カラマゾフにもこれが出てくる
罪と罰でも最後にソーニャにあった後
ラスコーリニコフがそうする
これがドストエフスキーの信仰の表れなのかもしれない
大地 というのは神の愛の象徴なのかもしれないと
思い至った
この書を花てぼさんのところで見たからだ
キリスト教で言う神の愛って
阿弥陀様の本願ではないか?
と思ってきたのだが
今孔子伝を見ていて
西洋の人も孔子の論語かなり 読んでいるんだな
で 孔子の言うところの仁について
キリスト教の愛と関連付けた意見はいっぱいあると
初めて知った
こんなことをいろいろ考えてしまうのは
原発事故がらみで
早川先生は自然に対する畏敬の念
これを教育の中で大事に教える必要があると
よく言っている
科学的なアプローチで 自然のことなんか
そうは分からない
ましてこういう事故が起きてしまって
もしかすると 大地震に関連して 火山の爆発はあるかもしれない
賢しらに 人間が対処できないような自然のまえで
謙虚に畏敬の念を持っていく必要性を
科学者も考えだしている時代だ
罪と罰についても 法や制度といった
人間の作った枠をを超えた苦悩というものについて
ドストエフスキーもバルバラも
提起している問題
今まで それらが キリスト教と言う
私の理解の外の話に結びつくところは
パスしたり 追いやってきたけれど
孔子伝を見ていると
何千年も考え続けられた 普遍的なテーマだなあと思った
地面を描けという
次の課題
それも細密に
なんて 気が乗らなかったけれど
地面 即物的に考えなくても描けるぞと思った
だいたい 今 地面見てみたら
そりゃあ
自然に対して 畏敬の念は湧いてくると思う
命の春だから