遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

山里さんちにコメント

2013-09-02 08:13:54 | 古代史

朦朧とした頭に名前はしっかり入らないけど

その記事を藤原氏の子孫が書いてるところが面白い

神の名を載せた天皇の名前の人には隠された秘密があるって

だれかが言ってなかったっけ?聖の字だったかなあ?

でも神の字だなきっと

でも暴く楽しみを子孫に与えたようで

結構パズル好きの古代人かもね

ところで浦島太郎伝説って東南アジアにも多くなかったっけ?

中央アジアにもあったらワクワクするって

自分で調べろ?

やだ めんどくさい

教授の古代史百科事典がいいわ

コメント (4)
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ブログ大学が忙しいぞ

2013-08-28 21:18:49 | 古代史

山里教授が古代史講義はじめた

わたしの弱い頭では追いつかず

プララのブログに相変わらずコメントできない

(さっきナツさんちはOKだった)

目を引いたのが

鉄の文化の移入

日本に入ってきたことがいろいろな説話に残っていて

浦島太郎やアメノヒボコや武内宿祢がだれかという話は

多分後の世代の人たちの

自分に引き寄せる作為が働いているだろうから

わたしは名前はどうでもいいのだ

(名前を覚えきれない境地だからというのもあるけどさ!)

鉄は2.3世紀に日本に伝わったのね

韓国ドラマを見ると 鉄はかなり重要な要素として出てくる話が多く

ま いつものデンデ まるで朝鮮半島が鉄文化発祥最高の技術

みたいな描き方だが

朝鮮半島に鉄が入ってきた物語ってないかなあ?

この間孫子の話のドラマを見てたらこれまた

武器をゲットする構想の中で

職人が農機具を作りたい 武器はもう作らないという話が出てくる

(結局武器を作るけど)

この時代 もう農機具に鉄使われてたんだ!

調べたら紀元前5世紀春秋時代に中国では農機具の鉄 普及始めた!

これ どういう風に朝鮮半島に伝わったか

知りたい

もっと西に行けばもっと古くヒッタイトの鉄文化がある

(これ 老人の基礎学力ではこうなるけど

もっと違う発見もあるらしい)

この辺も 調べると 鍛鉄文化と 鋳鉄文化は違うらしいのだが

(鍛造と鋳造の違いは分かるけれど)

歴史的地理的はどうなの?その技術の伝搬状況をイメージできるように知りたい

自分で調べろ?

やだあ

めんどくさい

山里教授の授業がいい!

わ~~い教えてくれたぞ!!

遊工房さん、こんにちは。
授業が始まったばかりで、出席も取っていないのに、
まだ単位はあげられません。
しかも、自分で調べもせず、『嫌だー!』とゴネて、
生徒が先生に課題をだすとは・・・。

いいよ、解ったよ!

製鉄が始まったのは、紀元前2000年くらいに遡ります。
エジプト時代ですね。
ヒッタイトからシルクロードを伝って、
タタール人が持ち込んだのでしょう。
中国では夏・殷・周と経て、
漢の時代に朝鮮半島の伽耶国(鉄が採掘された)を通って、
北九州にやってきたのです。
福岡市に多々良川がありますが、
蹈鞴(タタール)の痕跡です。

 

わ~~い教えてくれたぞ!!頭に入れたいのはこれだ

漢の時代に朝鮮半島の伽耶国(鉄が採掘された)を通って、

なるほど

色々つながってきた

タタール人 蹈鞴(タタール) 福岡市に多々良川

タタールかあ 多々良って窯場もあるよね

ふっくらとかっこいい壺

?佐賀県か

ダッタン人と言えば

わたし こういうイメージ

あと 蒼き狼に出てくる

ジンギスカンが征服を始めるころ

タタールをやっつけタイチュトをやっつけ・・と次々と

殲滅していく

何だ?

紀元前2000年とか1000年とかそういうときもタタールっていたのか!?

知らなかったけど

どうやらタタールって特別の部族民族を言うわけでもないみたい

上のダッタン人の踊りも 別の部族らしいし

タタールって聞くだけで ワクワクするね!

コメント (2)
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東夷の蝦夷考

2013-01-22 07:10:28 | 古代史

山里教授から課題が出た

蝦夷について考察せよ

愚かな東夷のおばちゃんに何ちゅう課題だ!

蝦夷って この文字は

どちらもえびすさんです

下の絵は カツオがありえない姿(生きているときは模様はないのだそうだ)

だから封印してあったのだが

背後にいるジンベエザメ

これをえびすとも言ったらしいよ

私はてっきり エビかと思った

えびすさんは

海の守り神だと思ってきた

だからこの間

村のお社でみた頭が魚の神様は

勝手にえびすさんと理解することにした

Img_0690

えびすさんのルーツを探ると

蛭子命 だの 事代主神 だのともいうよ

わが茨城にも ことしろぬしさんは 一言主神社に一言主として祭られている

ともかく

中華思想から出た

野蛮人という意味だ

戎 という字もそうじゃないか!

差別だ!

でも日本人って えびすさんといって 大いに市民権を与えている

ざまあみろ だわ

私がアテルイの話を読んだのは

もはや30年以上前のことで

記憶が定かではないけれど

蝦夷 と呼ばれていた人たちが

ヤマト政権によって 蝦夷とされた

ふざけんじゃない

という思いについて 目を見開かされた

この時からだよ

東北の鬼に関心を深めたのは

それで

福島の原発事故についての

政府の差別的な無神経さに腹を立て

東北の鬼に会いに行って

去年の絵になったのだよ

蘇我の蝦夷もね

この蝦夷という名は 死後 蘇我氏を悪者に仕立て上げるために

それを必要とした

大和朝廷側からつけられた名前だそうだよ!

為政者は あくまでもまつろわぬものを

鬼に仕立て上げ

蝦夷とさげすむ

そういう構造だ

私は馬子とか 入鹿とか たしか うさぎ という名前もどこかで見たが

渡来人には

動物の名前を付けるの?

と思ったけれど

その辺の名前の由来は

わからない

でも

馬子と入鹿 合わせて 馬鹿? 

そういう馬鹿にした話というわけではないらしけれどさ

さて

これまで 古代史を振り返ると

東洋は

そういう為政者の巧みに組み立てた

差別構造というのが見えてきたのだけれど

西洋の

神の問題というのが

神様と親しくないので

いまいちわからない

私は自分は無神論だと思ってきたけれど

こうして考えると

血の中には

多神教の神々が住んでいる

だから

西洋式の唯一の神への帰依というのがわからない

それが根底にある

「罪と罰」

「赤い橋の殺人」

これを読み深めると

これが ネックだ

そう考えながら

ミッションスクール出身の友や

修道女になりたかった友のことを思い出している

 

はい

教授

レポート提出です

稚拙なレポートだけど

単位 おくれ!

↓の考察も 超面白いです!

http://hisuaki.s25.xrea.com/iroiro02/iroiro%20250.html

山里教授の講義は↓

http://pub.ne.jp/nennkinngurasi/?daily_id=20130122

ハハハ 単位認定は 外れるな

コメント (3)
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忘備録

2012-03-20 19:52:40 | 古代史

山里さんちの講義が面白いので

忘れるといけないから

(だいたい三歩歩くと忘れる)

書いておく

さて・・・第二回目の講義です。
テーマは「天照大神は男神か女神か」でしたね?

伊勢神宮と言えば、日本人なら一度や二度くらい行った事がある神社です。
私は、学生時代に、一人でブラリと旅行した事があり、以来、二回ほど参拝しています。
鬱蒼とした森の中に、厳粛な聖なる佇まいがあり、心が洗われる経験をしました。

ここは、天皇家の祖神と言われる天照大神が祀られています。
しかし、私には解らない事が沢山ありました。
天照大神って一体誰だろう?と言う事です。
日本書紀の神話の世界で言えば、イザナギノミコトとイザナミノミコトから生まれた、
三人の神(天照大御神・月読命・スサノオノ尊)の一人であると言います。
これは神話ですから、真実とは大分懸け離れた話しです。
天皇家は尊い存在である!更に神も尊い!
故に、天皇家は神から生まれた尊い存在なのだと言う事でしょうか?

元来、古代の日本人には稲作儀礼と太陽信仰があり、その中心に天照大御神が
祀り上げられていたものと思います。
天照大神は別名大日屡貴(おおひるめむち)と言います。
オオヒルメムチとは、太陽神を祀る巫女の事で、
それに似た人物に邪馬台国の卑弥呼がいます。
卑弥呼は日の巫女であり、太陽神を祀る巫女なのです。
その卑弥呼が、天照大神に重なったように思います。
ここまで言うと、天照は女神じゃないかと思いますね?

ところが、伊勢に祀られている天照はそんな簡単ではないのです。
天照大神は、最初から伊勢神宮に居た訳ではなく、
その以前に、幾つかの宮移りがありました。
最初の宮は、今で言う福知山の北、大江町にある「皇大神宮」で、
「元伊勢神宮」とも言われています。その近くには、豊受神社もあります。
天照大神は、その後、幾つかの遷宮を経て、奈良の三輪山の山頂に祀られていました。
三輪山と言えば、出雲の大物主神が祀られているところです。
三輪の神は男神で、天照大神と大物主神が一体分身であると言われていました。
本来、太陽神は「陽」で属性は男性なのです。
中世では、伊勢と三輪は一体だと言う説が自然だったのです。

                     ☆

元々、神武東征以前に、既にヤマトでは出雲の大物主神が統治していて、
更に、吉備よりニギハヤヒノミコトがやって来て、ヤマトに君臨していたのです。
これが国譲り神話の部分になります。
そして、最後に神武(応神)がヤマトに迎え入れられたのです。
この辺りが、捏造され改竄されて、ややっこしいところなのです。
初代天皇が3人の天皇に分割されて、曖昧にされています。
ここを説明すると、長くなるので省きます。

しかし、神武天皇がヤマトの王位についたと言っても、
実権を握っていたのは吉備の物部だったのです。

ヤマトの吉備の王・崇神天皇が、疫病の蔓延で人口が半減する災いに見舞われた。
これは、出雲神の大物主神の祟りと考え、天照大神と倭大国魂(大国主)の二柱を、
天皇の宮中内に祀っていたのです。
しかし、祟る出雲神の、あまりにも神威が強すぎて、
三輪の神(出雲神)を遠ざけるようになったのです。
そして、遂に伊勢の地に追いやってしまったのです。
その大神神社(三輪神社)の周辺では、古来より言い伝えがあって、
それは大物主神と伊勢の神は同一だ、と言うのです。

と、なると・・・天皇家の皇祖神と言われる天照大神は、大物主神のことなのか?
一体、誰なのかと言う疑問が残りますね?

伊勢神宮が整えられたのが、7世紀の持統天皇の頃です。
天皇家のための神社、と言うイメージがとても強くありますが、これ本当でしょうか?
私には、強い疑問が残っています。
何故ならば、今までに伊勢神宮に参拝された天皇は二人だけです。
一人は、伊勢神宮を整えた持統天皇で、もう一人は、京都から江戸に遷都した
明治天皇だけ・・・1200年間でたった二人です。
これは異常だとは思いませんか?

注・持統天皇以前には、天武天皇(大海皇子時代)が、
吉野から東国(尾張)に落延びる途中に立ち寄っています。
壬申の乱の戦勝祈願です。

                      ☆

この次は、男神だった天照大神が、女神に摩り替った謎を探求してみましょう。
★授業についてこれなくて、寝ている生徒が見つかったら、授業を中止します。

以上山里さんの記事

 

以下コメント欄より

青字山里さん

赤字私

ゆすらうめさん、こんにちは。
昭和天皇は参拝していません。
明治天皇は、京都を離れる時に、
お別れの挨拶に参拝しています。
そして、江戸に来た時には、武蔵一ノ宮の、
大宮神社に行幸しています。
何故だか解りますか?

本当かウソか
色々勝手につなぎたくなる
 

そうか
梅原猛流に言えば祟る神を
鎮める
と言うのがすべてに当てはまるなら
伊勢神宮は
鎮めの宮なのかもしれない

出雲と大和の謎がどうにも絡んで
興奮するなあ

最初の宮が大江町!
ふううん

大物主って 大国主との関係は?

両者を一体と言う説もあるし
大国主とオオアナムチと八岐大蛇も一体と言う説もあるし

皆混沌と一体になっちゃう


あやしい
怪しすぎる!

大江山の酒呑童子は八岐大蛇の末裔の
伊吹の弥三郎の息子と言うのが私の設定なんだが

あやしい

古代の民族争いの 皆殺しにされたり滅ぼしたりして
怨霊に祟られると恐怖した
神格化かもしれない

それが 太陽神と言うのも
不思議


フウン 天皇家はろくに参拝はしていないのか

祖先じゃないねこれは


教授は学問として追求だな

生徒私は勝手に妄想を逞しく・・・

ともかく蛇だ!

遊工房さん、こんにちは。

素晴らしい!・・・。
仰る通り、祟る怖ろしい神なんです。

大物主と大国主の関係は、一体だと言う説がありますが、
私は、イマイチ断言できないのです。
別物ではないかと思えてなりません。
何故なら、「物」が付いているからです。
物は物部の物、物の怪の物、武士(もののふ)の物ですから、
吉備から来た、天照国照彦火明尊ニギハヤヒではないか思っています。

ヤマタノオロチは産鉄民のことだと思います。
今の島根県仁多町・横田町辺りに居た蹈鞴製鉄民
の事ではないでしょうか?
彼らは、山の木を伐採して、燃料にして鉄を生産していました。
禿山になった山は保水力が無くなり、
暫し、洪水を引き起こし、下流の斐伊川を氾濫させたのです。
暴れる川を大蛇に擬えたのでしょう。
その産鉄民をオロチ族と称したようです。
中国山地を挟んで反対側の、吉備の桃太郎の鬼退治も、鉄を巡る争いなのです。
伊吹の弥三郎は知りませんが、伊吹と言うのは、
息を吹くと言う意味で、蹈鞴のフイゴの事です。
ついでに言えば・・・。
オカメ・ヒョットコのひょっとこは蹈鞴の「火男」の事で、
一つ目小僧は火穴から火を覗く仕事で、目を潰してしまった人。
一本足オバケは、蹈鞴でフイゴを足で踏む仕事の人が、足を駄目にしてしまった。
など、蹈鞴族を揶揄したものです。

ヘビ信仰は稲作民の古代信仰です。
春の田植えの頃に出てきて、秋の収穫が終わる頃に、冬眠に入るヘビ。
そして、脱皮を繰り返す事で、生命再生の神として、崇め祀られました。


すご!
面白い
この教え
忘れるといけないから
私の記事に写させてね
息吹きの弥三郎が八岐大蛇の末裔はこういうことか!
たたらって蹈鞴って書くのね初めて知った

昔オオアナムチの冒険って人形劇の映画があった
その解釈もかなり変わっていて

ほらしっぽから刀が出てくることが
製鉄を巡る闘争の象徴だって
そこで聞いたことがある

この辺と朝鮮半島のつながりも知りたいんだよな


遊工房さん、蹈鞴について一言付け加えます。
元々は、タタールから取った名称です。
世界史で習ったと思いますが、
タタール人の信仰する拝火教です。
昔の間宮海峡は、
今ではタタール海峡と呼ばれています。

朝鮮半島との繋がりは、追々、書く事にします

 

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