小泉武夫「我が山河」より、「沼之内弁財天から塩屋崎まで」を読んで。
著者の小野新町とは違って、私の町から沼ノ内は何時も見えるところにある。
3.11の震災3年後の2014年2月23日に行ったときには、真言宗智山派賢沼寺弁天沼(賢沼)の魚見堂がつぶれ屋根だけ見えていた。
賢沼は棲む魚は捕獲禁止、人が行くと大鯉、大鰻が元気よく集まり、口をパクパクさせる。底なし沼ともいう。
その足で、3㎞南へ、木下監督の映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった塩屋崎灯台である。
この灯台は、いわき市沿岸の中央にあり、「豊間の灯台」で通り、明治32(1899)年に設置・点灯された。
その後、昭和15(1940)年に改築、現在に至る。昭和46年まで職員が居住、保守点検しており、畑が懐かしい。
北緯36.59、東経140.58の位置にあり、15秒に1回閃光、44万カンデラで、約40㎞先まで届く。
福島県沿岸を航行する船舶の重要な道しるべである。
ひばりの苑の撮影後、灯台に登り、120名の犠牲者を出した薄磯地区の様子をカメラに収めた。その写真です。
ここは遠浅のために津波は来ないという言い伝えから逃げ遅れ、いわきで一番多くの犠牲者を出してしまった。
岩手の「てんでこに逃げろ」の言葉が思い出される。