ご両親さま都のお写真をいろいろ見せていただいた
立派なご両親だなあと思う
これは傍目
裕福そうな
っていうのも傍目
傍目ってそういう風に映る
素直に尊敬をにじませた文章にぶつかると
いい子だったんだなあ
とそういう傍目の感想を持った
ナツさんだけお母様との葛藤を匂わせていらっしゃるけれど
どうなのでしょうか?
親子の葛藤って ふつうあるものだと思ってた
わが子らはどうなんだろう?
親を受け入れるとか拒絶するとか
一生かかって 結局付き合っていくのが親の存在のような気がする
よく 子を持って知る親の恩
っていうけれど
わたしなんか出来が悪いから親の恩に感謝するより
わたしもきっとかわいくてお母さんを幸せにしたんだろうなあ
と思ったがな
死ぬ時には なんか親を全部受け入れて死んでいけるような気がする
ここの所武蔵が釣りバカ日誌を見てるんだが
スーさんが危うく死にかけて三途の川の渡しで順番待ち
6文銭を持っていないばかりに大騒動になって三途の川に落ちて
生き返っちゃう
あああ生き返っちゃったよ
あっちへ渡れれば楽になれたのにという話
そうだな あっちに行っちゃえば楽になれるんだよ
ともうずっと痛かったりいやだったりするから
心底納得した
そこで
わたしは父の自殺を思い出した
もう自分の病気の苦しみばかりで半狂乱の日々だった
腸を手術したりそれはうまくいかなくて
しかも肺炎になって入院し
そうやって帰ってきてしばらくして死んじゃった
当時わたしは結婚後ちょうど半年後で娘がおなかにいた
妊娠中は強烈ン悲しむと赤ちゃんによくない
と信じてたので
わたしは
あれだけ私に執着してかわいがってるふりをしてすごくインチキなおやじだと思って
腹を立て
自殺というのは自己表現だと受け取って決まって
その手に乗るか!
わたしはそんなことに影響は受けない!
と
蓋をしてきた
これまでずっとだ
自分勝手でホント腹立つ!と
それいらいいろいろな自殺事件に接する度に
わたしは死んだ人のことは思いやらず残った人のことばかり考えてた
いじめに遭って自殺した子供
あとに残す親のことを考えなかったのか
とか
いじめた人間はもう二度と償えない罪を着せることになるんだよ
という風に思ってきたので
自殺は よくないと今も思っている
だから 私は 絶体自殺はしないけど
でも そういう人は本当に苦しかったんだし
あちらに行ったらその苦しみは感じなくなるんだから
楽になったのだな
と 思っていいのだと思うようになった
わたしの父も 実際は死ぬ間際に私のことなんか
思い出しもしなかったろうよ
そのくらい自分の苦しみでいっぱいだったのね と思った
まあ お父さんの死後38年経って
やっと それを受け入れられる気がする
お線香でも上げるか