国道121号は山形県米沢市から会津若松市、田島を経て日光街道へ、奥州街道から江戸へ。この裏街道は藩主保科正之によって整備され、参勤交代で
秀吉や伊達政宗、吉田松陰らも往来した。
また、他方会津若松から那須を右に見て白河に出て奥州街道を経て江戸へ、この白河経由が表街道と言われた。
裏街道の西街道には、宿場が設けられ、本郷、関山、大内、田島、五十里、藤原など参勤交代で、会津藩はもとより、村上藩や新発田藩も利用した。
その中で、塔のへつりの名所、大内宿が国の伝統的建造物保存地区に選定、全国から注目され観光客が絶えないという。我が山河、挿絵は酒井昌之。
私は羽鳥湖を通って桧枝岐、尾瀬に、会津駒、燧ヶ岳等に行っていた。
大内宿は湯野上温泉から行っており、3年前には会津西街道から大内宿へ入り、湯野上を経て温泉に浸かって帰宅した思い出がある。