2012年9月9日-4
プラトンの美、イデア、事態把握
「プラトンは、およそ存在するものを「思惟によってのみ捉えられるもの」と、感覚の助けをかりて思惑によって捉えられる「知覚されるもの」に分かち、前者は生成消滅せずつねに自己同一的で、自体的独立存在であるのに対し、後者はその存在を前者に依存し、生成消滅変動ただならぬ時空的存在であると見なした。〔略〕
美そのもののほかにも、何かが美しくあるとすると、それが '美しくある' というのは、かの〈美そのもの〉をまさにそれが分有しているからなのであって、けっして他の何を原因としているのでもない。」
(野本和幸 1997.2: 248頁)。
「しかし、〔略〕
『ティマイオス』(48E-52E)では、超越的イデアは「生成するものが、それに似せられて生ずるもの」「つねにあるもの、生成しないもの」、つまり原範型として把握され、他方つねに生成しつつあり、あるということの決してないものてある「このもの」は、変動流転ただならず、いかなる局面も他の局面から区別されえない。」
(野本和幸 1997.2: 249頁)。
「日常語で「このもの(x)は美しい(F)」と語られる〈事態〉は、『ティマイオス』の記述方式では〔略〕藤沢教授〔によれば〕〔略〕
〈場〉のここにいま〈美〉のイデア(Φ)がうつし出され(F)ている、
あるいは、
〈美〉のイデア(Φ)の似像が、いま〈場〉のこの部分に受け入れられて、〈美〉(F)として現れている。」
(野本和幸 1997.2: 250-251頁)。
[N]
野本和幸.1997.2.意味と世界:言語哲学論考.xi+399pp.法政大学出版局.[6,695円][B20120904,2800*]
プラトンの美、イデア、事態把握
「プラトンは、およそ存在するものを「思惟によってのみ捉えられるもの」と、感覚の助けをかりて思惑によって捉えられる「知覚されるもの」に分かち、前者は生成消滅せずつねに自己同一的で、自体的独立存在であるのに対し、後者はその存在を前者に依存し、生成消滅変動ただならぬ時空的存在であると見なした。〔略〕
美そのもののほかにも、何かが美しくあるとすると、それが '美しくある' というのは、かの〈美そのもの〉をまさにそれが分有しているからなのであって、けっして他の何を原因としているのでもない。」
(野本和幸 1997.2: 248頁)。
「しかし、〔略〕
『ティマイオス』(48E-52E)では、超越的イデアは「生成するものが、それに似せられて生ずるもの」「つねにあるもの、生成しないもの」、つまり原範型として把握され、他方つねに生成しつつあり、あるということの決してないものてある「このもの」は、変動流転ただならず、いかなる局面も他の局面から区別されえない。」
(野本和幸 1997.2: 249頁)。
「日常語で「このもの(x)は美しい(F)」と語られる〈事態〉は、『ティマイオス』の記述方式では〔略〕藤沢教授〔によれば〕〔略〕
〈場〉のここにいま〈美〉のイデア(Φ)がうつし出され(F)ている、
あるいは、
〈美〉のイデア(Φ)の似像が、いま〈場〉のこの部分に受け入れられて、〈美〉(F)として現れている。」
(野本和幸 1997.2: 250-251頁)。
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野本和幸.1997.2.意味と世界:言語哲学論考.xi+399pp.法政大学出版局.[6,695円][B20120904,2800*]