オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

老の誕生祝

2014-03-11 | Weblog

3/11(火) 昨日の午後、遅いランチを摂りながらYOSHIOから言われた「確定申告は済ませました?」と。いけねえ、すっかり忘れていた!。そもそも、日曜日に書類を揃えて月曜日には税務署へと、金曜日あたりには考えていたが、そんなこともすっかり失念していた。慌てて手帳に確定申告と記した。

YOSHIOの方は、早々と二月に確定申告を済ませて還付金を待っている様子。こっちはいきやぁ、不足だかで払うことになるのは必定。そうそう急いで行く気にはならぬのだが・・・。かといって国民の市民の務めは果たさねばならぬのだ。と、云う訳で今朝、目黒税務署に赴いた。

申告期限まで余すところ一週間、少しは並んでいるだろうと覚悟していたが・・・・。参ったね、長蛇の列が出来ていた。結局一時間ほど並んで順番が来た。パソコンの前に立っと、後は時間を要しない。手元の証拠書類を見ながら数字を入れるだけだ。

出来上がった結果を見ると、なんと!還付金が戻る!。金額は大したことはないが、出ると入るじゃ大違いだ。『へ~、戻って来るんだ?珍しいことも有るもんだね』と、サポートについた税務署の姐さんに呟いた。「よかったですね。それじゃ、検算をしますね」と、その姐さんならぬ、年増のお嬢さんが数字のチェックをしてくれた。

暫く進めたところで「あれ、この介護保険料のところが入力違いですね」と、きたもんだ。私のミスで、支払税額に入れていたのだ。結局、何時ものように不足額が十万円近くになった。嗚呼・・・・であった。

 

 ―老の誕生祝い―

昨晩、USUI老の四日遅れの誕生祝いを、老と二人でささやかに行った。先週の3月6日が老の七十四歳の誕生日であった。一年前から老の勤務は、週一回・月曜日だけのグランドシニア勤務となっている。そんなことで、出勤日の昨夜に一献となった。

昼間、老と定例の茶話会の折のこと。「偶々娘が誕生日にやってきたので、俺の誕生祝かと訊いたら“えっそうなの?知らなかった。でも命日だけは覚えとくから”なんて言いやがった」と、哀しくも一番現実的な話が出た。

『じゃあ今夜、隣(蕎麦店・高松のことだ)で一杯やりますか。遅まきながらの誕生祝と云うことで』となった。

年度末の三月、スタッフは忙しいのだ。暇なのはオヤジと老ぐらいなのだ。六時過ぎ、頃合いかと席を後にしたが、今夜も隣は満席だった。二人だけで何時までも席を占拠も気が引ける、早めに河岸を変えようぜと言いながらも、焼酎の金魚割りを飲った。誕生祝だ、今夜は珍しく鴨鍋やアスパラ&ベーコン炒めなどを注文した。何時になく豪勢である(私的には)。

                          

                           悠然と鴨鍋をつつく、U老

女将のMASAKOさんが「えっ、今日だったの。爺の誕生日は一月かと思ってた」と、天然ぶりを発揮しながらも、旨そうなマグロの刺身を差し入れてくれた。処が、老は「最近、魚が好きじゃないんだ」とか、我儘なことを言う。『折角の心つくし、喰わなきゃ』と、老人をいたぶった。

                     

スピードアップで飲み喰いし、次の店「ちょっぷく」でも、軽く二三杯で切り上げたのであった。今思えば、もう少しゆっくりと誕生祝をすべきだったか、と反省。

 

 

 

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週末の出来事・・・

2014-03-10 | Weblog

3/10(月) 週明けの今日も、風があって冷たい。冷たい風ながらも、鉢植えの梅の木「豊後」が雪洞のような花を咲かせ始めた。郷里の畑にある梅の木の種類は知らないが、花も実も全く違う。河津桜が満開を過ぎてから、梅が花開くと云うのもなんだか違和感を感じる・・・。

               

                   豊後梅                 河津桜                畑の梅

週末の土曜日、デザインを担当するYOSHIOが出勤しているので私も午後から顔を出した。YOSHIOによると、社内に誰かいる方が集中できると云う。彼にしっかりと働いてもらうためにも、枯れ木ながらも私が居ようと云う次第だ。

午後七時になって「予定の作業が終わった」とのこと。それじゃ軽く一杯やって帰ろうと、一緒に事務所を後にした。思ったとおりに「ローカーボ」が店を開けていた。じゃあハイボールを二杯だけと、言い交して店のドアを引いたのであった。客は誰も居なかった。

YOSHIOはハイボールを、私は一番安い赤ワイン(400円)をオーダーした。二杯目からは、ワインよりも100円安い角ハイボールに切り替えた。マスターのIWASEさんと話をしていると「4月から消費税がアップになるので、400円に値上げを考えている」と、穏やかならぬことを云う。それって、便乗値上げじゃないかと思ったが、少し足が遠のくねぇ~と言いたかった。

然し、この客の入りじゃ値上げでもしないとしんどいだろうと、分からぬ訳じゃない。この店は、半分は趣味のような処もあるが、もう少し売り上げたいは本音であろう。立ち飲みスタイルで始まったが、何時の間にや椅子がカウンターを囲んだ。

 ―蕎麦と唐辛子―

暫くするとマス-ターが「蕎麦でもいってみます?」と薦められた。その一言に、YOSHIOが素早く反応した。しゃぁねぇかと、蕎麦を喰うこととなった。最高級蕎麦粉だと言いながら「でも早目に使わないと味が落ちちゃうから」と、IWASEさんが蕎麦粉を捏ね始めたのであった。

                          

蕎麦粉と水の分量を量り、捏ねて機械に入れると麺が出てくる。それを茹で、皿に盛って出来上がり。汁は出来合のものだが、上級品に変えたそうだ。素人が作った蕎麦にしては上々である。更級なので色白で細い麺である。それをYOSHIOは「美味いね~」と喜んでいた。私は、Ajiro氏特製のmy唐辛子を、鞄からやおら取り出して汁に振り掛けるのであった。

               

何と云うタイミングか、携帯が鳴った。Ajiro氏からの電話であった。彼は今月末でサラリーマン生活にサヨナラする。慰労会をやろうと思い、伝言を入れておいたのだ。『唐辛子が絶妙だね~、分けて欲しいと云う人がいるので、高いよと言っといたよ』と、伝えると「来年からはこれを本業にしますからねえ。幾らでも注文を受けますよ」と、笑って応えた。

Ajiroさんとの思い出、笑い話は枚挙に尽きないぐらいである。つまびやかにするのは差し障りがあるので、一つだけ。或る職場で、私は課長職で彼は係長ポストでいた。上下の関係であった。彼とはその四年程前に或る部で、隣り合わせの課に居たことから知り合っていた。

当時、一緒に酒を飲み酔いが廻ってから彼が必ず言うセリフが「この人はねえ、俺と同い年なんだよ。だけど、課長だろう。悔しくてねぇ~」で、何度聞かされたことか。彼がそれを言う度に返す言葉は『悔しかったら、早く課長になれよ!』だった。彼にすれば、そう云って半分は言葉遊びをしていたのであろう。

その後、彼も管理職になり出向したが、そこでの苦労も多かった。私も同業の会社に出向して時折一緒に飲み、人生のあれこれを聴いてきた。その当時の彼の言葉は「arisawaさんとこと案件がバッチングしたら引けと、スタッフには常々言ってます」であったが。知り合ってから三十年、その間の、それ以前のあれこれを、今週にはじっくりと聞こう・・・。一時、彼を我が社に呼ぶつもりでいたが・・・。

今週、13日の木曜日に会うこととなった。彼の“人情松の廊下と、あんた”の二曲は、聴かなくちゃなんねぇ・・・・。人形町まで来るとのことである。

 

  -おもらし・・・-

日曜日、昼前に孫の”空”(そら)が長女に連れられてやってきた。今日は近所の公園に連れて行く約束を、前日にしたのだ。幼い子供だが、こう云う約束は、絶対に忘れない。このために、昨晩に孫が好きなフルーツを買っておいた。

家人が蒸し上た赤飯を小さなオムスビにし、大好きな焼海苔とフルーツ(イチゴ・パイン・キューイ)を弁当箱に詰めて二人で出かけた。公園を一週する前に、目敏くドリンクの自販機に目を付けた。「ホットレモン」をせがまれたが、生憎入ってない。グレープジュースになった。

テニスコート脇の空きテーブルを見つけてちゃっかりと座った。こっちは膝がいうことを利かないので、小さい子に遅れるのだ。そこでフルーツを半分ほど食べ、ジュースを飲み始めた・・・。一段落すると、どんどん歩き、走り進んで行く。拙いことに、丁度ポーニーの引き馬が始まる時間となっていた。

                         

目敏く見つけて、馬小屋にあるチケット自販機の前に行く。十人ほどが並んでいた。泣く子と地頭にゃ勝てぬ、は昔からこと。200円のチケット買い、ポニーに乗せた。馬は、この前にも乗った「あやめ」で、この馬がお気に入りなのだ。ここまでは上首尾であったが・・・。

                           

乗馬を終えて、また一人で駈けはじめた・・・。体育館の方に入った、かと思うと直ぐに出てきた。何やら具合の悪そうな顔つきをしている。

どうしたの?「おもらし・・・しちゃった」と、か細い声で言う。どうやら、体育館のトイレに入ろうと向かったが間に合わず、であったようだ。グリーンのタイツパンツが濡れていた。歩きにくそうに蟹股で歩む姿が可笑しい・・・。これで今日の散歩は、お仕舞となった。短時間で子守が終わった・・・、ちょっとホットしたのも否めない。

 

 

 

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雪が舞った

2014-03-08 | Weblog

3/8(土) 昨日の金曜日は午前中から豊洲へ、そこで某社の友人Y氏に会い食事とお茶。そこからモノレール「ゆりかもめ」で新橋に出た。次いで、JRで二つ隣駅の田町へ。友人のO氏と落合って、彼の案内で原子力安全推進協会なる社団法人を訪ねた。一旦帰社し、六時前に佐賀から上京したNPO法人・地球市民の会事務局長と新橋で会い、七時過ぎには横須賀に勤務した時代のメンバーとの懇談会。会社に居たのは都合二時間足らずであった。

以前にY氏が「かの有名な寿し店・次郎の出店だか支店だかが豊洲にあり、ランチ寿し限定だが安くて美味い」と、教えてくれた。それじゃ今度、一緒に行こうと云うことになっていた。それを昨日決行した次第だ。他にも諸々の提案をしてあったので、その後の情勢なども知りたかった・・・。

                       

寿しの方は、氏が言うほどの味とは感じなかったが・・・・、値段(1300円)からすればこんなものか。尤も上質の、高級のと言われる寿しとは無縁の吾輩。味など判ろうはずもないか。ランチの後、ドコモが江東区とのタイアップで始めた貸自転車置き場を案内して貰った。氏の会社の広告が入っている。埋め立てのこの辺りは平地、自転車での移動は便利であろうが、ドコモが始めたと云うのは?子会社を作ってのことではあろが。

                        

お茶をしながら、情報交換と云うのか駄弁りと云うべきか、暫くそんな時間を過ごして別れた。

この日も、お茶と酒場に居た時間が圧倒的に長い、そんな一日であった。が、始発駅の豊洲からユリカモメに揺られて、終着の新橋に至る三十分ほどの時間は、先頭車両の一番前の席に陣取り、目前に広がる工事が始まった新市場、海越えのビル群・国際展示場やレインボーブリッジからの台場跡と、静かに流れゆく景色を楽しんだ。陽が射して、上々の日和であった。

             

それが、田町駅に着いた辺りで一転し、雲が厚くなっていた。札の辻にある綺麗なビルで話を聞いた後、外に出ると何と雪が舞っていた。チラチラと舞う、そんな可愛いもんじゃない、吹き上げるように舞い、持ち歩いている小さな折り畳み傘は用を足さず、着ていたオーバに雪が纏わり付いた。暫しやり過ごそうと、駅前でO氏とお茶を飲んでいる間に小雪に変わった。

六時前、OONO事務局長と会いニュー新橋ビルの居酒屋で話を聞く。佐賀で、障がい者支援・自立化のための学校を始めるので協力をしてくれと云う話。それと、故古賀武夫会長の物語出版の進め方についての意見交換であった。私は後の予定が有るので、一時間程をビールとハイボールを飲みながらの意見交換。障がい者支援事業の方は、お金の話。本の件は、私が中心になって進めて欲しいとのこと。何れもOkだと応えた。乗りのいいのは、私の性格なのだ。

そして七時過ぎ、遅ればせながらこの日のメイン・イベントである横須賀時代のメンバーとの懇談会へ。土橋近くにあるビルの6階「秋田川反漁屋酒場」と云う店である。何人なのか、誰が来るのか知らなかったが想定はつく。当時の課長CHIZUWAさんを始めに7人、私を含め8人がこの日のメンバーであった。

Cさんは、早くも酔いが廻っている様子であった。あれから十五年は経つので、当時の若手も課長職である。勤務先の方も、グループ各社とそれぞれ。皆元気に活躍のようで何よりだ。バカ話や無駄話、ちょっと真面目な話と、愉しいひと時であった。あの頃は、いい時代であったことは確かである・・・。

                       

課長だったCさんは某社で非常勤の監査役、二年前に妻を亡くしたTは田町にある社の総務課長、Sは近県の支店でCSR担当課長、ドコモ系列会社の人事課長Sと秘書課長のK、某社の事務センター長のU、新会社で忙しいと云う剣道部後輩のTと、懐かしき仲間たちである。剣道部のTには「昨秋に君の故郷・菊池に行ってきたよ」と伝え、野球部OBのKには「某社のA君は同じ時代か?」と訊き・・・、それぞれに話題は尽きなかった。

彼らの、更なる成長と健康を願うばかり・・・。私にできることは、苦しい時、辛い時に話を聞いてやる、一緒に酒を飲んでやることぐらいなのだ。

 

 

 

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日々お酒

2014-03-07 | Weblog

3/7(金) 早や週末を迎えたが、仕事の方は一向に進捗しない。こんなものかと思えればいいのだが・・・、そこまで達観できない凡人である。そんな日々を送りながらも、酒場に顔を出すのだけは欠かさない律儀なオヤジである。

5日、夕刻には東京に着くはずの熊本の友人Tからの連絡を待っていた。が、いつまで経っても携帯の呼び出し音は沈黙したまま。20時近くになったので会社を出た。連絡を待つまでの間、近所の酒場「ローカーボ」にて軽く一杯とした。

先客が三人、一人だけの若者と年配の二人連れであった。何度か顔を合わしている二人連れは、マスターの作る新メニュー「蕎麦」を食していた。其処に、AJIRO氏特製のあの“唐辛子”が添えられていた。私が先夜に置いていったmy唐辛子の小瓶である。

『どうですか?』と、唐辛子のことを訊くと「旨い、いい唐辛子ですね。これを買うことができませんか」と云う。『私の友人が作っている手作り品なので、もし売物にしたらバカ高いものになるでしょう』と応えた。

此の夜は殻つきピーナッを摘みに、ハイボールと赤ワイン二杯で切り上げた。

                         

この日の午後、幕張メッセで開催中の“FOODEX”という食品&飲料の国際展示会を雨の中をついて見てきた。例年のことながら凄い入場者であった。この大人気の展示会の入場券が残っていたのでマスターに渡した。国内1000社、海外1600社と主催者が謳っているぐらいに大規模な展示会である。

知人のSUZUKI氏が毎年入場券を送ってくれる。彼はお土産品で有名なワイハの某チョコレート会社、この社の日本法人代表である。出展しているブースに顔を出すと、お土産を頂戴するのが常。これが目当てではないが、顔を出したところ・・・・とまあ、何時ものことであった。私は、オリーブの加工品を見たかったので探したが、目新しいものは見つからなかった。

何故オリーブかと云うと、村興しにオリーブの栽培はどうかな、などと思いついた次第だ。戦後、故郷の山の上に拓かれた開拓村がすっかり寂れていると聞く。ここにオリーブを植え、新しい仕組みを作りたいなどど夢想している。後輩のEBISUI君の従兄弟が、小豆島のオリーブ園の支配人をしていると聞いたので、訪ねてみようと思ったりしているが・・・。

またしても余談が長くなった・・・。

結局、ホテルにチェックインしたとTからの連絡が入ったのは人形町駅で地下鉄に乗ろうとした22時前となっていた。熊本を発つのが遅れたとのことであった。「明日、宜しく」と云う挨拶だけを受けて、この夜に会うのは止めた。

 

そして昨日、朝のスムージーはバナナ・ミニトマト・リンゴを半分、ウコンを少々加えた。綺麗なバナナ色のスムージーとなった。この日は、11時に大手町の某社をスタッフのAKAGI君を伴っての訪問。北風が強い中を、大手町まで歩く。何時もなら十五分で着けるのが、膝の調子が悪いので二十分も要する始末。

                        

AKAGI君に「昔このビルに建て替わる前だが、〇〇〇ビルと云ってた時代に、このビルに勤務してたんだよ」と、昔語りをしながらビルに入った。某社の担当者から、見積もり案件について説明を受けた。その後、同じビルの一階に在るN社の展示施設に勤務するMITUHASHI君と会い、お茶などして近況を聞いた。この施設も閉館の計画があるとか・・・。

昼過ぎにTが宿泊している帝国ホテルに向かった。彼とロビーで待ち合わせた後、丸ノ内線で茗荷谷駅へ。東京都福祉局の開催する、福祉施設建設などの事業者説明会に出席した。私の仕事とは縁が遠いが、Tは熊本で福祉事業や学校経営をしている。都内での事業展開を、具体的に考える段階ではないようだが参考にしたいとの上京である。私もTに付き合って、異業種の情報収集と云う処か。

説明会の終了後、一旦帰社。それにしても寒い、春は何処へやら。寒さが身に染みる。

六時半、銀座でTと待ち合わせて、六丁目の焼き鳥店「鳥繁」に入った。焼き鳥を摘みにビールやハイボール飲む。が、Tの吸い込みが悪い。どうしたんだ?と訊くと「これから人に会うのに酔っちゃまずかろう」と、殊勝なことを言う。次の店に、社会貢献活動の大家、WATANABE KAZUOさんのお出ましをお願いしている所為だ。

 WATANABEさんは福祉法人の理事であり、かつては特養施設で施設長をされた経験を持つ。説明会の会場で、急にTに紹介しようと思いつき、連絡を入れた。奥様との食事の約束があったので、食事の後に来て頂くことになっていた。私が、無理強いをしたような塩梅だが・・・。

『少々飲んでも、酔っ払わなけきゃいいんだよ』と、奨めた。飲み場所について、Tは帝国ホテルの中華にしようと言ったが、腹が張っては酒が飲めんと、焼き鳥の「鳥繁」に誘った次第。この店の「ドライカレー」を以前に喰って、えらく気に入ったのも店選びの理由の一つだが・・・。

次の店は、同じ六丁目に在る「順」であった。以前にWATANABEさんを案内し、カラオケをたっぷりと聴かせてもらったことがある。挨拶が終われば、T&Wでカラオケ合戦でもやってもらえばいい、と云うのも店選びの訳だ。八時過ぎに「順」に入ったが、小さな店内には未だ客は居なかった。

九時前にWさんが到着、二人を引合せた。最初はぎこちなかったが、酒が進みカラオケが始まるとすっかり打ち溶けた様子。二人とも、唄が上手くなった…施設で、老人相手にカラオケ教室でもやってるんじゃないか?と、勘ぐっちゃうぜ・・・。

Wさんは、わざわざ自著を二冊、Tのために奥さんに届けさせてくれた。寒い中を申し訳ない限りである。

かくして、東・西のカラオケ福祉対決の夜は更けゆく・・・・。立行司の私は、銀座の土俵には立っても相撲は取らない、取れないのであった・・・・。

 

 

 

 

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お見舞い

2014-03-04 | Weblog

3/4(火) 昨日は桃の節句、雛祭りだったがすっかり忘れていた。昨晩、ローカーボでUSUI老と一杯やっている処に、長女から「ご飯を食べに来ない」との連絡を貰ったが、雛祭りの意味合いがあったのか?。孫の”空”が悪戯をするので今年も雛壇は飾らなかったようだが・・・。

昨日の午後、五反田の関東逓信病院(旧名称か)に入院しているTUCHIDA君を見舞った。午前中に入れた電話では、今週退院予定とのことだったので取り急ぎ見舞った。

人伝の話は当てにならない。入院ドックで病気が判明したと聞いていたが、そうではなく黄疸が酷かったので病院に行った処、膵臓癌と分かり緊急入院になったとのことである。10日ほど検査に要し、それから手術となったそうだ。それでも手術が出来てよかったと、本人は納得していた。

手術には13時間も掛かったとか、胃も半分程取り胆嚢やリンパ沿いの転移があやぶまれるところは切ったとのこと。退院まじかもあり、顔色も表情も以前と同じに窺えた。が、体重の方は10 kgは減ったとのこと。無理からぬ、未だお粥だそうだから。

『暫くゴルフはできないだろうから、俺にクラブを譲れよ』と、冗談を言った。奥さんが「ヨネックスの軽量クラブにすると、言ってます」と応えた。Tは十数年来、ゴルフに凝りっぱなし。グングンと腕を上げていた。クラブは、バドミントンで縁の深いヨネックス。Tのyyにいる先輩経由で我らも学割で買っていた。

Tとは、グループの広告会社に出向していた時代にバドミントンの世界大会やゴルフの仕事等に一緒に係った。大学の後輩になるし、その大学のバド部の副部長が、私の同級生だったりの機縁も重なった。

T自身が元バドミントンの有力選手で、世界を転戦した時代もあったとか。奥さんの方も同じく、Tよりも実績がある名選手だったと聞く。基礎体力はあるだろから、早くゴルフができるようになることを祈る。

今日の午後は、東大病院に入院している当社のKの様子を見に行く。TUGAWAさん、それにYも同行するが、治療が始まったので体力の消耗が心配である。

皆、纏めて元気になれ~!

 

冒頭に触れたが、昨晩は七時頃から「ローカーボ」にて軽く飲んだ。この時間、客は誰も居なかった。何時ものハイボールに、摘みはヘルシーに野菜ステックである。暫くしてマスターが「蕎麦、いってみませんか」と云う。

                       

店の客で、蕎麦の機械を製作している方が、お試し用にと粉と一緒に置いてから一月以上になるか。マスターによると「良い粉を使わないと駄目。最高級のそば粉を仕入れたから試食してみて」とのことである。

前夜にそのそば粉は見ているが、白くてさらさらの更級蕎麦であった。それをマスターが捏ねて、蕎麦の機械に入れると、麺になって出てくる。残念ながら汁の方は出来合の瓶詰。私は、my唐辛子を取り出して汁に掛けた。締まって蕎麦の味を引き立てた。

                    

後から入ってきた、スタッフのAKAGIを店に残して、我等は「ちょっぷく」で赤ワインを二杯。最期は、U老が帰っても飯がないだろうと云うので「天や」で天丼を喰ってしまった・・・。

学芸大学の書店を覗き、帰宅は23時前であった。そして今朝は、昨晩の反省を踏まえてスムージーを飲む。トマト・人参・ポンカン半分・セロリが食材、美しい色合いのスムージーであった。

                         

 

 

 

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病適年齢?

2014-03-03 | Weblog

3/3(月) 愈々三月となった。河津桜が雨にうたれながらも咲き誇っている。朝のうち、雨粒がポツリポツリと落ちていた。

                       

三月は、一年では一番多忙な時期となるのだが、その割には売り上げの方は?である。悩みは尽きぬ野根の山だ。

野根山と云うのは我が故郷の山名で、県東部にあり江戸期・野根山関所が置かれていた。幕末、武市半平太の釈放を嘆願に決起した安芸郡の郷士23名が、ここで捉えられて奈半利河原の露と消えた古事に因む。我が母校の校歌にも詠われている。

出だしから余談が長くなったが、今朝は真面目にスムージーの朝飯とした。飯の旨さに抗い難く、ここ四日ほどご飯食がつづいたので腹が重い。今朝のスムージーは、イチゴ・ポンカン・サラダ菜・セロリに、ウコンを加えて味を〆た。あっさり味の仕上がりであった。

                   

 

さて、今日の表題とした病気適齢期だが。実は後輩のTが、すい臓がんだったことを知った。今朝、電話をすると「未だ入院中だけど、今週には退院できる予定。一月半も入院をしているが、手術が出来たのでよかった」とのことであった。実は、弊社のKも入院中である。更に、相棒のHIROさんも明後日から入院する。

年令の方は十歳づつぐらい違うが、其々に病気になる年令があるのかもしれない。年令・体力・気力・個体・習慣・性格・因縁とか、異なるのだが何かの拍子に病気が生まれる時期、それを適齢期と云う次第だが。

当人も廻りも辛いものがあろうが、罹ったものは仕様がないと受け止めるしかない。Tの場合、たまたまドックで病気が見つかったそうだが、これは稀なことだ。かつて私の上司で、大変お世話に大澤さんも同じすい臓がんだったが、入院ドックでは病巣は発見されなかった。ドックで病気が判ったTは、不幸中の幸いと云えようか。

私なんぞはズボラなので、健康診断もドックも十数年いっていない。そんなことをやると、病気になっちゃうんじゃないか、病気が見つかるんじゃないかと避けている。内心は立派な病気持ちだろうと思っているが、そう診断されない限りは病気じゃない。これも理屈だ。

ただし、膝が痛たきゃ整形へ、瘤ができりゃ切開もする。熱が出りゃ風邪薬を貰う。顕著な症状が出れば、それを抑える治療はやぶさかではない。存在そのものが病気のような私だが、これから先はどうなることやら・・・。適齢期であることは間違いなし。

 

昨夕、会社を後にしたのは五時半頃だった。真っ直ぐに帰る予定が「ローカーボ」に灯りがともっていた。邪魔じゃなきゃ、一杯飲んで帰ろうとドアを引いた。マスターが独り、手持無沙汰にしていた。雨の日曜日である、外出までの時間を店内で潰していたようだ。

                        

『じゃ、一杯だけ下さい』と、何時も座るはじっこの椅子に腰を掛け、ハイボールを頼んだ。ポツリポツリと話をするうち、二杯目とな、り三杯目となった。二人の話は、これから何をしたいか、すればいいのか、と未来に向けてのことだった。私に未来などありそうにもないが『故郷の山で、オリーブを作ってみたいな』なんてことを喋っていた。

オリーブで村興し、そんな大そっれたことじゃないが、国産のオリーブオイルの生産は少ないのだ。ビジネスとしても面白いんじゃないだろうか?などと思ったりする。そんな話をして、三杯で切り上げてローカーボを後にした。

 

 

 

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猪汁

2014-03-02 | Weblog

3/2(日) 昨日の朝からの小雨が止まない。今日も朝から小糠雨だが、夜まで止まないとの予報と、山間部は雪か霙になるとか・・・。寒い一日となりそうだ。

金曜日の夜は、松山から上京したHOSHIKA君を囲んで、三十年以上も前に資材局で一緒だったABE・IMAI・MOTOKI君が恵比寿に集った。

声掛け人の私は、テーブル席を確保するために6時半に恵比寿の焼きトン店「田吾作」の暖簾を潜った。皆が参集するまでの暫くを、独り酒。飲むのはこの店の名物ホイスである。ホッピーに似ているが、もっとマイルドで喉越しが優しい。その飲み易さから幾らでも飲めるのはいいが、後からトイレに立つ回数が増える。これが難と云えば、難である。

                        

摘みは取り敢えず、モツ煮込み。持参したmy唐辛子を振って、ゆゅくりと味わった。皆が揃うまでの間にホイス三杯を飲っていた。隣の課に居たMOTOKIが、へんてこな帽子にマント纏って現れる。ネクタイ姿は、出張のHOSHIKAと某社で現役の役員であるIMAIの二人。昔から変わらずに騒がしいMOTOKIの一人話が延々とつづき途切れない。

最期は誰かに「一人で喋ってるねェ~」と言われたが、意に介さない。偶々この日、MOTOKI君から電話があり、今夜空いてないの?と誘いを受けた。彼も顔見知りのメンバーなので『よかったら、来たら』と、声を掛けた私の失策であった。

                        

                         左からA・M・I・Hの各氏 

然し、何時まで経っても懲りないやつである。『君の馬鹿馬鹿しい自慢話や、独りよがりを聞きたくて集まってんじゃないよ』と云いたかったが、私も大人になったもんだ。その言葉は控えた。

九時過ぎまで飲み、次回HOSHIKA君が上京すると云う五月にまた集まることとして、恵比寿の夜は散会となった。次回には、OBAYASHIとISHI君を誘わなくては・・・・・。

  猪 汁

そして、昨日の土曜日に猪汁を作ることになった。二月に郷里の従姉から猪肉が届いていた。中々旨い猪なのだが、会社のメンバーは正月にも喰っているので食傷だろうと冷蔵庫の中で眠っていた。東京人は余程のゲテモノ食いか、通好みでないと食す機会はないだろうと、行き付けの安酒場「ちょっぷく」の店長YAMAKAGE氏に『猪鍋会をやろうぜ』と云ってあった。

それを、昨日に実行することにした。猪肉を喰ったことのない山ちゃんは半分腰が引けていたようだ。食材の大根・蒟蒻・油揚げ・酒粕を持参して、午後に出社した。「ちょっぷく」は、ランチが終わり掃除を始めていた。店の常連客で、何時も手伝いをでしている面々がこまめに動いていた。

猪汁は店で作らず、会社で作った方が早い。猪肉も会社の冷蔵庫だ、会社に在る鍋と卓上コンロで調理をする。出勤していたYOSHIOを助手にして準備をした。今回のミソは、酒粕を使う処にあった。先月の帰郷の折に、従姉が酒粕を入れた猪汁を作った。これが中々よかった。そこで同じ手法でやってみる。酒粕はあの「南」を醸造している、南酒造で貰ったものだ。

半解凍の猪肉を2~3mmの厚さに切り、たっぷりの水で茹で、丁寧に灰汁取りをする。これをYOSHIOが分担してくれた。大根を乱切りにし。蒟蒻を千切って加える。食材が煮上がった頃合いに日本酒を惜しげなく加え、味噌と酒粕(味噌の半分から三分の一)を入れて味を調えた。煮始めて一時間ほどで完成した(煮込めば煮込むほど旨くなるが)。

                    

出勤しているFUJIKURAとRIEも呼んで、先ずはご試食会である。寒い体に、アツアツの猪汁が心地よかった。とはRIE嬢の弁である。上々の出来栄えと言ってよかろう。社内の試食会が済んだので、鍋ごと「ちょっぷく」に持ち込むことにする。

YOSHIOとFUJIKURAも一緒に店に向かったが、未だ掃除をしていた。何時もの常連客が木製テーブルにミルクを垂らして磨き込んでいる。もう一組は、ランチを提携している会社の社員利用チケットの枚数換算に余念がない。手持無沙汰な我らは、生ビールを飲みながら終わるのを待った次第。

一週間の整理が漸く終わり、ランチの残り菜がテーブルに並んだのは四時過ぎとなっていた。さあ、これからささやかな宴会である。猪汁を温め、食して貰う。臭みも癖もなく、美味いと、一様に納得したようだ。

                         

                        手を挙げているのが、店主・山ちゃん

そして恒例のCOCO一番の10倍辛いカレーの出番、私にとっては「ちょっと辛いネ」ぐらいでへっちゃらだ。ご飯に掛けると辛いんだと、山ちゃんが寄越した・・・これも完食だぜ。

                         

                          my唐辛子も掛かってます

ビールに芋焼酎、韓国土産だと云う40度の焼酎?多分焼酎だが、辛さで舌が麻痺か?甘く感じた。常連客のHOYAさんが、現場仕事帰りだと顔を出した。山ちゃんが二度目の入院をしたのは、HOYAさんと土曜日に遅くまで飲ん日だったのを思い出した。あれ以来、山ちゃんは酒を断っている。

そんなことで、土曜日も楽しく飲んでいた次第。人形町はいいね・・・・、この街は離れ難い。

 

 

 

 

 

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