう風に文化が多くの人に享受されて行ったというのが
いいなあと思った
見ていると隣のオッチャンが連れの人に行っていた
浮世絵はね 一ミリの中に何本髪の毛を描いているか見るんだよって
そうみると
ホント 脱帽
ところで雨の音がすごいな
///
武蔵が帰ってきたので この図柄の版画がわがやにあるいきさつをきいた
我々は文京区で働いて住んでいたのだけれど
かいわいに
浮世絵好きが居たり(コレクションがあってギャラリーがあったり)
美術の専門教育を受けた人も結構いて
趣味でこういう浮世絵を模刻(版画も模刻っていうのか?)したりする人もいたって
うちにあるのを作った人はおばあちゃんだと言ってた
それで もらったそうだ
コメントにある
花てぼさん紹介のデービッド・ブルさんはイギリス生まれのカナダ人
浮世絵に魅せられて 版画家になった方のようだ。
わが家の版画 壁から降ろして傍で見て
なるほど なかなか 髪の毛ってたいへんなものだ
あと 眼差しがかなり違う
でも 衣装や姿など よくとらえてある(色はわが家の方がかなり鮮やかだ)
コピーを写したとしてもよ
それを彫り 刷るまでの行程 これが大変だな
そうだ! 髪の毛ってさ
そこの版木につげの木を差し込むんだって聞いたこともある
そういう版木の象嵌をする技術者は
版木師というのだが今はもういないそうだ
脱線した
朝鮮から日常雑器を持ってきて
新しい美を見出し 茶道で使われたのかどうかということ
だった
前は私も そうなのだ(井戸茶碗とかは朝鮮の雑器だと)思ってた
だから 茶道をたしなむ友人も そう言った
で
私が ちょっと待て それって嘘かもって
祭器というよ?
そこから脱線して 日本と朝鮮が お互い
相手を見下したい競争するもんだから
話がこんがらがったかどうか
訳が分からなくなってしまった
いろいろ 探したが
わたしは こういうのは朝鮮では祭器だったと思う
ドラマなど見ると 食事風景 お茶碗持たないものね
日本人の感覚だと
行儀悪く見える食べ方よね
この安定の悪い形はそういう日常には向かないと
私も思うし だいたい この手のものが発掘されないんだって
日常のものなら うじゃうじゃあって当然だろうというのだが・・
秀吉の朝鮮出兵の時の朝鮮側からの描写を見ても
祭器だというのに やたら 欲しがるという話も出てきた
柳 宗悦氏は 民芸運動を起こす時
日本の民窯の生活雑器の美を見出した人でもあるので
こんがらがったのかもしれない とおもった
わたしは 楽茶碗を愛した利休とかの審美眼に 朝鮮のこれら祭器は
う~~~ 素晴らしい! と思わせる展開になったのだと
思う
上が又兵衛の 下が狩野永徳のです
上のをよく見ると
まあすごく世俗的な風俗画で
上の上のは坊さんがお経を読んでいる行事の陰で
右奥では年取ったエロ坊主がお稚児さんに抱き付いてる?
女にかもしれない
その左の方では泣いている子供を乳母だかがなだめ
太鼓持ちが奥方をどこやら怪しげなところに誘い出だしていく
下の画面は遊女が踊るさまをお武家さんらしき男たちが
顔を隠して?眺め入って
全く ねえ そういう風なことが
又兵衛の絵の中には山盛りエネルギッシュに描かれてて
確かに浮世絵の祖と言われる人ですね
この人のお父さんは信長に反逆した人で一家は惨殺されたけど
子供の又兵衛は乳母に救い出されたのだそうだ
どもりの又兵衛って言われたというけれど
どもまた って 子供のころ講談で聞いたことがある
関係あるのかなあと調べたら
歌舞伎にもなって
傾城反魂香 てのがこの どもまたの話でモデルは又兵衛だそうだ
これ歌舞伎のポスターだけど
この演目の組み合わせ
いいねえ!
見たい!
下の永徳の描く群衆などはおとなしいものだな
ところで この頃やっとわかったことがある
下のマネのオランピアの絵はサロンに入選したけれど
不道徳だと不評を買ったという話
アカデミズムから見るとゆるされない描き方だ
というのは
題材が娼婦のヌードを描いた
黒人の召使を描いた
ので怪しからんのだそうだ
サンダルはいて
黒紐を首に巻いているのもいけないらしい
何が許せるか許せないかって
文化圏によっていろいろ違うから難しいものだな
これはただのわたしの思い込みかも知れない
この芦雪の烏の絵を見て
すげえ!!と思った
鋭い方向性とその勢いと
で 幽霊画
幽霊画はこれより前に
応挙の絵をそのまま写したような幽霊画がある
でも微妙に後頭頭頂部が減っていて
衣装の線の方向が違う
それが
何を生み出しているのか
考え込んでしまう
迷企羅大将左
因達羅大将右
この左のめきらさん は人気ですねえ
動きも軽やかだしね
わたしもこれがずっと一番好きだったけど
右の 一見ぎごちない動きのいんだらさん
何という味わいの深さでしょう
昨日は 素晴らしい展示だったので
この板彫り十二神将の魅力にしびれてきました