ブログ仙岩

各紙のコラムや報道番組、読書の感想、カメラ自然探索など。

県民健康管理調査の結果が届いた

2013-01-12 13:53:45 | 日記
昨日11日午後震災1年10ヶ月目に「外部被ばく実効線量推計線量」の結果が届いた。一昨年11月に提出してから1年4ヶ月ぶりである。
「震災3/11~7/11までに受けた被ばく線量は およそ0.3mSvです。」
この値は私の提出したデータ123日間の行動記録から放医研による線量量評価システム使用しての推計値である。

私が毎日の福島県の測定値から、3/11避難所35km、3/12避難所45km、~3/16民家55km、~4/3水戸200kmの24日間0.2mSv、~6/20いわき四倉自宅0.6mSvから、0.8mSv/102日と推計した。0.5mSvの開きがある。2.4mSv/年となり、6/20文科省は積算線量推計値を四倉町3/12~6/11,0.9mSv/92日、2.8mSv/年と発表している。ここでも、県と文科では0.6mSvの差が出た。
今朝の新聞では1mSv/年以下の県民が殆んど載せている。
我が家の平均線量は0.171~0.333から0.25μSv/hで、国の基準値0.23の上で、内外の除染の対象である。あと10年後の体の影響はどうか大変心配である。

あなたを忘れない29心優しい高校剣士吉田裕紀(18)さん

2013-01-11 10:47:58 | 日記
昨年母の日にちなんで娘のMさんがカーネーションを仏壇に、新地町津波犠牲の姪が「あなたを忘れない17」として福島民報に載った。

今回は小高工校機械科を卒業して10日後、浪江請戸で津波に遭ったとみられる。今も見つかっていない。
裕紀さんは双葉郡葛尾の自宅を出て、葛尾中の同級会の会場予約のため友人と請戸にいたとき地震に遭遇した。友人の親戚夫婦を浪江町役場近くの避難所に送り、その後友人の祖父母も助けようと再び請戸へ向かい津波にのまれたらしい。

母41が地震直後裕紀さんにメールを、すぐ大丈夫と返信、その後不通になり、翌日の12日に「友人の親戚をちょっと見まわっている」とメール届く。15:38津波到達直前のようだ。母は人の悪口を聞いたことがないと話す相手を思いやる性格でもあった。

飯館村のAさん「ベクレルの嘆きⅡ」

2013-01-10 11:23:35 | 日記
飯館村で一番線量が高い長泥地区西隣比曾地区から避難した9才の長女を持つAさんの嘆きである。

この比曾地区は原発に近い所から一時避難した浪江津島は木村さんの線量測定アドバイスで避難した地区の隣でもある。遅い避難で長女は23年7月の検査で微量の放射性物質が検出された。

それ以来、悩み、放射性物質に関する3冊の本を読み、娘をなるべく県外に連れ出し、発酵食品や海藻類、ヨーグルトなど食べさせた。しかし、福島市飯野の仮設には0.5~1.7μSv/hあり、最も低いところで寝かせている。娘の将来の影響を考えるときりがないので、今できること「食事に注意」「こまめに健康診断、検査を受けさせる」ことであると。
避難が遅れたことに悩んでも仕方がないので、今できることを考え娘のため帰還はせず夫の仕事場所に近い場所と考えている。

新春の歌詠みに万葉集東歌に詠まれた波立海岸

2013-01-09 09:18:55 | 日記
昨夜のテレビに外国人留学生が日本人に交じってカルタ取りに興じている映像が流れた。
また、福島民報には歌詠みの清少納言を描いた冲方丁作「はなとゆめ」が元日から連載している。

万葉集4,536首のうち、陸奥を詠んだ歌が12首、宮城に2首であとは10首全部福島、会津1、安達太良3、安積1、残り5首は震災津波被害の浜通りである。
いわき平石森山フラワーセンターの北にある歌碑「筑紫なるにほふ児ゆえに陸奥の 可刀利少女の結いし紐解く」 

波立海岸を読んだ「ひた潟の磯のわかめの立ち乱え 吾をか待つなも昨夜の今宵も」波立薬師の境内の歌碑に刻まれている。

いずれも東歌で陸奥に赴任したときを他郷から読んだものである。明治の常磐線開通に携わった人と地元の少女との関係、また、震災復興に尽力する人との関係でもいつの世も同じであることに感心する。

復興願い大鰐口目指して

2013-01-08 11:24:58 | 日記
福島県の雪深い柳津町福満虚空蔵尊円蔵寺の奇祭「七日堂裸まいり」が昨夜、下帯姿でよじ登る男たちの熱気に包まれた。

会津只見川に住む竜神から入手した「宝照の宝」を守るため集まったという伝統からきている。
近くの家々から集まった男たちが本堂の菊光堂に集結、冷水で身を清め大鰐口の綱を天井目指してよじ登る。
一年間の無病息災、祈願成就、震災復興、豪雨災害復興の願いを込めた勇壮な祭りであった。