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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

聖書に預言された世界の歴史  第27回

2016年04月22日 | 日記

9「ひとと、ふたと、半時全盛期えるロ教皇権

*「彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はま時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる」(ダニエル7:25 )

*「そのころ、この女の根から、一つの芽が起って彼に代り、北の王の軍勢にむかってきて、その城に討ち入り、これを攻めて勝つでしょう」(ダニエル11:7)

*「聖所の外の庭はそのままにしておきなさい。それを測ってはならない。そこは異邦人に与えられた所だから。彼らは、四十二か月の間この聖なる都を踏みにじるであろう」(黙示録11:2)

*「そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」(黙示録11:13)

*「女は荒野へ逃げて行った。そこには、彼女が千二百六十日のあいだ養われるように、神の用意された場所があった」(黙示録12:6)

*「しかし、女は自分の場所である荒野に飛んで行くために、大きなわしの二つの翼を与えられた。そしてそこでへびからのがれて、一年、二年、また、半年の間、養われることになっていた」( 黙示録13章5節)

*「この獣には、また、大言を吐き汚しごとを語る口が与えられ、四十二か月のあいだ活動する権威が与えられた」( 黙示録12:14)

 

ここで紹介した7つの聖句は、すべて同じ時期に起きる同一の出来事を預言していることがよく分かります。7つの聖句はすべて、女として象徴された神様の民が、小さい角(獣)の権勢から逃れて、荒野(深い山や渓谷?)に行くことを預言しています。彼らは、そこで真理を保存するというのです。小さい角に対する9番目の証拠は、歴史的に成就したのでしょうか?実際に、中世期の歴史は、その事実を文字通り立証しています。私たちはこの事実を確認するにあたり、もう一度、中世期の歴史を確認するべきです。

1260年の期間はいつ始まっていつ終わるのでしょうか?まず、小さい角がいつどこで起きるかを調べてみなければなりません。明らかな事実は、ローマ帝国が十の国々として分裂された後、すなわち西暦476年以降に小さい角の勢力が盛んになるということです。それでは、476年以降のどのタイミングで、教皇権が権力を掌握する機会が訪れるのでしょうか?

 

紀元533年はとても意義深い年です。この年に、ユスティニアヌス皇帝はローマ教皇権に強力な権勢を与えると言う調書を出しました。これによって、教皇権が教会の頭としての権限が公に与えられました。私たちはこの事実を 紀元534年に編纂されたユスティニアヌスの法典から確認できます。しかし、この調書が完全な効力を発揮する事ができたのは538年であり、その年に教皇権は、ローマ教皇権の反対者であった最後の国を滅ぼすことで、三つの角を根もとから抜き去り、本格的な権力を確立することになりました。

預言された期間である1260年の後半期に入ると、ルネッサンスと宗教改革運動が起き、フランス革命の影響を通して、教皇権は決定的な打撃を受けることになりました。1798年には、驚くべき事件が起こりました。当時フランス革命政府の命令を受けたベルティエ将軍が、軍隊を率いてローマ教皇庁に攻め入り、ピウス6世を彼の権座から引きおろしました。教皇ピウス6世は耐え難い屈辱の中、ローマからフランスの牢屋に更迭され、そこで獄死します。結果として教皇のすべての財産は差し押さえられました。それが、ちょうど1260年の終点である1798年でした。このように紀元538年に教皇権が確立されることによって始められた1260年の預言は、1798年に教皇権とローマ教会が崩壊することで正確に成就しました!