オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

牛小間煮

2018-11-27 | Weblog

11/27(火) 今日の弁当は「牛小間煮」と、小松菜の煮浸し、鯖文化干し焼き、ベーコン&アスパラ炒めにスクランブル風エッグ、以上であった。何時もながらの簡単なものばかり。牛小間を、タマネギ・マイタケ・シラタキで煮る。小松菜煮浸しは、昆布と鰹節の出汁を使用。

                      

体重を落とし過ぎないようにと、昨日から朝食は軽めにご飯を食べるようにした。かといって、夜遅くのラーメンだけは避けなくちゃ・・・・。

昨夕、佐賀からの客人があった。佐賀でいつもお世話になるNAKAMIZOさんが上京。孫が三歳になるとのことで、そのお祝いで上京したとのこと。娘さんと孫の三人で人形町に見えた。

食事のリクエストを訊くと、鰻がいいとのこと。界隈で比較的空いている「三好」に案内した。想定どおり、店には未だ客の姿はなかった。母娘は鰻重、孫は生意気にも白焼きがいいと言う。私はご飯抜きなので、蒲焼きを頂いた。温めの日本酒はお母さん、娘は生ビールを、私は焼酎ロックを飲みながらの食事であった。

娘は古賀武夫さんの教え子なので、古賀さんが存命中に何度か会っている。お母さんはボランティアとして地球市民の会を応援しているし、二年ほど前まで「寄ん処」と云う家庭料理だす店をやっていた。総会後の二次会などで利用させてもらってきたのだ。

然し三歳になったばかりの男の子が白焼きとは恐れ入った。恐れ入谷の鬼子母神で、妙に釈然としなかったのはなぜだろうか・・・・・。

家族を見送ってから、何時もどおりに「ローカーボ」に向かった。客は未だNUMATAちゃんだけで、二人並んで飲んでいる処にHOYA兄いが登場。焼酎のロックを飲んできたので、濃~いハイボールは二杯に止め、二人を置いて先に席を立った。

時間も早かったので、客が居なければ「セイジュ」で独りカラオケをすることにした。何れ、兄いも姿を見せるだろうし・・・・。案の定、客は居なかった。

歌の練習だとばかりに、演歌のワンマンショーが始まった。練習にと、越後情話や酒場を唄い、つづけて何時もながらの、あんた・サチコ・吾亦紅・奥飛騨慕情・風の盆恋歌・能登半島・・二人の大阪など十曲ばかり唄ったところに、現場用のヘルメットを被った兄いとNUMAちゃんが来た。

今度は兄いがオイラが唄ったことのある曲をどんどん入れる・・・・。津軽海峡から宗谷岬と北国を一巡し、北陸路の加賀の人・口笛が聞こえる港町とつづけた。何時もながらの歌ばかりで進歩がないが、所詮は酔い冷ましと喉の鍛錬のためだ、気分よく唄えれば良しさ

NUMAちゃんが黄昏のビギンを唄い、兄いのお得意の唄を聞いてから、唄い足りない兄いを置いて、お先にと失礼した。帰宅は23時30分と程々の時刻であった。

                    

 

帰宅のメトロで、来し方を振り返りと・・・・、俺の人生はなんだったんだ?の思いがよぎった。何ものかになるべく、ならなければの思いを胸に生きてきたつもりだが…、単にオヤジなっただけじゃないか。虚しさだけがふっふっと湧いてきた。私は何ものなんだ?この虚しさは未だ我が胸を去らずにいる。

 

 

 

 

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