忘れていたが
ホームページを立ち上げたのは
去年の5月12日だった。
一周年過ぎたんだ
でもいまだに工事中
ガウディではないが
永遠に工事中みたい
そんなことないか
死んだら終わるけれど。
さて、5月31日。
体重目標は500グラム超過達成です。
しかし寒いせいか、血圧は高いし
今朝は曲がらない関節が増えてました。
あさって、KINU洋画会は
お天気ならば真岡の井頭公園に花を描きに行くのです。
・
この早朝集合が弱い。
緊張して早起きしてしまうのです。
早朝は血圧が高くて動きたくありません
遅刻恐怖症なので、それをとめることは出来ません。
だから、前日いつも行く真岡のプールのホテルに泊まる
そう決めたのですが
雨かなあ。予報は晴れなのです。
・
久子さんがいらっしゃる水、木も予報は雨。
これも困った。
もし雨なら筑波山に登るのだけ金曜日に移し
陶芸を木曜日に、終えてから夕方真壁に行きましょう
中学生から高校生の合唱ほど胸高鳴る音楽はないと思う。
お子さん、お孫さんの合唱を聞いてそう思う方は多いでしょう?
子どもの高校の合唱のCDが
見つかって
聞いています
ああああああ^^
もうこういう合唱を浴びるように聞くことはないのね
さびしい
聞いて!
15周年の同窓会に
歌おうと集まった子達の歌
この合唱に娘はいます。
息子はいません
今朝3時ごろからだがかゆくて目が覚め
眠れなくなった。
豆の収穫をして
アブラムシにたかられた。
小さい緑のその子らにアレルギーを起こしたか
かゆい!
うろうろ外用薬の引き出しをあさって
「キンカン」あった!
塗ったら痛い!
で、また眠れない。
そうこうするうち眠って起きたのは9時近く
また指が腫れ上がって曲がらない
外は雨だ。
と言う朝でした。
1時間で治ったけれど。
明日は、陶芸デー
おなかがすくといけないので
パンはいっぱい買ってきました。
サラダやスープを作れるかどうかは
明日の天気しだいです。
晴れて暑くなれば
何か美味しいものを作りましょう。
雨なら、みんな
あるものでおなかをふさいでください。
・
今日は一日雨でしたから
シルバー陶芸デー
おばさんが作りたかった炭入れ第三弾を作りました。
そこへおばさんの従妹がやってきたので
出来上がるまで
そっちのおばさんも箸おきとか作れば
と、強引に参加させちゃいました。
ぶつぶつ行ってましたが
出来てニコニコ
老年精神科の臨床読み終わった。
おもしろかった!
・
つい、正当性をもって家族を追及したりするけれど
それってインチキなのね。
夫婦喧嘩なんて
「あなたのやってること、信じられな~~~い!」
と、攻撃しあっているようだけれど
常識で測れば
はずれまくってる2人で
目糞と鼻糞でけんかしてるのよね
笑い事ではなく
それで家族の中で、追い詰められていくのが年老いた人
私はそうやって親たちを追い詰め
子どもを追い詰め
夫を追い詰めてきたね、きっと。
私も追い詰められたけど。
・
この間、おばさんが
「●さんがこの薔薇をほしがっていたからやらなきゃなんない」
と言うのでびっくり。
●さんは、その日初めて我が家に来た私の友人です。
外でおばさんとはお会いしたことはありましたけれど。
常識として、初めて訪問した家で、綺麗に咲いてる薔薇の木を
くださいとは言うわけない。
それで、
よくよく聞いてみたら
「綺麗ねえ、綺麗ねえ」とさかんにほめていた。
だから、くれと言われたと思ったのかと思い、
「おばさん、それは感激して褒めてくれたんで
おねだりしたんじゃないのよ」
と、いい
夫も「そうだよ、あまり綺麗に咲いているから
褒めてくれたんだよ」
と言った。
・
そうなのだけれど
それは浅はかな話。
・
実はおばさん自身は
褒めるときは内心すごくほしい。
この間、初めて言った友人のお庭を見て
感激。褒めまくっていて
友人はどんどん花をくれた。
ホクホクもらって
????
褒める=ほしい
そういう図式は確かにおばさんにはある。
だからあまり褒められると
ほしがられたと思うのね。
こういうやり取りは
ちょっと違和感があって
私の友人がおばさんにねだった、
それを、あつかましく思ったか?
と、私が思って、
おばさんの言うことを否定してしまった。
・
実は
お年寄りって
ねだられて、やらなきゃなんない。
そういいながら、ねだられた気持ちよさを
そういう風に表現したりもする。
・
そう思ってねだりすぎると
怒られたりもするんだけれどね。
・
高齢者の表現をどう読み解いたらいいのか
考える助けになった。
この本。
・
一方で、私を問題行動に走る高齢者、
娘や息子が
私を扱いかねてる若い層という状況を空想すると
あの2人
絶対、常識を振りかざして
私を断罪する!
よし!
対抗手段を鍛えなくっちゃ!
今日と明日ギャラリーは病床の義母です。
このお母さんのことを書いた手紙が出てきました。
死へ向かう床に着いていたお母さんの最後の生きた姿は
生きているからだのすごさを教えてくれたのです。
この手紙には姿勢を支える、表情を支える筋肉のことを書いたつもりですが
私の母が亡くなる少し前
調理をするのに
台所の床にまな板を置いて
食材を切っていたのです
????
そのほうが楽なんだと言って
しゃがんで一生懸命調理していたのです。
それで、
体を高い位置に支えるのは
エネルギーが少ししかないお母さんにはつらいのだと
突然理解したのです
もしかして違うかもしれないけれど
理科で習った、位置のエネルギーってそういうことか
と思ってしまいました。
2人のお母さんは
亡くなるときに
生きて存在することのダイナミックなことを
教えてくれたのです。
クリックすると大きくなるようにしたのですが
また小さくなっちゃうのかなあ
陶芸デーに使う粘土がなくなってきたし 夏休みの子どもアートクラブの 土鈴作りも近づいてきたし 笠間に粘土を買いに行った 夫は、ゲートボールの試合で 行かれなくなったし 友人は健康診断で行かれなくなったし おばさんに 私の運転でも行く? と聞いたら行くって 山越えさえしなければいいよって
一度加波山を越えておばさんと2人で笠間に行った時、恐ろしい思いをさせた。
「きゃー~~~~。こわ~~~い」
と叫びながら急坂を運転したものだから
おばさん
生きた心地がしなかったのよ。
本日は、国道をのんびり走った。
笠間の陶芸美術館では
荒川豊蔵展をやっていた
写真のは
絵は奥村土牛だ。
んん~~もう
かっこよかったあ!
焼き物って
こういうのは抽象画の世界だね
瀬戸黒の裾が三角に割れて
そこに粋な子持ち縞が
すすっと描いてある茶碗があった
あ~~~~~
ため息が出ちゃう
粋!
ダサくて、おふざけの粘土細工ばかりにうつつを抜かしているが
こういうものを見ていると
自分の目線も、なんか美しいものを見分けられているような気がするよ。
この、美術館のある陶芸の丘は 散歩すると 森の中から 奇妙なオブジェが現れる。 遠足で来たらしい小学生たちが、森の中へと消えていった。
この二つの猫どう?