2016年6月30日-2
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳(5)20160630-0701
「
個物としての種という見解〔種個物説的見解〕の結果は、いわゆる進化の単位はどれなのか、すべての生物学者に確信があるのではないことである。すなわち、何が進化するのか、彼らにははっきりとはわからないのである。何人かは、種は進化すると述べた。しかし、種は自然な群化〔グループ化〕であるけれども、種は概念であって物ではないのだから、それら自身で変化することばできない。また、分断分布〔異所的不連続〕的 vicariously なのを除けば、個体群が進化すると言うこともできない。なぜなら、個体群は、遺伝子変化をこうむらないからである。発生生物学(または胚学〔胎生学〕)が示唆するのは、進化は個々の有機体の水準で始まるということである。これは、進化的新奇性が創発するところである。そこから、進化生物学と発生生物学が結ばれる必要があるのである(たとえば、Maynard Smith et al. 1985;Gould 1992;Mahner and Bunge 1997;Wilkins 2002、を見よ。)しかし、あらゆる有機体はいくつかの種に属する有機体たちと相互作用していることを思い起こすならば、より高い水準のシステムたち、個体群や生態系、そして全生物圏といったものでさえも、同様に進化することをはっきりと理解するのである。すなわち、進化は多水準のプロセスである。この主張は、そのなかに含まれる諸概念を解明することでより明瞭になるだろう。
われわれは、或るシステムは、
(a)それが、同一の生物種の個体たちから成るのならば、_生物個体群 biopopulation_ である。
(b)それが、異なる種に属する有機体の、いくつかの相互作用する個体群たちから成るのならば、_生態系 ecosystem_ である。
(c)それが、所与の惑星上のすべての生物システムを含むならば、_生物圏 biosphere_ である。
と規定する。
システム的接近のおかげで〔に照らして〕解明され得る別の争点は、生物機能という争点である。それはしばしば、目的や目標と取り違えられる。たとえば、手は握る「ために作られた」と言うときのようにである。これはもちろん、目的論、あるいは今日では上品ぶって目的律と呼ばれるものの核心である。こうして、器官XはYを行なうとか、Xは(諸)機能Yを果たすと言う代わりに、多くの人々は、また著名な進化生物学者でさえも、YはXの目的または目標であると言うのだ。心理学と社会諸科学では目的と目標という概念は不可欠であるけれども、生物学はそれらを取り除かなければならないと申し上げたい。というのは、それらは擬人観と生気論の名残りだからである。
さらに、目的と目標という概念は置き換えられなければならないと提案する。生物学とその他の分野では、得意的機能または役割という概念によってである。つまり、特異的生物学的機能(または役割)は、次の定義によって与えられ得る。すなわち、或る有機体の下位システムの特異的生物学的機能(または役割)とは、その下位システムだけが成し遂げ得る機能(またはプロセス)である。たとえば、人の大脳皮質の特異的機能は、認知的経験を持つことである。しかしながら、心という問題は、別の節を割り当てる価値がある。
第5節 脳と心へのシステム的接近
」[20160701試訳]
(Bunge 2003b: 49)。
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳(5)20160630-0701
「
個物としての種という見解〔種個物説的見解〕の結果は、いわゆる進化の単位はどれなのか、すべての生物学者に確信があるのではないことである。すなわち、何が進化するのか、彼らにははっきりとはわからないのである。何人かは、種は進化すると述べた。しかし、種は自然な群化〔グループ化〕であるけれども、種は概念であって物ではないのだから、それら自身で変化することばできない。また、分断分布〔異所的不連続〕的 vicariously なのを除けば、個体群が進化すると言うこともできない。なぜなら、個体群は、遺伝子変化をこうむらないからである。発生生物学(または胚学〔胎生学〕)が示唆するのは、進化は個々の有機体の水準で始まるということである。これは、進化的新奇性が創発するところである。そこから、進化生物学と発生生物学が結ばれる必要があるのである(たとえば、Maynard Smith et al. 1985;Gould 1992;Mahner and Bunge 1997;Wilkins 2002、を見よ。)しかし、あらゆる有機体はいくつかの種に属する有機体たちと相互作用していることを思い起こすならば、より高い水準のシステムたち、個体群や生態系、そして全生物圏といったものでさえも、同様に進化することをはっきりと理解するのである。すなわち、進化は多水準のプロセスである。この主張は、そのなかに含まれる諸概念を解明することでより明瞭になるだろう。
われわれは、或るシステムは、
(a)それが、同一の生物種の個体たちから成るのならば、_生物個体群 biopopulation_ である。
(b)それが、異なる種に属する有機体の、いくつかの相互作用する個体群たちから成るのならば、_生態系 ecosystem_ である。
(c)それが、所与の惑星上のすべての生物システムを含むならば、_生物圏 biosphere_ である。
と規定する。
システム的接近のおかげで〔に照らして〕解明され得る別の争点は、生物機能という争点である。それはしばしば、目的や目標と取り違えられる。たとえば、手は握る「ために作られた」と言うときのようにである。これはもちろん、目的論、あるいは今日では上品ぶって目的律と呼ばれるものの核心である。こうして、器官XはYを行なうとか、Xは(諸)機能Yを果たすと言う代わりに、多くの人々は、また著名な進化生物学者でさえも、YはXの目的または目標であると言うのだ。心理学と社会諸科学では目的と目標という概念は不可欠であるけれども、生物学はそれらを取り除かなければならないと申し上げたい。というのは、それらは擬人観と生気論の名残りだからである。
さらに、目的と目標という概念は置き換えられなければならないと提案する。生物学とその他の分野では、得意的機能または役割という概念によってである。つまり、特異的生物学的機能(または役割)は、次の定義によって与えられ得る。すなわち、或る有機体の下位システムの特異的生物学的機能(または役割)とは、その下位システムだけが成し遂げ得る機能(またはプロセス)である。たとえば、人の大脳皮質の特異的機能は、認知的経験を持つことである。しかしながら、心という問題は、別の節を割り当てる価値がある。
第5節 脳と心へのシステム的接近
」[20160701試訳]
(Bunge 2003b: 49)。