オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

墓参

2018-11-01 | Weblog

11/1(木) 今日から11月、今年も後二ヶ月で終わることになる。私の席が会社に在るのも、後二ヶ月と云うことである・・・・。

延び延びになっていた、お世話になった方々への墓参は今週中に済ますべく、今日は東戸塚へ。明日は横須賀、明後日に狛江へに行き、故人を偲びながらこれまでの勤め人人生への御礼を申し上げる予定でいる。

今日は、午後から東戸塚のもちのき霊園に眠る、藤谷さんと中村さんの墓参をする。お二人とも、高知の大先輩であるが、とりわけ中村正明さんは直接の上司だったこともあり、亡くなられるまで公私にわたりお世話になった。東戸塚での墓参後、よん処のない事情から、藤沢まで足を延ばして後輩に会ってくる。

従って、今夜のパトロールは、休止する。

上記の墓参とは別に、昨日は南栗橋駅に集合して小森谷英昭さんの墓参に、かつての職場仲間八人で行った。小森谷さんは行年76歳、七月に病気で逝去された。二十年前になるが、私が現場勤務だったおりの販売部長さんで、確実な成果をあげられていた。墓参後、皆で幸手駅前の煙たなびく焼鳥居酒屋で浄めた。

                   

最後の現役EIJIと、ジュンチャンが音頭を取ってくれたので、実現した。話を聞くと、ダンスに野菜作り、自治会長や幼稚園の送迎運転などなど、元気である。とりわけ嬉しく思ったのは、介護疲れで気分が塞いでいたはずのジュンチャンが笑顔をみせたことであった。                    

それやこれやで、今週の後半は墓地・霊園と縁が深いことになった。

 

伊豆大川での若山先生の墓参であるが、谷沿いの道を汗を拭き拭き登っていった。以前に二度来ているので、場所は分っていた。それでも足で歩くと遠く、同行したFUJIKURAとYOSHIOには申し訳なかった。

見晴らしのいいところから海岸をふり返ると、蒼い海が臨めた。先生が終の棲家とこの地を選んだのが頷ける景色である。

20分以上要したか、漸く墓地に辿り着いた。同行の二人が桶や掃除道具を物置からだして、掃除の準備を・・・。私は先生のお墓を探しに・・・・。

処が、こことおぼしきあたりにお墓が見当たらない?。さほど広い墓地ではない、三人で上段から順に探す・・・・・。一番下段まで探してもお墓は見当たらない。以前の記憶でお墓があった辺りに、余所の新しいお墓がある。結局、墓替えをしたんだろうの決論になった。

自宅も譲ったとのことだし、奥様も体が思わしくなく横浜に越されている。お墓を移されたとしてもおかしくないのだ。

墓地を見廻し、蒼い海を見下ろして過ぎ去りし日々のことを思い返す・・・・。深夜近くに酔っ払って先生のお宅を訪ね、蛮声を張り上げて唄ったこと。さぞや迷惑千万ながら、笑って許してくれた。道を迷いつづけていた二十代半ば、そんな若者を黙って見守っていてくれた。

                        

先生は物書きから編集者に、最後は四柱推命の占いをされて本まで出していた。我が家の四人の子供の命名は先生にお願いした。

若山先生や木村先生、伊豆大川での関わりとわが青春時代?、未だ夢を持っていた時代。様々な思いや挫折、この地にはそんな残像があった。

先生のお墓には出会えなかったが、来てよかった、来れてよかった。伊豆大川だった。

 

では、今朝のお弁当写真を・・・。鶏唐揚げ、ホウレンソウ&卵炒め、茄子と挽肉の胡麻油炒め、焼き豚少々、以上です。

              

           

 

 

 

 

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