オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

牛炒めなど

2012-11-08 | Weblog

11/8(木) 本日のメニューは「牛焼肉」がメイン。昨日の昼、ランチに出たついでに人形町”日山”で今日の弁当用に肉を贖った。趣味と云えば弁当作りだけのOYAJIは、そんなことをして遊んでいる。

メインメニューは決まっていたが、他に何を作るかは考えていなかった。冷蔵庫を覗き食材を物色しながら、最近は三色弁当を作ってないなあ~と、思いが至った。急遽、三色弁当を作ることにしたが・・・。食材の問題もある、合挽きの肉と、炒り卵はOKだが、後の一色が・・・結局、ホウレンソウを小口切りにして炒めることでお茶を濁した。

次女が昨夜帰っていたのでオムスビが要るかと、鮭を焼く。合間を縫って、朝食用の野菜ジュースを作る。ホウレンソウとトマト、リンゴ半分と水カップ一杯の野菜ジュースを弁当を作りながらグビリグビリとやった。

                       

挽肉を炒め、炒り卵を作り、ホウレンソウ炒める。これで準備は整った。焼肉を炒めえる、タマネギを一個加えて完成。なんだか、これだけでは物足りない。

                       

そこで、鮎の甘露煮を入れることにした。この鮎は、自家製ではなく近江は鮎家の既製品。以前に誰かから頂戴し置いてあった代物。小ぶりの鮎甘露煮が五匹も入っていた。

                            

これで準備は万端、弁当箱に詰める。長女の弁当は、いたく気に入った様子の私の弁当箱を使うことにした。Kの弁当は、焼き肉丼にするつもりだったが、三色ならぬ二色丼に変更。次女が起きてきて云うには、今日はオムスビは要らないとのこと。オムスビ用に焼いた鮭が、弁当箱に参入となった。

                       

以上が、今日のお弁当。

 

  「感謝・感謝のこと」

 昨夜帰宅すると、富山のマス寿司や焼き鯖寿司、その他の名品が届いていた。送り主はO氏であった。手紙が添えられており「故郷の富山に旅行中。温泉や紅葉を楽しみ、妻も歩けるようになりました」と、あった。O氏とは、入社以来の付き合い。奥様が病気をしていると、以前に訊かされていたが・・・。若かりし時代、同じ電話局の庶務課で一緒に仕事をし世話になった。

氏の結婚式では、司会を仰せつかった。その彼が富山に縁があったことは記憶にない。奥様ともども、東京で生まれそだったはず、どちらかの父祖の地が富山だったのか?。遅い帰宅時間であったが、折角の品、有難く頂戴した。

この日、もう一つの嬉しい便りがあった。一関市に在住するC氏からであった。「暫らく東京に出ていかれない、来春には柏に戻れたらと思っている。ミャンマーの学校支援の足しにしてほしい」と、募金を寄せてくれたのだ。Cさんは、東京での勤めを終えて、故郷の一関に帰郷、両親の面倒をみている。

C氏とは、津田沼・前原の独身寮で一緒になり青春を謳歌した仲間。このBLOGでミャンマーの件を知ったのか、近況とともに、わざわざ募金を寄せてくれたのであろう。有難いことであった。

Oさん、Cさんともに私より三歳ほど若い。が、既に仕事から退き引退生活である。その両氏から、奇しくも同じ日に嬉しい便りや心尽くしのものが届くとは、嬉しい限り、感謝をするばかりである。一方、引退生活の後輩に気遣いをさせ、散財をさせたことは心苦しいものがある。

何のお返しも出来ないが、両氏とご家族の安寧な日々を祈るばかり。ありがとうの言葉とともに。

 

コメント
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