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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

天国、それは本当にあるのか? 第10回

2016年07月26日 | 日記

第3部:天での生活

Q 天とはどのようなところですか?

 A 私たちクリスチャンは、神様のお言葉である聖書を信じています。ですから、聖書に出ている言葉を通して天がどのようなところであるかを知る必要があります。聖書の言葉をもとに、天での生活がどのようなものかを見ていきましょう。

 1.実際的な場所:天と新エルサレム

聖書を見ると、イエス様が私たちの暮らすところである天を、「すまい(Place:場所)」と呼んでおられることが分かります。ニューヨークは一つの場所です。天もニューヨークのように実際的な場所なのです。イエス様は、場所を準備しに行き、再び来臨し、私たちをその場所へ連れて行くと言われました。

これは、決して抽象的で非現実的な話ではありません。天についての聖書の言葉を見てみると、そこは実際的で最も興味深い場所です。この先できる、新しい地球の首都を新エルサレムと呼びますが、イエス様とパウロの証言によると、それは今、建設中です。

 聖書は次のように言っています。「しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである」(ヘブル11:16)。神様が民のために、都、城を用意していると記録されています。

 では、神様が忠実な民のために準備しておられる城とはどのようなもので、いつその準備が終わるのでしょうか?ヨハネの黙示録21章2節を見てみましょう。「また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た」とヨハネは言いました。神様は今この瞬間にも、星空の向こう側にある楽園で、皆さんと私のために家を準備しておられます。やがてその光り輝く城がこの地球上に降りて来て、義人たちの永遠のすまいとなるのです。


天国、それは本当にあるのか? 第9回

2016年07月25日 | 日記

「わたしが造ろうとする新しい天と、新しい地がわたしの前にながくとどまるように、あなたの子孫と、あなたの名はながくとどまると主は言われる。新月ごとに、安息日ごとに、すべての人はわが前に来て礼拝すると主は言われる。」(イザヤ66:22,23)

「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」(黙示録 21:1-4)

「御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。」(黙示録 22:1-5)

Q 天国や新しい天と地はどのようなものでしょうか?

A ヨハネの黙示録に書かれている預言を詳しく学ぶと、この世の最終時代には、大きな艱難が起き、神様を信じる者たちは最終試験(獣の印の患難)を受け、それに勝利した聖徒たちが、イエス様の再臨の時救いを受け天(天国)に上り、神様と共に千年の間、まるで王様のように過ごすことが書かれています。そして千年が終わった後、この地にもう一度、イエス様と聖徒たち、そして彼らが住む家であるエルサレムが降りてきます。その時、この地上のものと復活した悪人たちは炎で跡形もなく滅亡し、この地球は新しい天と地に再創造されるのです。(千年期と悪人の復活についてはこの小冊子の第4部で説明します)

 

その新しい天と地には、神様の幕屋があって神様が共に住まれ、地球環境のすべてが天の国のように回復されるのです。

 


天国、それは本当にあるのか? 第8回

2016年07月24日 | 日記

Q 天国についての言及は聖書のどこにありますか?

 新約聖書と旧約聖書には、神様の偉大なあがないの計画を通して、堕落した地球が回復され、神様の聖徒たちが暮らすこととなる新しい天と新しい地について、何度も言及されています。

「おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。」(イザヤ 11:6-9)

「荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、さふらんのように…、その時、目しいの目は開かれ、耳しいの耳はあけられる。その時、足なえは、しかのように飛び走り、おしの舌は喜び歌う。それは荒野に水がわきいで、さばくに川が流れるからである。焼けた砂は池となり、かわいた地は水の源となり、山犬の伏したすみかは、葦、よしの茂りあう所となる。そこに大路があり、その道は聖なる道ととなえられる。汚れた者はこれを通り過ぎることはできない、愚かなる者はそこに迷い入ることはない。そこには、ししはおらず、飢えた獣も、その道にのぼることはなく、その所でこれに会うことはない。ただ、あがなわれた者のみ、そこを歩む。主にあがなわれた者は帰ってきて、その頭に、とこしえの喜びをいただき、歌うたいつつ、シオンに来る。彼らは楽しみと喜びとを得、悲しみと嘆きとは逃げ去る。」(イザヤ 35:1, 5-10)

「見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。泣く声と叫ぶ声は再びその中に聞えることはない。わずか数日で死ぬみどりごと、おのが命の日を満たさない老人とは、もはやその中にいない。百歳で死ぬ者も、なお若い者とせられ、百歳で死ぬ者は、のろわれた罪びととされる。彼らは家を建てて、それに住み、ぶどう畑を作って、その実を食べる。彼らが建てる所に、ほかの人は住まず、彼らが植えるものは、ほかの人が食べない。わが民の命は、木の命のようになり、わが選んだ者は、その手のわざをながく楽しむからである。彼らの勤労はむだでなく、その生むところの子らは災にかからない。彼らは主に祝福された者のすえであって、その子らも彼らと共におるからである。彼らが呼ばないさきに、わたしは答え、彼らがなお語っているときに、わたしは聞く。おおかみと小羊とは共に食らい、ししは牛のようにわらを食らいへびはちりを食物とする。彼らはわが聖なる山のどこでもそこなうことなく、やぶることはないと主は言われる。」(イザヤ 65:17-25)


 天国、それは本当にあるのか? 第7回

2016年07月22日 | 日記

Q 天は本当に存在するのでしょうか?

あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」(ヨハネ ネ14:1-3)。 

「すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」(Ⅰテサロニケ 4:16,17)。 

イエス様は、救いを受ける人たちが暮らす場所、すなわち“すまい”を準備しに天に行くと言われました。またイエス様が、弟子500人あまりが見守る中で天へ昇られる時、彼らの前に天使が現れ、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」(使徒行伝 1:11)と言いました。

イエス様が天に行かれ、私たちのために「すまい」を用意された後、再び私たちを迎え、永遠に共に過ごそうと約束されたのですから、その天は確実に存在すると考えるべきでしょう。また、使徒パウロはイエス様が天より降臨され、私たちを空中に引き上げ、主が出迎えられて、永遠に共に過ごすようになることについて、新約聖書の中で何度か言及しています。


天国、それは本当にあるのか? 第6回

2016年07月21日 | 日記

第2部:イエス様が準備されたすまい、天の国

1.地球の堕落と回復、そして天の国

神様が最初にこの地球を創造された時、この世界全体がエデンの園のようになることを望んでおられました。その時神様は、人類の始祖アダムとエバに4つのものを与えられました。それは、永遠の生命、愛、美しい環境や住まい、この世界を統治する権勢です。そして彼らは、禁止された果実についての神様のお言葉に単純に従うことを選び続ける限り、その贈り物を永遠に所有することが出来ました。創造主である神様の愛の戒めや、その方が定められた世界の秩序に従うことは、自然の法則のように当たり前で、人間の永遠の幸福を保障する法則でした。

神様は、人類家族が神様のこの愛の法則に従うことにより、人間を理想的で永遠の幸福へと導こうとされました。

人間の家族に罪が初めて生じた時、天使たちはおそらく泣いたことでしょう。そして、すぐさま神様の本来の計画は取り止められ、アダムとエバには罪の結果として死が宣告され、この世の統治権はサタンの手に渡り、神様の愛と義に満ちていた容貌や品性は傷つけられ、エデンの園の家から追い出されました。

罪はこの世界に不幸と不調和、痛みや病気、悲しみと嘆きをもたらし、神様に似た人間の性質は罪深くなり、永遠に生きることは出来なくなりました。そしてこの地球は、永遠の破滅に向かってただ走り続けるだけでした。しかし、愛の神様はそれを放っておかれませんでした。神様は、イエス・キリストをこの地に送り、人類の罪を代わりに償わせ、彼を信じる人を救うあがないの計画を実行に移されたのです。それにより、キリストを自分の救い主、人生の主として受け入れる人を、天の都へ連れて行くことが出来るようになり、永遠に共に住まうための「すまい」、天の家を準備しておられるのです。

今イエス様が、私たちのために準備しておられる天の家は、人間の完全な幸福のために神様が遠い昔に計画された実際的な「すまい」です。そこは神様がかつてエデンの園に作られた、完全な美しさを再現することとなるでしょう。イザヤはその美しさを次のように描写しました。「いにしえからこのかた、あなたのほか神を待ち望む者に、このような事を行われた神を聞いたことはなく、耳に入れたこともなく、目に見たこともない」(イザヤ 64:4)。また使徒パウロも、「しかし、聖書に書いてあるとおり、目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられたのである」(Ⅰコリント2:9)と描写しています。天はどれほど良い所なのでしょうか!