オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

秋の長雨に浮かぶことは・・・

2020-09-10 | 弁当

9/10(木)昨日の午前中も雨であったが、今日も深夜から朝方まで雨であった。大雨ではないが秋の雨特有の季節の変わり目が予見される長雨である。

今日は昼前の今になって気温が上がってきたが、昨日一日と今朝がたまでは涼しさを通り越して肌寒い思いをしていた。

そんな肌寒さ故か、起床前に思い出されたのはナチュラル時代に席を置いて若干のアルバイト代を出していた川本君のことである。

ナチュラルと云う会社が消滅し、人形町に在ったそれまでの事務所もなくなった。スタッフは統合された会社のある東京駅前の事務所に移ったが、川本君は継続雇用されていないはずだから・・・。

一時、ナチュラルの正規のスタッフであったことから辞めたあとも彼の要望で席とPCの環境は残していた。そして朝晩の雑用で最低限の暮らしだけはできるようにしてあったが。

一日を100円~200円の食費で賄い、昔からの古アパートの三畳間辺りに暮らしている彼は、今も夏冬をYシャツ一枚で過ごしていることであろう。

昼間は住まいに近い法政大学の情報系研究室に通っているとのことだったが、今となっては定かでない。十年も前のことか、その授業料が払えないとのことで、私とHIROさんで貸したことがあるので大学には行っていた。

偶に聞くと「研究成果でナチュラルのためになることを、成果をだします」と、独特の笑顔?で応える年齢不詳の変な男であった。勿論、私は年齢を承知していたが・・・五十半ばになろうか。

暮らしは彼の問題であって立ちいることはしなかったが、貧乏であることは確かだ。その彼が今どうしているのかと気掛かりになった。

そんなことで朝食後、YOSHIOに電話した。YOSHIOは彼と話をする唯一の人間であった。

案の定か、事務所移転を契機に川本君の居場所はなくなり姿が見えなくなったので、消息は不明とのことであった。

「神楽坂のアパートで骨になってるんじゃないか?住所は分るはずだから折を見て訪ねてくれないか」と言ってはみたが、YOSHIOも我が身のことで多忙である。

斯様に余計なことが浮かぶのも、田舎暮らしの暇人故であろう。探してみても詮無いことであるのに・・・。

 

昨日の雨が上がった午後、部屋掃除を終えてから姪が始めた「いなかじかん」なる週二日のランチタイム営業の店にてコーヒーを飲んだ。丁度客足が途絶えた時間帯である。

これまではアイスコーヒーばかりであったが久々にホットにした。川を眺めるカウンター席で独りコーヒー。老は鼾をかいて寝ていたので声を掛けなかった。

              

 

今日も予定なし、長雨が終われば秋に植える野菜の準備をするが。来週あたりにはミカン畑の端にある秋茗荷が採れるかな!。

 

 

 

 

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