生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

原発事故時の放射能拡散予想

2012年09月18日 15時59分44秒 | 放射能
2012年9月18日-2
原発事故時の放射能拡散予想

 福島第一原発と同様の事故が、大飯や泊まりや浜岡で起きた場合の模擬結果が掲載されている。

 ERI版SPEEDIによる原発事故時の影響範囲推定⑤大飯原発(北風系)
http://eritokyo.jp/independent/aoyama-3d004.htm

 なぜ急ぐ大飯原発再稼働~下~ SPEEDI 滋賀県に情報提供しない文科省の不実
  「4月7日、文科省に問い合わせたところ「準備中であるため、まだ滋賀県に提供していない」との答えだった。微かではあるが希望はまだ残っていた。ところが昨日(15日)になって「滋賀県は該当しない」と通告してきた。

 社民党の福島瑞穂党首が問い詰めた。「規制庁ができて(SPEEDIの情報を提供する道府県を)拡大する(※)まではやらないということでしょ?」

 文科省原子力安全課の岡村圭祐氏は「そうです」とあっさり認めた。岡村氏は開き直ったのか、「SPEEDIと再稼働は関係ない」とまで言い放った。」
http://tanakaryusaku.jp/2012/05/0004315

 国民に役立てようとしないSPEEDI関連予算はゼロ査定にすべきである。それらの売れるものは売って国庫に返納すべきである。

 「田中龍作 ?@tanakaryusaku 〔2012年9月16日〕
  野田首相、玄葉外相、前原政調会長。 松下政経塾トリオが要諦をおさえる民主党政治の劣悪さは、日本の恥と言っても差支えない。」
https://twitter.com/tanakaryusaku




美術修行2012年9月16日(日)

2012年09月18日 15時11分00秒 | 美術/絵画
2012年9月18日-1
美術修行2012年9月16日(日)

 2012年9月16日(日)。第6回「個の地平」〈洋画〉展/髙島屋大阪店6階美術画廊/入場無料。
 大沼映夫氏の「白彩降臨 4,6の構図」(F50横)
http://blog-kyoto.takashimaya.co.jp/art/201208/article_3.html

と同様のもう一点が面白かった。
 構図は屋根瓦が並んだようで、福田平八郎『雨』が思い浮かぶ。
 略長方形の白で格子状に分割されるという構図。それぞれ下辺は三か所程度が左官仕事のような塗り付けで少し盛り上がっている。そこから白い筋が黒を背景として溶け流れる。ここだけに動きが感じられる。
 それぞれの下辺が目立つように、上部の白い部分は一様にしているのか?
 中距離で見るのが良いかもしれない。近距離では、飽きてしまう。一様な白い部分に微かな変異をつけたいところ。

 「お客様からは「雪が積もった障子みたいね」と、風流なコメントも。」
http://blog-kyoto.takashimaya.co.jp/art/201208/article_3.html
という見方もあるのだろうが、なんらかの具体的なものを描いたというように解釈しない者にとっては、「だとすると、どうなのか」と訊きたいところ。「雪が積もった障子」の感じがほしいのならば、そのような写真を見ればよいのではないか? あるいはむしろ、そのような実物とそれを中心とした場から汲み取れる様々な状態を五感(と直感?)で感じるほうが、わたしは生きているのね、とか、ひょっとして、わたしは無であるのだ、とかの境地を垣間感じるかもしれない。

  「大沼映夫のほとんど暴力的な色彩の滝は、なぜいきなり「降臨」するのか?」
  (本江邦夫 「外観を貫いて」)
とだけ言及されている。「ほとんど暴力的な」、「ほとんど暴力的な色彩」、「ほとんど暴力的な色彩の滝」、「いきなり「降臨」する」のいずれも、どういう意味なのか、あるいは絵画のどの部分または状態を指しているのか、わからない。
 前のほうでは、

  「画家は無責任な親もさながらに、その周りにはいない。しかし、だからこそ絵画は世界にもっとも近づいている表現形式とも言えるのではないか? 実際、林檎、リンゴ、りんごという言葉よりも、赤いつやつやした球状の果物を再現した絵のほうが、たとえばプラスチックによる模造品を上回って世界の内なる、本物の〈リンゴ〉により近いであろう。ここにはいわゆる「写実」の秘密、いや、むしろ2次元で3次元に迫るという逆説があり、この逆説を実現するために絵画が自らを磨いてきた過程と成果を総称してイリュージョニズムと言うのである。」(本江邦夫 「外観を貫いて」)。

とある。
 では、大沼映夫氏の2つの作品は、イリュージョニズムで解釈すべきものなのか?


 
[M]
本江邦夫 .2012.8.外観を貫いて.[図録]第6回「個の地平」.〔頁づけ無し。〕