オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

道の駅「大山」

2020-09-17 | 弁当

9/17(木)朝から降ったり止んだりしていた雨が、昼前になって激しくなった。明日に掛けて相当の雨量になるとの予報であるが?。

秋雨前線の影響で外での作業はしない、やる気も起きない・・・。こんな日は寝転んで本のページを捲るか、ボートレース遊びに興じるかである。

 

昨日はUSUI老を町の歯医者まで送り、豆電球でコーヒーを飲みながら治療の終りを待った。そしてボートレース遊びに行ったが惨敗!。こんな日もあるさ、じゃなくて、こんなことの繰り返し。負けようが勝とうがサバサバしたもんである。

帰りに、道の駅「大山」 -ここは安芸市内から我が家への中間地点になるーで、アイスクリン(アイスクリームとはちょっと味が異なる)を食べて眼下の小さな漁港まで下りた。品物はほとんどないに等しい道の駅だが、こうして時々立寄る。が、港まで下りたのは初めてであった。

            

     

元の道路はこの池のような漁港の直ぐそばを通っていた。波が荒いと道路に掛るような難所だったが、上の方に国道が出来て更に上にトンネルまでできたので道の駅は寂れた。

            

余談ながら・・・

何時だったか、父が亡くなってからのことだが、母がポツリと言った言葉。「お父さんが予科練に行くというので、大山岬でお別れをした」と云う言葉を、この小さな岬を通るたびに思い出すのである。

河野池と呼んだ当時とは港は小さいながらも整備されて整っている。江戸時代初期の藩家老「野中兼山」の事跡と聞いている。兼山は数多の事跡を残したがその後失脚、一家は四十年に渡り幽閉される。四歳で幽閉の身となったその娘、婉を高知出身の作家・大原冨枝さんが「婉という女」のタイトルで文芸小説を書いている。

この岬を通るたびに父母のこと、兼山、そして婉のことが脳裏を巡るのである。

雨の日はこんなしょうもないことが思い出される。

庭の花は、朝顔は粗終わり木槿とサンパラソルと、百日紅がほのかに見えている。秋の気配が濃厚な朝であったが、金魚たちは餌を求めて寄ってきた。

          

昨夕は、鯖塩焼き&ソテーと生姜焼きの夕餉であった。今夜はなにを食すべきか・・・。

           

 

今月下旬、横浜からKISHIMOTO大兄が「川で釣り竿をだし、ミカン畑の焚火、星空を眺める」を目的に山里を訪ねてくれる予定。十月十二日に佐賀・地球市民の会副理事長ONO氏が来高、下旬二十四~二十五日と人形町から二人が見える予定であるが?である。

自粛要請の鍵が開いたようなので千客万来。奈加野のオヤジなんぞはそのうちに夜逃げしてくると言っている。大いに結構である。

 

 

 

コメント
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