ブログ仙岩

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戊辰150年新天地斗南

2018-12-17 08:55:45 | エッセイ
12/16,17福島民報に、戊辰戦争で敗れた会津藩が1869(M2)年に、青森県下北や岩手県の北の一部、北海道の函館の北の一部の斗南藩3万石に、会津藩士の家族2600戸1万7300人が移住、飢えや寒さで多く命を落としたが、1871年廃藩置県で斗南藩は消滅した。斗南は北斗以南の国の意味と。

昨夜の西郷どん最終回の放映を見ても、最後の侍の戦いで、敬天愛人の心で一生を終えた隆盛とダブルところがあり、大間で守る義の心、容保公がしたためた「向陽處」を資料館では大切にしており、明るい大地を目指せという思いを込めた言葉であろうと。その長男容大(かたはる)公が遊んだ部屋がそのままの姿で今も残っている。

明治2年12月に容大公を藩主とする斗南藩が成立し、廃藩置県で容大公は東京に移住、子爵から貴族議員になっている。容大公の残した扇子が徳玄寺に保管、境内には、藩士の家族らの墓には遺髪のみを収めたとの記録があり、無念を物語る過去帳があり、藩士の学識が地域の発展に大いに寄与していた。上野の西郷隆盛像と同様に。