6.ひとりは連れて行かれ、もう一方は残される
ここで驚くべき事は、多くの人が、このように明確に記された聖書の言葉を、自身の主張を裏付けるために文脈から切り放して解釈しているということです。同じ事が、臼をひく二人の女性のたとえ話でも言えます。イエス様は「ひとりは連れて行かれ、もうひとりは残される」と言われました。この言葉は何を意味しているのでしょうか。この聖句の中に、聖徒の秘密携挙についての暗示が果たしてあるでしょうか?
問題の聖書の言葉である、ルカによる福音書17章34節から37節の意味を正しく理解するため、その前後の文脈を読んでみましょう。この話は26節から始まっていて、人の子イエス様が来られる時は、ノアの時のようであると言われました。「そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていたが、そこへ洪水が襲ってきて、彼らをことごとく滅ぼした」。ノアの時代と現在の状況はとても類似しています。ノアの時には、洪水が起こる前に、ノアとその家族は箱舟に連れて行かれ、ある者たちは残されました。連れて行かれた者たちは箱舟に乗り救われましたが、残された者たちは、凄まじい波によって全滅しました。
キリストは、また他のたとえを用いて説明されました。「ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。人の子が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう」(ルカ17:28-30)。ここでも、類似した場面が繰り返されています。ある者たちはソドムから安全に連れて行かれ、ある者たちは残されました。残された者たちに、どんなことが起きましたか?彼らは全て火によって滅ぼされました。
では、34節を読んでみましょう。「あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう」。皆さんが、この聖書の言葉を解釈する時、まさに先ほどキリストが言われた、ノアとロトの救出の例との共通性を必ず心に留めなければなりません。いずれの場合も、内容は義人を悪人の中から選び出して取り去り、残された悪人は死に至るのです。ノアとロトの時に見放された者たちが死に至ったように、見放された者たちは必ず「死」を迎えるという事実を理解しなければなりません。続く37節の聖句を読めば、イエス様が語られたことの意味を、さらに正確に知ることができます。「弟子たちは、『主よ、それはどこであるのですか』と尋ねた。するとイエスは言われた、『死体のある所には、またはげたかが集まるものである』」(37節)。
イエス様が、ひとりは取り去られ、もう一方は残されると言われた時、弟子たちは、その人たちがどこに残されるのか尋ねました。主は、残された者たちは死を迎えるという事実を明確に表現されました。残された者たちが再臨の栄光によって死に、その死体がハゲタカなどのエサとなると言われたのです。これが、この問題について聖書の他の部分に書いてある言葉と完全に調和する解釈です。ここには、最後の時に救われる者と滅亡する者を分ける出来事が、秘密裡のうちに行われるというような暗示はどこにもありません。それにもかかわらず、聖書的に根拠のない伝統を維持するため、また主のお言葉を、自分たちがもともと持っていた願望と一致させようとして、結局聖書の言葉を曲解するようになったのです。
最初に秘密携挙があり、7年後にキリストが再び来られるという非聖書的な、二段階に及ぶ再臨の教えが、長く教えられてきたために、多くの人々がそれを聖書の真理であるかのように信じてしまっています。しかしそれはとても危険な教えなのです。なぜならそれは、大多数のクリスチャンたちに偽りの安心感を与え、最後には滅びへと導く可能性があるからです。悪人たちは、イエス様の再臨の時に地上に残され滅亡するのです。秘密携挙説が主張するように、残された人々も7年の患難期を過ごす中で悔い改め、救いを受けるチャンスが再び与えられるということはありません。イエス様の空中再臨後に、この地上で生き続ける人間はいません。すなわち"7年の大患難"というものも、存在しないのです。イエス様が最後の時に、「あなたかたは、惑わさないように気をつけなさい」(ルカ21:8)と警告されました。皆さんは、イエス・キリストの警告を真剣に受け止められますか?