我が家からバイクで10分程の陸前落合駅から、JR仙山線に乗り仙台駅まで行き、乗り換えて仙石線で石巻へ、そして、石巻線に乗って女川町まで・・・。
小さな旅のJRの運賃は、片道1320円。
スマホから「ヤフー乗り換え」で接続の良い時間を検索し、落合駅へ。
8時56分、落合駅発の仙山線に乗り仙台駅へ行き9時24分発の仙石東北ラインに乗り換える予定だった。
それで行けば女川には11時03分に着いているはずだったのだが・・・。
仙山線は2分程遅れて落合駅にやって来た。
仙台駅での乗り換え時間は7分しか無いのにこれで間に合うのだろうか?と、心配になる。
しかし、電車の中で心配は無用になった。
仙山線はその後も遅れを増し、確実に間に合わない時間になっていたのだ。
9時30分頃に到着したのでJR仙石東北ラインを諦め、旧来からの仙石線で行く事にした。
しかし、地元であるが為に中途半端に事情を知っている事ですぐに次善の策を思いついたのがかえって仇となった。
仙石東北ラインは遅れた仙山線を待っていたのかどうかは判らないが、十分間に合う時間で遅れて発車していたのだ。
仙台と石巻を結ぶ路線は、先月までは仙石線しかなかったのだが、この度、津波の被害から復旧すると同時に、仙石東北ラインが新たに加わり、選択できるようになったのだ。
その仕組みはこうである。
仙石線を津波の被害から復旧させるにあたって、危険な海岸線から少し内陸部に線路が移動した。
線路が移動した辺りは以前から東北本線が走っている所に極めて近くなり、序でだからと言う事か、高城町から東北本線に接続する線が開通した。
これによって仙台と石巻間は劇的に時間短縮されたのだ。
私がさっさと仙石線のホームに走り込み、正に今発車せんとしていた電車に乗り込んだ時、少し遠くの構内アナウンスが、仙石東北ラインが遅れて発車する旨の放送が流れた。
しかし、まあ、42年ぶりの仙石線も悪く無い。
石巻線の接続が悪くて女川に行けなかったとして、それも仕方が無いと諦め仙石線を楽しむ事にした。
私が最後に仙石線に乗ったのは42年前の4月の事だった。
ろくに勉強もせず惰性で受けた大学の受験に落ち、当時一緒に暮らしていた久美ちゃんと気落ちしたまま、未だ寒い野蒜海岸にピクニックに出掛けた時以来なのだ。
今日乗った仙石線には昔の面影は何処にも無かった。
あの頃の車両は東京の山手線とか京浜東北線の払い下げらしく、変な茶色や濃い緑色をしていたはずだった。
しかし、今日乗った電車は、随分今風の、窓の大きな明るい車両になっていた。
そして、一番の違いは、仙台駅から苦竹駅までの区間が地下鉄になっていた事だった。
既に通勤時間帯は過ぎているはずなのに仙石線は混んでいた。
しかも、仙台から郊外へ向う電車なのに、昔の意識しか無い私には信じ難い光景だった。
しかし、多賀城を過ぎると随分と乗客は減り、松島海岸駅で殆どの人が降り、車内はとうとう私独りになった。
これより先へ行く人は30分以上も早く着く東北仙石ラインに乗って行くのだろう。
私は車内を彼方此方と移動しつつ、車窓の景色に見入り、そして写真を撮った。
途中相当な箇所で津波の復興事業と思しき工事を目にした。
部外者の目で見たそれは、復興事業と言うのは、土木建築工事そのものなのだな、と思えた。
11時頃、石巻駅到着。
既に「ヤフー乗り換え案内」で女川行きの石巻線が12時20分発である事と、その列車が折り返すのが13時20分で、乗り継いで陸前落合に帰り着くのが15時44分と判っていた。
だとすれば、昼飯を食べるのは石巻しか無いと言う事で辺りを歩いてみた。
ほんの少し歩いただけだったが勝手知ったる町なので津波以後にどうなったのかはすぐに伺い知れた。
居酒屋とコーヒーショップは目立つのだが昼食を採れるような店は見当たらなかった。
津波以前は地元のデパートだったビルが駅前に有って、今は一階が食品スーパーで二階が市役所と言う変わった取り合わせになっていた。
トイレくらいは有るだろうと入ってみると魚の町石巻らしい定食を出している食堂に当たった。
ランチタイムメニューと書かれたボードにブリと大根の煮魚定食が650円と有って、しっかり石巻してるじゃないか、と、嬉しくなって座り込んだ。
石巻駅前 ここも津波に洗われたが今は痕跡も無い
石巻と言えば「石ノ森章太郎」サイボーグ009
石巻市役所を守る・・・誰でしたっけ?
仙石線の線路は石巻線とは繋がっていない
小牛田~女川間を結ぶ石巻線(ディーゼルカー)
女川駅 二階は温泉「ゆぽぽ」三階は展望台
女川駅前は未だ復興途中でほとんど何も無いです
駅から港へのメイン道路も工事中
万石浦(伊達政宗が埋め立てて1万石採ろうとした?)
これが噂のハイブリッドカー(ディーゼルとモーター)
石巻も女川も、鉄道に乗って気侭にぶらりと訪れても拍子抜けしてしまう程に駅前付近には何も無い。
少なくても同じ宮城県民がこんなことを言っては顰蹙ものなのだが、テレビニュースで報道され、いかにも地元は盛り上がっている風な風景は、私が見た駅前周辺には見られなかった。
車の時代に駅前を町の顔とする認識が間違っていると言われればナンとも言えないけれど。
女川の復興にいたっては、駅前の大通りが完成したとして、そこでどう言う商売が成り立つのか? などと要らぬ事を考えてしまった。
何故なら、津波以前の女川の町に活気があったのかと言うと、それも難しい話だなと思うからだ。
だったらどうすれば良い?と聞かれても、その答えは津波からの復興と言うよりも、過疎の町の問題そのものなので私如きには答えは無いのだが
さて、帰り道に仙石東北ラインで初めて乗ったハイブリッドカーのお味は?
振動や乗り心地と言う点では電車と何も変わらないのだけれど、音がかなりうるさいと思った。
時折、車速や勾配に関係なくエンジンが稼働したような音がするのだが、その音は結構耳障りに私は感じた。
何を見ても一言文句を言わないと気が済まない私のいい加減な話を最後まで読んで頂き恐縮です。
今日は、津波で寸断されていた仙石線が全線復旧した事と、序でに仙石東北ラインと言う新しい路線が開けたと聞いて出掛けてみた訳ですが、どの列車も路線も程良く混んでいて嬉しい限りでありました。
これが一時の賑わいでなく、ずっと続けば良いと思うんですけれども、しかし、石巻駅からの乗客は、2000年には一日5000人程有ったのに、津波の前の年の2010年には3600人程と、毎年減り続けていました。
頑張ってるんですけどね、三陸沿岸・・・そう、頑張ってるんですよ。
今日の小さな旅には最後にもう一段の落ちが有って、仙山線が停電で1時間半程も遅れると言うおまけも貰いました。
陸前落合~女川の運賃、片道1320円で、一日楽しめましたから、良い旅でありました、と。
小さな旅のJRの運賃は、片道1320円。
スマホから「ヤフー乗り換え」で接続の良い時間を検索し、落合駅へ。
8時56分、落合駅発の仙山線に乗り仙台駅へ行き9時24分発の仙石東北ラインに乗り換える予定だった。
それで行けば女川には11時03分に着いているはずだったのだが・・・。
仙山線は2分程遅れて落合駅にやって来た。
仙台駅での乗り換え時間は7分しか無いのにこれで間に合うのだろうか?と、心配になる。
しかし、電車の中で心配は無用になった。
仙山線はその後も遅れを増し、確実に間に合わない時間になっていたのだ。
9時30分頃に到着したのでJR仙石東北ラインを諦め、旧来からの仙石線で行く事にした。
しかし、地元であるが為に中途半端に事情を知っている事ですぐに次善の策を思いついたのがかえって仇となった。
仙石東北ラインは遅れた仙山線を待っていたのかどうかは判らないが、十分間に合う時間で遅れて発車していたのだ。
仙台と石巻を結ぶ路線は、先月までは仙石線しかなかったのだが、この度、津波の被害から復旧すると同時に、仙石東北ラインが新たに加わり、選択できるようになったのだ。
その仕組みはこうである。
仙石線を津波の被害から復旧させるにあたって、危険な海岸線から少し内陸部に線路が移動した。
線路が移動した辺りは以前から東北本線が走っている所に極めて近くなり、序でだからと言う事か、高城町から東北本線に接続する線が開通した。
これによって仙台と石巻間は劇的に時間短縮されたのだ。
私がさっさと仙石線のホームに走り込み、正に今発車せんとしていた電車に乗り込んだ時、少し遠くの構内アナウンスが、仙石東北ラインが遅れて発車する旨の放送が流れた。
しかし、まあ、42年ぶりの仙石線も悪く無い。
石巻線の接続が悪くて女川に行けなかったとして、それも仕方が無いと諦め仙石線を楽しむ事にした。
私が最後に仙石線に乗ったのは42年前の4月の事だった。
ろくに勉強もせず惰性で受けた大学の受験に落ち、当時一緒に暮らしていた久美ちゃんと気落ちしたまま、未だ寒い野蒜海岸にピクニックに出掛けた時以来なのだ。
今日乗った仙石線には昔の面影は何処にも無かった。
あの頃の車両は東京の山手線とか京浜東北線の払い下げらしく、変な茶色や濃い緑色をしていたはずだった。
しかし、今日乗った電車は、随分今風の、窓の大きな明るい車両になっていた。
そして、一番の違いは、仙台駅から苦竹駅までの区間が地下鉄になっていた事だった。
既に通勤時間帯は過ぎているはずなのに仙石線は混んでいた。
しかも、仙台から郊外へ向う電車なのに、昔の意識しか無い私には信じ難い光景だった。
しかし、多賀城を過ぎると随分と乗客は減り、松島海岸駅で殆どの人が降り、車内はとうとう私独りになった。
これより先へ行く人は30分以上も早く着く東北仙石ラインに乗って行くのだろう。
私は車内を彼方此方と移動しつつ、車窓の景色に見入り、そして写真を撮った。
途中相当な箇所で津波の復興事業と思しき工事を目にした。
部外者の目で見たそれは、復興事業と言うのは、土木建築工事そのものなのだな、と思えた。
11時頃、石巻駅到着。
既に「ヤフー乗り換え案内」で女川行きの石巻線が12時20分発である事と、その列車が折り返すのが13時20分で、乗り継いで陸前落合に帰り着くのが15時44分と判っていた。
だとすれば、昼飯を食べるのは石巻しか無いと言う事で辺りを歩いてみた。
ほんの少し歩いただけだったが勝手知ったる町なので津波以後にどうなったのかはすぐに伺い知れた。
居酒屋とコーヒーショップは目立つのだが昼食を採れるような店は見当たらなかった。
津波以前は地元のデパートだったビルが駅前に有って、今は一階が食品スーパーで二階が市役所と言う変わった取り合わせになっていた。
トイレくらいは有るだろうと入ってみると魚の町石巻らしい定食を出している食堂に当たった。
ランチタイムメニューと書かれたボードにブリと大根の煮魚定食が650円と有って、しっかり石巻してるじゃないか、と、嬉しくなって座り込んだ。
石巻駅前 ここも津波に洗われたが今は痕跡も無い
石巻と言えば「石ノ森章太郎」サイボーグ009
石巻市役所を守る・・・誰でしたっけ?
仙石線の線路は石巻線とは繋がっていない
小牛田~女川間を結ぶ石巻線(ディーゼルカー)
女川駅 二階は温泉「ゆぽぽ」三階は展望台
女川駅前は未だ復興途中でほとんど何も無いです
駅から港へのメイン道路も工事中
万石浦(伊達政宗が埋め立てて1万石採ろうとした?)
これが噂のハイブリッドカー(ディーゼルとモーター)
石巻も女川も、鉄道に乗って気侭にぶらりと訪れても拍子抜けしてしまう程に駅前付近には何も無い。
少なくても同じ宮城県民がこんなことを言っては顰蹙ものなのだが、テレビニュースで報道され、いかにも地元は盛り上がっている風な風景は、私が見た駅前周辺には見られなかった。
車の時代に駅前を町の顔とする認識が間違っていると言われればナンとも言えないけれど。
女川の復興にいたっては、駅前の大通りが完成したとして、そこでどう言う商売が成り立つのか? などと要らぬ事を考えてしまった。
何故なら、津波以前の女川の町に活気があったのかと言うと、それも難しい話だなと思うからだ。
だったらどうすれば良い?と聞かれても、その答えは津波からの復興と言うよりも、過疎の町の問題そのものなので私如きには答えは無いのだが
さて、帰り道に仙石東北ラインで初めて乗ったハイブリッドカーのお味は?
振動や乗り心地と言う点では電車と何も変わらないのだけれど、音がかなりうるさいと思った。
時折、車速や勾配に関係なくエンジンが稼働したような音がするのだが、その音は結構耳障りに私は感じた。
何を見ても一言文句を言わないと気が済まない私のいい加減な話を最後まで読んで頂き恐縮です。
今日は、津波で寸断されていた仙石線が全線復旧した事と、序でに仙石東北ラインと言う新しい路線が開けたと聞いて出掛けてみた訳ですが、どの列車も路線も程良く混んでいて嬉しい限りでありました。
これが一時の賑わいでなく、ずっと続けば良いと思うんですけれども、しかし、石巻駅からの乗客は、2000年には一日5000人程有ったのに、津波の前の年の2010年には3600人程と、毎年減り続けていました。
頑張ってるんですけどね、三陸沿岸・・・そう、頑張ってるんですよ。
今日の小さな旅には最後にもう一段の落ちが有って、仙山線が停電で1時間半程も遅れると言うおまけも貰いました。
陸前落合~女川の運賃、片道1320円で、一日楽しめましたから、良い旅でありました、と。