こういう何々イスムって
結局はレッテル貼りだな
レッテルを貼って分類する
そういうの 学者の仕事か
シュールレアリスムについて勉強するってのが
絵を描く側と 研究員では 視点が全く違うということもありうるわけだ
怒らせたフランス文学のレアリスム って全く分からない
日本人の常識では フローベルやバルザックという感じで習ってきたが
それだって ロマン派と同違うかなんて
考えると訳が分からなくなる
感じとしてはそれまで相手にもされず芸術の題材にもされなかったような
一般市民に目を向けて表現した文学
みたいなイメージがあるけど
勉強したわけじゃないからわからない
そういう 高級な人々ではなく ハイソな文化ではないところに目を向け
というのが なんかだんだん週刊誌みたいな関心の持ちようで
なんかなあ すごく卑猥なんじゃないの
と
高校生のころ田山花袋を読んで オエ!となったがな
純情なんだ 私
田山花袋は自然主義とレッテル貼られ写実主義とはまた一線を画してるようだけど
そんなレッテルについて研究する
文学なんて
クソくらえだわ(やけくそ 当たり散らし)
さらに 自称レアリストって言い方は
蔑称だ まがい物だよという価値観がついて回る
わざわざそんなこと言わないでまがい物なら無視すりゃいいのに
自称とくっつけて呼ぶ手合いが厭だ
このかんの不快感はこういうところからきてたと分かった
レアリスムだって
19世紀について言えば それまでの値打ちを付加されたものを切り捨てて
あるがままを見ようというような運動だったかもしれない
価値づけという色眼鏡を外して
自我を捨てた気になって事物に対峙したら
それまで見えなかったものが見えてくるというのはよくわかるからな
でも
それも なんか 固定的に 写実ですとか自然ですとか
こう
とっても党派的な思想の色付けがついて回ってくる
そうすりゃまた硬直してくるのでそれを壊すようにさまざまなものの見方が
出てくるわけで
わたしは それも含めて 事物への多面的な視点からのアプローチ
という意味で
レアリスムという言葉を使うけど
勿論 社会的にとか文化史的に認知されている言葉づかいじゃないからな
人に通じないのはしょうがない