遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

シャルル・ラヴァル

2015-01-30 19:02:08 | 美術史

初めて知った

この絵を描いた人だけれど

ええ!??

ゴーギャンじゃん!?と思うよな

ゴーギャンの描き方なんて分析したことはないのだが

来年度はやるのよね

面白そうだ

これは ゴーギャンが ラヴァルを描いた絵

 

輪郭線に特徴がある?

色面の作り方もな

 

ルノアールは輪郭線を描かないって

模写講座があるまで知らなかったのよね

これって常識なのか?

これ 模写

輪郭線を描かないというのを

体感しようと思ったのだ

 

考えてみれば 西洋美術史って

ろくに勉強したことない

ルネサンスが専門の先生はいたのよ

でも全く何を教える気か

ホント気のない講義で

この先生大丈夫かいなと思ったぐらいだ

 

コメント (2)
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2014-02-10 02:57:22 | 美術史

色をいろいろに描くと

そういう風に見えるのかと聞かれるが

見えないよ

そうだなあ

若い時 色が使えなかったとき

先生が ほらピンクが ポッポ と そこらじゅうにあるでしょ

とおっしゃったが

見えません!と言ったっけと思った

あの先生は 教え方下手だよ。

見えるというのをカメラのレンズを通してフィルムに写るようなのを

見える

思えば 見えないよ

見る ということを あの先生は 学生にどう教えたのだろうか

と思った

先生みたいになると

ピンクがポッポ と見えるようになるのかと

思っちゃうじゃないか。

色がわからない私は 色遣いが限られて

セピア色の世界にしてしまうので

色が足りない ということは分かったが目には見ることができない

(感じることができないので)理屈で光や色の反射のことを考えて

実際 世界には色が 固有色に縛られているものではなく

響き合っている というのを

目ではなく 頭でっかちに把握したのだった

色遣いの巧みな人を見ると

私にはそういうことはセンスに見えて

自分にはないものだから

自分は絵には本当は向いてないのではないかと 落ち込んだものだった

だめだ  眠くなった 寝る

またあとで続き

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アカデミック

2013-11-27 20:53:00 | 美術史

アカデミックという言葉を間違って解釈してたかもしれない

生涯学習系の美術団体では

デッサン力があるのが上手なのだと思い

だいたいデッサン力というのの解釈もヘンだが

それはアカデミックな訓練を積んだかどうかの違いなのかもしれないと思ったりした

古典的な基礎訓練みたいなものだ

そういうのを風呂入って洗い流して来いと言われた

あれだ

アカデミーってそもそもプラトンとかその辺が大元だもんな

でも権威主義てきな えっらそうな そういうのも言うよな

それで

フォービズムもキュビズムもアカデミー側からは

嫌悪され  何たらいう総理大臣はフォービズムの部屋に入るのを拒否し

それで新聞種には喜ばれますます流行ったって

ハハハ その辺 日本と違うな

でも アカデミー側の人間が忌避するというのは

なんか古い価値観のものがそれを脅かされると

権力問題にかかわる

そんな感じもする

ともかくアカデミックという言葉の背景には権力がらみの背景がある

そういうことね

然し田舎臭いみみっちい権威主義をひけらかす絵描きの絵にはアカデミックなにおいはしないな

然し狩野永徳は匂った

権威主義と結びつく美意識でいいものだってあるよ?

端正だったり 気高い感じとかそういうのとかも

でもどこだっけなあ

東北の方のペンションかホテルに

何ともいかにも上品ぶってて上品じゃない

いかにも貴族趣味のつもりか知れないけれど安っぽい絵を

これでもかと飾ってあるところがあった

そこの女主人はいかにもという雰囲気の人で

あああああ

気取ってて ●●のないのが見え見えで

すごく恥ずかしいんだけど

という人もいた

多分とてもアカデミックな絵だと思ってるんだよ

しかし あまりにも安っぽかった

難しいな

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唯物史観と党派性

2013-09-21 18:20:03 | 美術史

この間

原発作業員さんの本の出版にかかわる

いろいろな取り組みについて読んで行ったら

そのサイトの管理人の思想的背景の自己紹介に出会った

学生運動盛んなころ 戦旗のグループのリーダー的存在だった人で

自分は共産主義の洗礼を受けた

みたいなことが書いてあった

戦旗のグループって ブントと関係あるみたいだけど

どんな人たちか 私は分からない

でも みなあの頃の若者は

マルクスやエンゲルスやレーニンゃらの書物を読んだりしたものだ

(一番有名なのは資本論なんだろうけど あの厚さを見ただけで

読む気になれないし経済学なんか わかるわけないし

あたまっからパス!だったけど)

今や 共産主義ってなんなの?ソ連も崩壊しちゃったし

北朝鮮も中国も あれが共産主義国家とは到底思えないし

さっきも中国って幼いころ神童で 大人になったらただのバカ!

みたいな国になっちゃったねえ

酷い陰口を利いたものだけれどなあ

でも 共産主義の洗礼を受けたって いう話はちょっと分かる気がする

わたしも

あの唯物史観 とか階級社会というとらえ方とか

歴史的に社会的にものを見るとか

そういう考え方には うんと影響を受けた

ただ 現実に どうやって社会を動かすのかって

その力の仕組みがわからないから

社会運動になると 必ず党派的なことが出てきて

そこが難しい

支配階級の暴力には権力を手にしないとならないのは現実のことだったのだろうけれど

結局それが罠だったではないか

という気がする

その 党派的なこと

ってのが どうしても 人の脳みそを 支配する手続きのように思えて

そんな

革命的なことなんかじゃなくても

やたら 派を作るとか 人を子分にするとか

これって 人間の性なのかもしれない

だから

今原発がらみでいろいろな運動もあり

力を結集しなくちゃ もう歴史はおしまいでという気もするけれど

例えばよ

署名なんかも する気が無くなった

なんか 誰かのために利用されそうで いやなのだ

最初は無邪気に 電子署名やったんだが

絶対あの後からだ ヘンなメールが殺到し始めたのは

という気もするし

でも 唯物史観というのはまた別の話だ

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 時代の証言

2013-09-21 16:03:58 | 美術史

赤城さんのツイートと写真

時代の証言者 そういう意識があるのかどうかわからないけれど

写真という手段を選んだのは

客観的にその時の今を カシャっと収めようとしたのだし

極力 主観性を排除みたいな

そういうことはないな

テーマ性も

赤城さんの思想もよく見て取れる一連の作品だもの

崋山の本を読んでいたとき崋山が

かなり風俗画を重要視している文章があった

その風俗画集が ちょうど北斎の漫画集が出た時期で

出版はやめた

そういういきさつだけど

北斎は 時代の証言という意図というより

弟子たちに手本を示すみたいな

画集だった ハウツーもの?

でも 結果は 時代の証言になってる

風俗画って庶民が主役だから

庶民にもてはやされ

とかく 色事にかかわる線に 行くよな

世の中 雄が支配的だから

だから 風俗画には そういうテーマも多いし

危な絵にも流れては行くけれど

わたしなんか自分が庶民だからな

庶民の暮らしや出来事風俗を描いた絵画が いいもんだ

という感覚はある

浮世絵なんか風俗画だものね

何をどんなふうに描かれたかって

見れば 芸術作品は皆 時代の証言者でもあるわけだ

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レアリスム

2013-09-21 08:23:47 | 美術史

こういう何々イスムって

結局はレッテル貼りだな

レッテルを貼って分類する

そういうの 学者の仕事か

シュールレアリスムについて勉強するってのが

絵を描く側と 研究員では 視点が全く違うということもありうるわけだ

怒らせたフランス文学のレアリスム って全く分からない

日本人の常識では フローベルやバルザックという感じで習ってきたが

それだって ロマン派と同違うかなんて

考えると訳が分からなくなる

感じとしてはそれまで相手にもされず芸術の題材にもされなかったような

一般市民に目を向けて表現した文学

みたいなイメージがあるけど

勉強したわけじゃないからわからない

そういう 高級な人々ではなく ハイソな文化ではないところに目を向け

というのが なんかだんだん週刊誌みたいな関心の持ちようで

なんかなあ すごく卑猥なんじゃないの

高校生のころ田山花袋を読んで オエ!となったがな

純情なんだ 私

田山花袋は自然主義とレッテル貼られ写実主義とはまた一線を画してるようだけど

そんなレッテルについて研究する

文学なんて

クソくらえだわ(やけくそ 当たり散らし)

さらに 自称レアリストって言い方は

蔑称だ まがい物だよという価値観がついて回る

わざわざそんなこと言わないでまがい物なら無視すりゃいいのに

自称とくっつけて呼ぶ手合いが厭だ

このかんの不快感はこういうところからきてたと分かった

レアリスムだって 

19世紀について言えば それまでの値打ちを付加されたものを切り捨てて

あるがままを見ようというような運動だったかもしれない

価値づけという色眼鏡を外して

自我を捨てた気になって事物に対峙したら

それまで見えなかったものが見えてくるというのはよくわかるからな

でも

それも なんか 固定的に 写実ですとか自然ですとか

こう

とっても党派的な思想の色付けがついて回ってくる

そうすりゃまた硬直してくるのでそれを壊すようにさまざまなものの見方が

出てくるわけで

わたしは それも含めて 事物への多面的な視点からのアプローチ

という意味で

レアリスムという言葉を使うけど

勿論 社会的にとか文化史的に認知されている言葉づかいじゃないからな

人に通じないのはしょうがない

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レアリスムについて

2013-09-18 06:59:51 | 美術史

ある時代ある作家を特定してレアリスムとくっつけて言ったら

とんでもないことになるという蹴りが入ったので

直前の記事はひっこめた

然し

わたしは絵画の方から考えることはあるので

ちょっとしつこくレアリスムについては書く

前の記事にコメントくれた方 ごめんね

ずっと書いてきた 絵がうまいとかうまくないとかそういう視点って

生涯学習系のお絵かきグループにとっては

結構 癌的なものがあると思うのよね

で 一方で 写実はダメよ と表現のコンセプトを押し付けるような

そういう世界もあるわけで

本当に事物に向き合ってみて 考え直してみるというのは大事な作業だと

わたしは言いたかったのだ

で 歴史的に考えてみると

転換期というのは 新しいものを生み出そうというときには

そのパワーは従来の固着したものの見方や様式化した表現方式を

破壊しながら 新し物が出てくる

というのは歴史的な図式だ

ここで

別の人から

様式化 いいじゃん!と蹴りが入るけど・・・

そういう意味で考えると レアリスムという言葉は

何を指すのか 明確ではないから もう使うのをやめるか!

この間 世間の人はよ 抽象画のことをわけのわかんない絵で

人を煙に巻いてる絵だと

いうという話を聞いた

抽象画ってレアリスムの 一つのありようではないか

と 私は思ったけどそういう言葉の使い方も通じないモン

レアリスムという言葉には

そのくらい手あかがついて なんか古臭い

上手い絵が いいんだ みたいなのと共通する 言葉なのかもしれない

わたしはそういうのとは違う意味で使ってるけれどな

言葉は 難しい 

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kmitoh写真はすごい教材だな

2013-08-21 18:23:31 | 美術史

http://kmitoh2.blogzine.jp/kmitoh2/2013/08/post_af9d.html

わたしの今年の水彩連盟展のための里山の絵の課題はこれよ!

マクロ写真は焦点を当てられる↓

Musi13082101

これはまず一歩

あああ 写真をもとに風景を描いている人に教えたあげたい

(余計なお世話だから言わないけど)

K御大の絵に欠けているのもそれだ

今 温泉ギャラリーに飾られている明野美術界の絵の問題点もそれだ

一生懸命が画面全体に及んでしまうので

みんな根が真面目だからな

なんだか分かんない絵になっちゃうのだ

わたしもまずマクロの一歩

描いたのがこれだ

なんて勝手なことを書くとkmitoh氏から文句が来そうだが

来てもらいたいものだ

そうそう

>どんな環境の中で写しているのか分かる写真を撮りたい

そうだ それがpointだよ

ホホホ

写真だと 機械の性能を自分の眼力に合わせなきゃだから

難しいだろうが

絵は

そこ行くと自由自在

マクロ写真はいわば 世界を二つに分けただけだが

勿論絵に描きたいのは もっといろいろあるわけで

その関係に

リズムだのハーモニーだの

階調だのを

どういう風に 構成するか

それが 初心者の私には難しいのだけれど

やってみれるだけ 絵の方が 私の手のなじむ

 

この間 大塚先生に教わった

Img_9106

この左の人の目線が私の描きたかった子供たちの絡みを

浮き上がらせる

というの

写真でもそういう

画像が持つ意味づけを方向性のあるムーブメントとして

意図するという手は勿論あるだろうし

何をどう表現したいか

そうか

写真を撮る人も 半端ないな

すごく参考になった

Tonbo13082101

絵だとこのトンボの翅は強調しちゃうよな

絵は自由すぎて自由に溺れるかもな

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アンチテーゼとしてのリアリズム

2013-08-13 12:42:44 | 美術史

スーパーリアリズムって

抽象表現の横行に対しての

アンチテーゼとして出てきたみたい

昔 若者だったころ 画材やの月光荘の親父さんが

「しっかりデッサンを習うんだぞ

だいたいね ろくに描けないやつほど 抽象表現に走る」って言ったていたのを思い出す

その時は

変なおやじ

と思い 頭古臭いんじゃないかと思ったが

野田弘志の 徒弟制度が無くなったから云々

これは関係あるかもしれない

私たちも せっせせっせと絵を勉強したころは自分たちは徒弟時代にいる

って

よく言った

多分 徒弟時代というとらえ方は

クレーの日記に出ていた言葉で

流行ったのだと思うけれど

手元に クレーの日記が無くなっちゃっているので確かめようがない

私の考えでは 抽象表現とリアリズムは別物ではないし

リアリズムって 抽象なしでは成立しないじゃないかと思うが

何かが怪しい

何かが変

どこか変わりたいというとき

事物に戻る

ということがポイントだと思っているし

それで初めて座標軸は転換する

そういう風に思っている

自分としては唯物論的リアリズムという姿勢でいたいのだ

それが観念論的リアリズムとなれば 二層に別れるのではないかと思っている

そして何もこだわるほどのことでもない

全ては観念の表象と言えるのだし と思う

学問としてそういうことを考えるときは

やっぱり歴史的社会的視点が必要なのだろうけど

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胡椒点

2013-08-12 05:44:31 | 美術史

昨日までの展覧会にあった水墨画に

胡椒点何たら という絵があった

どういうこと?と水墨画の人に聞いたら

そういう小さい点を使って樹木を描く技法だそうで

今では海綿などで描いて細かさを表現したり

っておっしゃったが

海綿で水彩画という技法もあるので同じねえ

とNさんは面白がっていた

で調べたら 点の描法がいろいろある

水墨画を習うのはそういうのを習ったりするらしい

水墨画について語る人は

西洋は物質的だが東洋の絵画は心を表す

などという

精神性を重んじることを優位に考えている風

それが何でこうも技法から入る話になるのだ?

超リアリズム作家の野田弘志

Img_1059


が言うことには

日本の絵画が世界的にはダメになったのは

徒弟制度が無くなったからだ

という意見だそうだけれど

訓練が必要だ という考え方って

東洋画の教育手順と

何かが似ている気がする

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