あれです、バイトは休みですが身体の不調から外に出かけられる状態では無く、仕方無いので今日も家に篭ります。
もう10日にもなりますかこの不調は?
このままだと体力的にも衰えて心身ともに本物の爺さんになりそうですが、まっ、いいでしょう。
いや、不調でなければこの10日間で4回ほどスキーに行っているはずでして、このペースだと二月の滑走回数は10日に届かないことが確定であります。
うーん・・・今シーズンの滑走日数は30日に届きませんで、本気でスキーを始めてから最低になりそうであります。
過去には雪不足で滑れないシーズンってのが何度かありましたが、それでも雪のある所を求めて行ったり少ない雪のゲレンデで滑ったりして最低30日は確保したものでしたが、これも寄る年波ってことですかね?
しかし、このまま家に籠っちて出不精が身につくと、それはデブ症への道なので警戒しています。
暇なので本を読んでいました。
方丈記であります。
なんと申しましょうか、メモ書きみたいな書き方や短い文章に込められた言葉の重みが好きで時々読むのであります。
読む度に新鮮なのは読んでも覚えていないからとも言えますが、毎回違う言葉や節が琴線に触れ新鮮なのであります。
今日の一節は
いかにいはむや、常に歩き、常に働くは、養生なるべし。
なんぞいたづらに休みおらん。人を悩ます、罪業なり。
いかゞ他の力をかるべき。
衣食のたぐひ、また同じ。
藤の衣、朝の衾、得るにしたがひいて肌を隠し、野辺のおはぎ、峰の木の実、わづかに命をつぐばかりなり。
人にまじはらざれば、姿を恥づる悔いもなし。
糧乏しければ、おろそかなる報いをまくす。
惣てかやうの楽しみ、富める人に対していふにはあらず。
只わが身ひとつにとりて、今昔とをなぞらふるばかりなり。
あれです、自分流の解釈では・・・
歩き、働けば健康維持できるぜ。
休みたいとか、遊びたいとか、思ったらそん時ゃあ死ね。
身のためだ、他人に頼るなよ。
ボロは着てても心は錦、食い物は生きる糧だ、食えればよし。
人と関わらなければバカを晒すこともなく気楽だぜ。
食い物が貧しい時はよく噛んで食うとあまく美味しいよ。
私の生き方は貧乏人用なので金持ちはこの限りにあらずです。
独り者だしなぁ〜今は気楽でいいや。
どーでしょうか?
かなり強引な意訳もありますが、言いたいことはあれでしょ?
質素で物を持たない暮らしは執着が無くて気持ちが楽である。
その極意は、人と比べることなく、独りってことでありましょうか?
あれです、その昔ゴミのような零細企業を経営していたのですが商売に先は無いと読んで55歳くらいで方丈記を目指したことがありました。
が、暇に明かせてやったことは方丈記とは程遠い「放蕩記」でありました。
いや、何をやったかと言うのは書くのも恥ずかしいので端折りますが、気がつけば棺桶に入るまでと計画配分したお小遣い預金の残高が数年で半減したのであります。
いや、いい歳こいて東南アジアでムフフなことやウフフな事をして遊ぶってのはすでに卒業していたのでそっちに費やしたのではありません、なんちゃって。
いや、自分は生来が江戸っ子気質でして(生まれは栃木県ですが)宵越しの銭は持てない性分で、握った分は使っちまうとすると、稼がなくては明日が来ないわけであります。
そんなわけで憧れの方丈記生活は入り口を覗くことも無く頓挫し、今では立派に二足の草鞋を履く高齢労働者となっているのであります。
しかし思うんですぜ、日本の経済を考えると年寄りは溜め込んだ銭を精一杯使って贅沢に生きるべきだと。
いや、方丈記でも「惣てかやうの楽しみ、富める人に対していふにはあらず」ってことで持ってる人は別ですと謳っているわけです。
なんと申しましょうか、守備よくそれなりの財を得た人は還元することこそが最後のお勤めでして、握ったまま逝くのは罪であります。
余談ですが、楽して金が儲かる事は滅多に無いわけでして、老後それなりに銭がある人の足跡には人知れず苦労や努力があったと思うのであります。
なので堂々と贅沢し散財し、身軽になって三途の川を渡ってほしいと思うのであります。
いやいや、貧乏人こそは方丈記を実践して心の豊かさを味わい、地味に行くのが良いと思いますが、まっ、いいでしょう。
ああ、今日も取り止めのない話でバカを晒してしまった。
人にまじはらざれば、姿を恥づる悔いもなし。 なんちゃって。
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