5.盗人のように来るとは
イエス様の来臨について説明する聖書の二つの言葉を、間違って解釈したために多くの混乱が生じています。しかし、主は偏見を持ちやすい人間が誤解することのないように、明確に言われました。そこで、主のお言葉の中で秘密携挙を証明する言葉として使われている"夜中に盗人のように"と、"ひとりは連れて行かれ、もう一方は残される"という言葉を、詳しく見てみましょう。もし私たちが、心を開いて聖書の言葉をそのまま受け取ろうとするなら、イエス様の言葉の中に、曖昧なことなど一つもないという事実を見つけられるはずです。
主が、“夜中に盗人のように”臨まれると言われた意味はなんでしょうか?主はマタイによる福音書24章42-44節で詳しく説明されました。「だから、目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。このことをわきまえているがよい。家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら、目をさましていて、自分の家に押し入ることを許さないであろう。だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである」。
まさにここに答えがあります!子供でも理解できるほど、簡単ではありませんか?主の再臨は、多くの人たちが意識していない時に起こるのです。主の再臨は突然で、この世をあっと驚かせることでしょう。主は、人々が最も期待していない、思いがけない時に来られるのです。夜中に忍び込む盗人を予測できないように、多くの人々が全く主に会う準備が出来ていないような状態の時に、キリストの再臨は起きるのです。この言葉は、主が盗人のように誰にも知られないように、そっと秘密裡に来臨されるという意味ではありません。さきほど学んだように、主が来臨される光景は、世界中の人々が同時に見ることが出来る荘厳なものです。しかし、その方は誰も予測出来ない時に来られるのです。イエス様はマタイ24章50節で次のように強調しておられます。「その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて」。
ペテロもキリストの来臨を描写する時に、同じ「盗人のように」という言葉を使いました。「しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう」(Ⅱペテ3:10)。この言葉にも、秘密携挙の考えが間違いであることがよく表されています。ペテロはイエス様が盗人のように来臨される時は、同時に天が大音響を立てて消え去っていく光景を描写しています。それが、秘密めいたことになるのでしょうか?この表現を見れば、イエス様が空中にそっと来臨され、同時に数百万の聖徒が秘密裡に天へ連れて行かれ、他の人たちは何が起きているのか全く分からずにいるという光景を考えることは出来ません。そのような解釈は、聖書の言葉が意味するものと正反対です。ペテロが言及した“大音響”とは、パウロの手紙の中では、あまりにも大きな音なので、死者まで起こすほどの叫び声とラッパの音です。