遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

写真とレアリスム2

2013-08-06 21:54:59 | 美術史

わたし 小学校の時にお絵描きを習った先生が二人いる

一人の先生に習ってた時に

学芸会の絵を写真を見て描いたと言ったら

ものすごく叱られた

わたしは一見うまそうな絵を描く子だったので

学校の図工の先生には嫌われていたし

その学芸会の絵も

われながらリアルに描けて満足だったのだけれど

それはまやかしだ と言われた感じがして

ものすごく恥ずかしいことをしたのかもしれない

という刻印が心の中にはしっかり刻まれてしまった

そういう 写真というものについて

見下すような価値観というようなのは誰にでもあるのかどうか知らないけれど

今やプロジェクターで映像を投影して

それを写し取って描く なんて 技法としては

堂々とまかり通っているわけで

今昔の観 か 私だけ変な体験をしたのかわからない

然し 崋山が似たことを 形態の正確さを期してやったということだと

正確って言うことの中に写真的なというのは

うんと古くからあるのだな

ロマン主義へのアンチテーゼとしてリアリスムがあるなら

主観を排除して 写真的な正確さというか

そういうのが客観的なんだという感じは あるのかもしれない

現代のスーパーリアリスムの狙いは何なのだろう?

コメント (3)
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写真とレアリスム

2013-08-06 17:57:13 | 美術史

レアリスムの歴史って

考えてみると面白い

19世紀半ばに出てくるのが最初だと思うけれど

それは資本主義の台頭と連れ立ってやってきた

Img508
これは1827年

崋山の大空武左衛門像

二枚の水晶鏡を照らして寸分たがわず写し取った とある

この字面の意味を読み取ろうと思ったけれど

よくわからない写真鏡という言葉も出てくるが

1827年?ちょっと早すぎる気もする

ともかく この大空武左衛門という人は奇形的な巨体だったようで

これが正確なのか

今よくやるような

映像を写して 写し取る という方法を 敢えて取ったというような記述があるが

写真 というものと リアルに描くということが

19世紀に 始まったのかと思ったが

実は そういう風に カメラの原理の

映像を 画面に写し取るという技法は もっと古く

17世紀だとか

ルネサンスにさかのぼるとか言うのだわ

へえ!? 初めて知った

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これって嘘っぱちだろうというエンジン

2013-08-04 10:19:15 | 美術史

ヨーロッパの文化史って

その前の時代のことを否定することで新しいエネルギーをくみ取る

そういう図式に見える

弁証法的に発展する

そう考えると世界史なんか頭の整理に都合がよくて

ヘーゲルはうまいこと考えたなあ

と思ったものだったが

この頃東洋人の私は別の歴史運動原則ってのもあるように思った

昨今の尖閣諸島がらみのことはともかくとして

中華思想って 結構すごいかも

中国の魅力ってのをさかのぼってみたい感じ

東洋的な考え方って けっこうパターン化するのが好きだ

故事成語だってそうだ いつまで古臭い故事成語が

幅を利かせるか

と思うけれど意外と面白かったりする

然し踊りとか 王様の帽子とか

ワンパターンすぎて すごくつまらないが

何で朝鮮はそれをそっくり真似したんだろう?

かっこいいと思ったのだろうな

わたしは記号化されたさまざまな意匠

文字なんかも含めて

ステキだなあと思うものによくぶつかる

色の組み合わせとか ぞくぞくしたり

ワンパターン化されたさまざまな表現は時代を超えて変容を受け入れて

常に新しかったりするので

その辺が西洋と違うかもしれない

西洋が異文化と接触してそこからくみ取るものも

異文化側から見ると意外な発想にびっくりしたりもする

そういう文脈で

リアリスムって考え直してみたいものだ

19世紀後半のリアリスムが 写真みたいに写し取ることと混同したのは

写真技術も夜明けだったから

写真のやることが刺激的だったからということもあるだろう

写真みたいにそっくり って リアリスムとは関係ないと思うのは

写真があまりにも当たり前のものになったから言える話だな

多分

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肖像と言えば

2013-07-28 08:17:00 | 美術史

Ll_c0006292

この一休像は鑑賞の授業でよく取り上げられる

けれど

わたしはそういう授業をやったことがないので

不勉強でした

然し

この像はそりゃあまあこういう人か!一休さん!?と

中学生には青天のへきれきの肖像画だわな

わたしは日本の肖像画の一級の一休像だと思ってきたが

なんてことはない

この賛はなんて書いてあるのか

このえは誰が描いたのか

全然知りませんでした

やっとわかった

Ikkyuu_3
華叟宗曇というのは一休さんの師匠

松源というのは臨済禅の中国の坊さん

このお人を通して入ってきた

禅宗を松源流というんだとさ

狂雲というのはいっきゅさんが自分のことを

そういっている

というわけで

すごい自負心に満ちた自画自賛だわね

書いたのは

この賛墨斎

絵もという本もあるけれど

国立博物館では違うだろうと言っている

わたしにすれば

名前なんかどうでもいいのだ

墨渓が描いたという説が今は有力のようだ

 

 

 

 

もう一つ絵ではないが肖像で傑作と思うのは

G009_chogen

東大寺再建に尽力した俊乗房重源上人の像

大仏殿から二月堂の方へ登っていく途中に

俊乗堂というお堂があっていつも開いてない

この中にいるんだろうなあといつも物欲しげに

鼻くっつけて覗くのだけれど

御開帳に会ったのは一回きりだけれど

まあ ホント 迫力でした

慶派の作と言われてます

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截金2

2012-10-16 13:50:43 | 美術史

気になると

そればっかりになるのだが

土門拳の写真集を見ていて

見つけた

浄瑠璃寺の四天王(これは持国天)

77jyoruri04_l

これは 平安末期のもの

袖口に截金模様

Img097

このほかに

高山時の湛慶作の女神様の衣にも

浄瑠璃寺は二、三度行っているが

九体の阿弥陀様に目を取られて

四天王なんか見てこなかった

見てもフンフンとみて終わった

(もしかして金堂になく三重塔かも

あるいは奈良博かも

ああ 京都奈良行きたくなった

津田爺が死んでしまって会合が無くなって

出かける口実がない

せめて 東博 もう一度行って常設展を

細かに 截金ばかり見てきたい

それにしても人間の眼は見たいものしか見ないものだと

よくわかった

世界情勢にしろ歴史にしろ 身近な世界であれ

みな そうだ ほんのちょびっとのところにしか焦点は当てられず

ろくに何も見ちゃいないものだ

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截金

2012-10-16 08:30:03 | 美術史

すっかり思い違いをしていたことがわかって

頭が混乱している

截金という仏像や仏画の荘厳方法は

平安後期からのもので快慶が 飛躍的に発展させた

と思い込んでいた

そういう風に説明を受けて

快慶の仏像をどこかで見て

興奮した記憶があるのだけれど

それが どこの何か

思い出せない

鎌倉の覚園寺の地蔵菩薩像も快慶のものと思い込んでいたが

違っていた

截金という技法のルーツはかなり遡れるので

紀元前3世紀ヘレニズムまでさかのぼれるようだ

Kirikane2_2

エジプトアレキサンドリア出土の截金サンドイッチグラス

(大英博物館)

私は もの知らずで 切り絵のようにこういう模様を

切り抜いて貼るのだと思っていた

快慶の模様もものすごく華麗で細やかで洗練されてて

うっとり

だったが

こういうのは 切片に分けて貼り号わせるのだ

そうだよなあ

截金の話を聞いたときは

細い細い線に切った金箔の話を聞いていたのに

頭の中では勝手に変換していた

上のガラスの器の模写

Kirikane_3

クリックで 少し大きくなります

人間国宝の方の御嬢さんの作品

よく見ると

箔の切片を貼り合わせて模様を作ってあると

よく見える

そうかあ そういう風に作るのかあ

興奮した

日本には飛鳥時代にこの技法が伝わってきて

法隆寺の四天王にも施されている

K391_2

広目天の裾

K412_2

これ

ここに目を凝らしてみてこなかった

ああ

知らないとは損なことだわ

それに 法隆寺なんか行ったって暗くて見えやしない

私はライトを持って行って照らして生徒に見せたり

ここ注目!

なんてやってると

見学客が寄ってきてどれどれ

なんて見に来るのだわ

なんかそれ筋の人に見えるのか

とがめられたことはないのだが

(学生時代の古美術研究 先生そんなふうに

学生にいろいろ見せてくれたから

真似した

先生は ずるくて 坊さんに頼みごとをして

遠ざけてその隙に 上がっちゃいけないところに上がらせて

パパッと見せて

坊さんが戻ると

生徒とも共 敬虔なフリして澄ましていたのだ)

もうダメだな

展示会でもないとみられない

この四天王の作者という

山口大口費という人

調べると 渡来人とは言うけれど

漢人というので中国から来たのか

と思うと朝鮮だという記事もあり

本当のことは分からない

押し出し仏もこの人の作だという説もあるけれど

ともかく

飛鳥時代のことなんて謎も多いらしく

玉虫厨子のことなんか

調べると 諸説あり 論争あり

ああ 訳が分からないことになってきた

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中世の絵画

2011-12-01 19:47:54 | 美術史

51s5dcloi9l__sl500_aa300_この本には古代とルネサンス近代は

見えるように絵を描き

中世は概念を絵に表した

とある

キュビズムなんかは

見えるように描くのにうんざりした絵だ

という

ふふ

どこかで絵を鑑賞するのが好きな人が

見えるように描いてあるのがやっぱり好きで

だからわけのわからない絵は嫌だというのね

ダリとか一つ一つ見るとよーく描いてあって

摩訶不思議なのはいい という

見えるように描けていないと嫌だという人は

結構多い

中世の概念的な絵が逆遠近法になる話が出てた

(イスラム絵画では逆遠近法は実際近くの家が小さく

向こう側の家が大きく描かれてあった)

中世の場合逆 というのは遠近法は無視という意味だそうだ

Img781

これは14世紀

これはセルビアにある王の聖堂の聖母の誕生という絵

右下に生まれたばかりの赤ちゃんのマリア

このベビーベッドは頭側も足側も側面を描いてしまってこういう形

しかもヘッドボードも描きたくて

こんな形になって

一向気にしない。

どう見えるかではなく

何を描くかが大事で描いているからだ

概念を描いた絵は

観賞するときには絵を読まねば面白さが半減する

それは 日本の絵もそうだし

私の一目絵巻もそうだ

↓はイスラム絵画バクダッドにおけるチグリス川の氾濫

手前の家はこまごましている これは15世紀

Img782

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タイポロジー

2011-08-11 05:58:00 | 美術史

ビザンチン美術についていろいろ読んでいたら

宗教の絵というか 物語の絵というのがタイポロジーというのがキーワードだとあった

 

キリスト教がユダヤ教の聖典を取り込んだ時に由来するそうだ

 

宗教がなぜ人を引き付けるか

それもタイポロジーだなと思った

 

 

普通に物事を類型づける

関連性を読むというようなことは日常誰もがしている

聖書の中の文言を読んで今の自分のあれこれに響きあうものを見つけて

いやされたり 救われたり納得したり するわけだ

 

それは

芸術に触れるときもそういうことがある

 

でも

私は

芸術は新しい世界を見せてくれるものだと思っていたけれど

宗教だってそういうところがないか?

仏教にはそういうところがあるような気がする

 

学生の頃 師匠が 物事はらせん状に進んでいく

対応するものがあって

またステージが変わっていく

ということをわきまえろというような話

 

それは 教育の問題で子供の発達について言われたのか

美術の修練で くりかえし同じ問題にぶつかるけれど

ステージが変わって現れることを自覚しろと言われたのか

忘れた

 

どちらにもとれる 表現だったわけで

 

それもタイポロジーだ

 

同じ先生が

物は弁証法的に存在するのだから

そのようにとらえろ

ということもおっしゃった

 

どちらも

世界に向き合う 別の視点だ

 

 

というようなことをビザンティン美術について調べると出てきて

面白い

 

それでも

何かが西洋と東洋は思考法が違う

 

まだなぞが多い 

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シモーネ・マルティーニ

2011-03-22 05:33:55 | 美術史

Simone

受胎告知

シモーネ・マルティーニはチマブーエより50歳くらい若い

この人の絵は

私は好みだ  いつものように色と階調と

 ↓は トゥールーズの聖ルイ  トゥールーズの聖ルイ  ??

この間読んだオクタシ二アに関係あるなこりゃ

Toulouse

それはさておき これらの関係で調べるうち

アッシジは1997年に大地震で文化財にも大きな被害が出た

阪神大震災の後で

文化財の修復 耐震などについて 日本とは深い関係を作ったようだ

 

2007年にも大きな地震があったらしい

 

そのころのブログに行きついてみたら

ヨーロッパの人は地震のとき日本人とは反応が違う

恐怖は 日本人より激しいものがあるそうだ

日常的に地震を感じながら生きてないからだろう

 

そう考えると

あの時日本にいた外国人はさぞ恐ろしかっただろう

早々に帰国したがるのも無理はない

それも被災地の食糧を奪ってはいけないからだというのもあるそうだし

 

大阪に大使館を移した国もあるようだけれど

どうか

あちらで大きい地震が来ませんように

 

そうだよ

それが心配

今度の地震がどのくらいひずみを生んだのか

他の または次の地震のきっかけになってしまうのか

他の原発も心配だ

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風化でこうなったのか?

2011-03-21 17:20:20 | 美術史

Img4492

 ↑の絵ね これをを明度反転してみた

わお? 白黒写真と同じじゃない

つらつら眺めまくって

結局明度の高い部分の顔料が 黒変というか 褐色変したのだと わかった

それが 近年何かの災害にあったのかどうか

調べても全然わからない

 

実物見たいねえ

イタリアじゃな

遠すぎるね

でも先日見た琳派の絵も 銀が黒変していて当時の面影がないもの

いっぱいあったものな

Img450

この絵も同じく 聖フランチェスコ教会のチマブーエの絵なんだけれど

ちょっとめまいがするような感覚

なんか

新しくない?

と思ったが

これも絵具の変質が絡むようだ

この画像も諧調反転をかけてみた

Img4502 こうなると

明度の関係は

めまいを起こさない

 

形はね この後くるルネサンスを通ってきた眼には

不思議な空間ではあるけれど

これらは 時間の経緯で起きた出来事だったけれど

 

ロマネスクから ゴチックへそこからルネサンスへ

 

もっと知りたくなってきたが

今夜はもう根気が続かない

 

やっぱり

頭がいかれてきた

 

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