2、小さい角の正体を明らかにする9つの証拠
宗教改革者たちは、ダニエル書7章の小さい角をどのように理解して、教皇権がまさしく偽キリストであるとの結論に達したのでしょうか?彼らは、私たちが第二部で学んだ小さい角の9つの特徴をどのように教皇権に適用させたのでしょうか?ダニエル書7章に出る小さい角の9つの特徴を満たすことのできる勢力は、他になかったのでしょうか?
こからは、これらの質問に対する答えを探してみることにします。この記事を最後までお読みになれば、読者のあなたも、小さい角を示す勢力は、一つしかないことを、聖書の言葉を通して、確信されることでしょう。そして、宗教改革者たちと同じ理解を持つことが出来るでしょう。
神様は、真理を知りたいという謙虚な心で小さい角の正体を研究するなら、誰もが同じ結論を得ることが出来るように、預言を聖書に記して下さいました。なぜなら、神様は、真理を求める全ての人が、偽キリストの正体を明確に理解出来ることを願っておられるからです。結論から申し上げると、ローマ教皇権以外にはこの世界に存在するどの宗教や政治勢力も、小さい角の9つの特徴を完全に満たすことは出来ません。
では、現代プロテスタント教会の先駆者たちである宗教改革者たちが、ローマ教皇権を小さい角の勢力として指摘した根拠となる9つの証拠を順序よく見ていきましょう。第二部で学んだ、小さい角の9つの特徴と、教皇権に関する史実とを比較検討してみましょう。
1、西部ヨーロッパで起きた教皇権
「十の角を持っていた。わたしが、その角を注意して見ていると、その中に(Among them) また一つの小さい角が出てきたが」(ダニエル7:8)。この聖句では、ローマ帝国が十の国々として分断されることが分かりますが、その中から、小さい角が生じます。これは、小さい角が登場する地理的な位置が、西部ヨーロッパであることを意味しています。ローマ教皇権が誕生した地理的な位置は、一番目の特徴と正確に一致するでしょうか?そうです。ローマ教皇権は西部ヨーロッパで誕生しました。もう少し具体的に言うならば、ローマ帝国の心臓部であるイタリア半島のローマで生じたのです。
2、ローマ帝国分裂後に権力をもつ教皇権
「十の角はこの国から起る十人の王である。その後にまたひとりの王が起る。彼は先の者と異なり、かつ、その三人の王を倒す」(24節)。ダニエル書7章8節でも、小さい角の勢力が「十の角」が現れた以降に、強力に起きるという事実が分かります。
ローマ教皇権はいつ起きましたか?ローマ・カトリック教会が強力な勢力で登場する歴史的な年代が、この二番目の特徴と正確に一致します。教皇権はローマ帝国が十の国として分裂した後の、紀元476年以降に強力な勢力として登場しました。 ユスティニアヌス皇帝は、ローマ教会に強大な権力(宗教、政治、軍事権)を与える調書を与えましたが、紀元538年には、この調書が実際的に効力を発揮できるようになりました。そして、ここから、教皇権が世界を支配する宗教暗黒の時代が始まるのです。このような歴史的な事実は数多くの歴史家たちの記録から確認出来ます。
3、三つの角を根から抜き落とした教皇権
- 「この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた」(8節)。ローマ帝国が分裂して形成されたきた十の国々の中で、三つの国は教皇権に対抗しました。その国は教皇権の信仰と相反するアリウス主義を信奉していた東ゴート族、ヘルーリ族、バンダル族でした。ユスティニアヌス皇帝が教皇権に強大な勢力を与える布告を出した後、ローマ教皇権の邪魔になっていたヘルーリ族、バンダル族、そして東ゴート族が 紀元 493年、 534年, そして 538年にそれぞれ教皇権によって滅ぼされ「三つがその根から抜け落ち」たという預言が文字通り成就しました。これによって、ローマ帝国の分裂後生じた十の国の中で、七つの国だけが今日のヨーロッパを形成している現代国家として存続することになりました。