私は結婚する前から比較的料理はした方だと思います。
それでも、結婚してから覚えた料理も多いです。
家庭によっておかずの傾向は違うものだし、
同じ名前がついていても味がずいぶん違うこともありますから。
義母には色々と教えてもらったと思います。
特に、どういうわけか『なすび』料理が。
なすびの炊いたん
なすびのおひたし
なすびの南蛮漬け
なすびの田楽
私がそういうものを作っている、と言うと、
へえ~そんなん作るんか、あんたは!と感心する義母。
おかあさんに教えてもろたんやで、と言っても、
うち、そんなん作ってたかいな?
そんな反応をするくらい、最近は料理をしなくなっていました。
義母が入院している病院から、朝方電話がありました。
呼吸が弱くなっています。
看護師さんの声に驚いて、家族を起こし、
朝もやの中、自転車を飛ばしました。
待っていたのは、触るとまだ温かい義母。
しかし、もう、目を開けることのない体でした。
5時15分、それが義母の旅立ちの時間に決められました。
9日間の入院で、体力も気力も急降下していきました。
何も食べず、点滴が唯一のエネルギー源でした。
思えば、2日目の夜、
点滴を引き抜いて帰ると騒いだのが、最後の元気な姿。
突然認知症のような症状が始まることもあるのでしょうか。
日ごとに家族の区別もつかなくなっていきました。
最初の頃におとなしくしていなかったことから、
仕方なく拘束を認めたので、
昼間は手にミトンをはめられ、車椅子に括りつけられていました。
私が最後に義母から聞いた形のある言葉は、
「外して」でした。
ミトンを外して欲しかったのです。
応じることはできませんでした。
休日、今後のことを話し合うために家族が集合しました。
部屋に流れる空気がそうさせたのでしょうか。
近しい親戚に義母の状況を初めてを知らせました。
その日の内にみんなが会いに来てくれました。
ベッドの上で眠り続けながらも、時折大きく体を動かす義母に、
訪れた人達が、声を掛けたり、背中をさすったりしてくれて、
久しぶりに賑やかな病室になりました。
わずかになった残り時間に会いたい人を呼び寄せたのだと思います。
たった9日間の入院生活で義母の85年が終わりました。
それでも、結婚してから覚えた料理も多いです。
家庭によっておかずの傾向は違うものだし、
同じ名前がついていても味がずいぶん違うこともありますから。
義母には色々と教えてもらったと思います。
特に、どういうわけか『なすび』料理が。
なすびの炊いたん
なすびのおひたし
なすびの南蛮漬け
なすびの田楽
私がそういうものを作っている、と言うと、
へえ~そんなん作るんか、あんたは!と感心する義母。
おかあさんに教えてもろたんやで、と言っても、
うち、そんなん作ってたかいな?
そんな反応をするくらい、最近は料理をしなくなっていました。
義母が入院している病院から、朝方電話がありました。
呼吸が弱くなっています。
看護師さんの声に驚いて、家族を起こし、
朝もやの中、自転車を飛ばしました。
待っていたのは、触るとまだ温かい義母。
しかし、もう、目を開けることのない体でした。
5時15分、それが義母の旅立ちの時間に決められました。
9日間の入院で、体力も気力も急降下していきました。
何も食べず、点滴が唯一のエネルギー源でした。
思えば、2日目の夜、
点滴を引き抜いて帰ると騒いだのが、最後の元気な姿。
突然認知症のような症状が始まることもあるのでしょうか。
日ごとに家族の区別もつかなくなっていきました。
最初の頃におとなしくしていなかったことから、
仕方なく拘束を認めたので、
昼間は手にミトンをはめられ、車椅子に括りつけられていました。
私が最後に義母から聞いた形のある言葉は、
「外して」でした。
ミトンを外して欲しかったのです。
応じることはできませんでした。
休日、今後のことを話し合うために家族が集合しました。
部屋に流れる空気がそうさせたのでしょうか。
近しい親戚に義母の状況を初めてを知らせました。
その日の内にみんなが会いに来てくれました。
ベッドの上で眠り続けながらも、時折大きく体を動かす義母に、
訪れた人達が、声を掛けたり、背中をさすったりしてくれて、
久しぶりに賑やかな病室になりました。
わずかになった残り時間に会いたい人を呼び寄せたのだと思います。
たった9日間の入院生活で義母の85年が終わりました。