11/2(金) 昨日は予定通りに東戸塚の霊園を訪ねて、恩人の霊に頭を垂れた。その後、藤沢駅にて後輩と会った。年下は、一括りに後輩と云う言い方をしているが、サラリーマン時代の部下と云うことになる。が、今や年下の友人と云うべきであろう。その彼が、泥沼にはまったような状態と聞き、話を訊くことにした。
水曜日に彼が人形町まで来ることになっていた。来たらしいが、会えなかった。携帯を自宅に忘れていたとのことで、私も一時間ばかり駅周辺をうろついたが会えず仕舞い。酒場にいるところに、自宅に戻った彼から電話を貰い、改めて会うことにした次第。
余談だが、携帯電話での待ち合わせでは往々に有り得る。以前、AJIRO君と新宿駅で待ち合わせたときも、同じようなことがあったが、この時は自宅を通じてやりとりをし、随分時間を要したが事なきを得た。こんな場合のセーフティネットを考えとく必要がるね・・・・。
それはさておき、後輩に会い顔を見ると全くの元気なし、生気のない顔をしていた。近くの安酒場に入り、ハイボールのWを口にしながら話を聞き、訊いた。自業自得と云うよりしょうがないだろうが、これ以上泥に埋まらせちゃいかん。なんとか応援できる範疇と思い、蜘蛛の糸を垂らすことにした。彼に言ったのは『顔を上げて生きるようになれ。青空もみえるぜ』だった。ちょっと気障だったか・・・・。
なんと言っても、サラリーマン時代に彼を片腕と思って呼び、使い、私が自立してからは、クライアント側になった彼から応援してもらった。元気に生きていってほしいのだ。
さておき、我が人生を顧みれば数多の人のお蔭でここまで生きてこれた。幾人の人から蜘蛛の糸や縄梯子、救命具を投げてもらったことか。その「お蔭さまで」を返すべき人は故人となり、或るいは縁が途切れたままである。頂いてきた「お蔭さま」を、今、縁のある人に返すだけのことだが、これがなかなかしきれない。情けないことに、欲と云う字を捨てきれないでいる・・・・。
さて、今日の午後は横須賀の海を見下ろす崖上の墓に眠る横塚さんを訪ねる。横塚さんは、関東自動車から横須賀工業倶楽部の事務局長に出向されていた。クラブの定例会に参加するなかで親しくなった。駅裏の「かすみ」なんて云う安酒場を紹介してもらい、私が東京に戻ってからもここで一緒に飲み、古いカラオケセットで唄った。
海軍の街、横須賀らしく横塚さんのお父様は海軍軍人だったそうで、幼い頃に戦死されたと聞く。ご苦労はあったろうが、そんな気配もない、明るくて元気な方だった。ガンで亡くなったとの葉書を頂いたときは、まさかの思いがあった。
暫くご無沙汰をしている間のことであった。奥様が連絡をとりましょうか?と訊くと「こんな姿を見せたくないよ」と、言ったそうだ。そのことを、後日に海の見える墓地にご案内頂いた際にお聞きしたが、切ないよねぇ~。
そんな横塚さんとの思い出を抱きながら横須賀に行きます。
そして、その帰りには関内駅でKISHIMOTO大兄と合流して懇談となる。大兄が盛大に退任祝賀をやろうと言ってくださるが、とんでもないさ。下町の居酒屋でささやかにが、似あっている。この後、人形町に戻ることになる。「セイジュ会」をやるらしいので会費を払わなきゃ・・・。
最後に今朝のお弁当を紹介します。「真鯛切り身のポアレ」「ホウレン草お浸し」「冷凍コロッケ揚げ」「卵焼き」と、今回も簡素に仕上げた。
そして自分の朝飯は、キューイ・富士柿・梨・キャベツのスムージーになった。
ボートレースもないようなので、終末は大人しく過ごす予定。週開けの5~6日は札幌の友人に会ってきます。来し方の御礼を伝える小旅行ですが、ホテルは私が好きな「札幌グランドホテル」にしました。