生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳(5)20160630-0701

2016年07月01日 02時23分34秒 | システム学の基礎
2016年6月30日-2
Bunge (2003b) 『創発と収斂』第3章 第4節 生命へのシステム的接近、の試訳(5)20160630-0701


  「
 個物としての種という見解〔種個物説的見解〕の結果は、いわゆる進化の単位はどれなのか、すべての生物学者に確信があるのではないことである。すなわち、何が進化するのか、彼らにははっきりとはわからないのである。何人かは、種は進化すると述べた。しかし、種は自然な群化〔グループ化〕であるけれども、種は概念であって物ではないのだから、それら自身で変化することばできない。また、分断分布〔異所的不連続〕的 vicariously なのを除けば、個体群が進化すると言うこともできない。なぜなら、個体群は、遺伝子変化をこうむらないからである。発生生物学(または胚学〔胎生学〕)が示唆するのは、進化は個々の有機体の水準で始まるということである。これは、進化的新奇性が創発するところである。そこから、進化生物学と発生生物学が結ばれる必要があるのである(たとえば、Maynard Smith et al. 1985;Gould 1992;Mahner and Bunge 1997;Wilkins 2002、を見よ。)しかし、あらゆる有機体はいくつかの種に属する有機体たちと相互作用していることを思い起こすならば、より高い水準のシステムたち、個体群や生態系、そして全生物圏といったものでさえも、同様に進化することをはっきりと理解するのである。すなわち、進化は多水準のプロセスである。この主張は、そのなかに含まれる諸概念を解明することでより明瞭になるだろう。
 われわれは、或るシステムは、
  (a)それが、同一の生物種の個体たちから成るのならば、_生物個体群 biopopulation_ である。
  (b)それが、異なる種に属する有機体の、いくつかの相互作用する個体群たちから成るのならば、_生態系 ecosystem_ である。
  (c)それが、所与の惑星上のすべての生物システムを含むならば、_生物圏 biosphere_ である。
と規定する。
 システム的接近のおかげで〔に照らして〕解明され得る別の争点は、生物機能という争点である。それはしばしば、目的や目標と取り違えられる。たとえば、手は握る「ために作られた」と言うときのようにである。これはもちろん、目的論、あるいは今日では上品ぶって目的律と呼ばれるものの核心である。こうして、器官XはYを行なうとか、Xは(諸)機能Yを果たすと言う代わりに、多くの人々は、また著名な進化生物学者でさえも、YはXの目的または目標であると言うのだ。心理学と社会諸科学では目的と目標という概念は不可欠であるけれども、生物学はそれらを取り除かなければならないと申し上げたい。というのは、それらは擬人観と生気論の名残りだからである。
 さらに、目的と目標という概念は置き換えられなければならないと提案する。生物学とその他の分野では、得意的機能または役割という概念によってである。つまり、特異的生物学的機能(または役割)は、次の定義によって与えられ得る。すなわち、或る有機体の下位システムの特異的生物学的機能(または役割)とは、その下位システムだけが成し遂げ得る機能(またはプロセス)である。たとえば、人の大脳皮質の特異的機能は、認知的経験を持つことである。しかしながら、心という問題は、別の節を割り当てる価値がある。

第5節 脳と心へのシステム的接近

」[20160701試訳]
(Bunge 2003b: 49)。



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2016年07月01日 01時08分37秒 | 生活哲学
2016年7月1日-1
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[あ]
安部芳裕.2012.9.世界超恐慌の正体:コーポラティズム vs 国民国家の最終戦争.346pp.晋遊舎[新書 S08].[900円+税][B20121012][Rh20130505]

?*安部芳裕.2013/12/13?.おかねの幸福論 〜 ベーシックインカム編 〜.キラジェンヌ[veggy Books].127?pp.[B?]

[う]
ヴェルナー,ゲッツ W. 2007.(渡辺一男 訳 2009/4/30).すべての人にベーシック・インカムを:基本的人権としての所得保障について.253pp.現代書館.[2,000円+税][B20151111、1,207+0=1,207円amz]

[お]
*小沢修司.2000/4.生活経済学 経済学の人間的再生へ向けて.188pp.文理閣.

小沢修司.—格差社会とベーシック・インカム—.http://www.jimbunshoin.co.jp/rmj/BIm.htm[受信:2016年7月1日。]

[し]
*重川純子.2016/3.生活経済学 新訂版[放送大学教材].278pp.放送大学教育振興会.[3,132円]

[せ]
関曠野.2013?.成長幻想から仏教経済学へ 関曠野さん講演録 in 京都 2013.12.8.http://bijp.net/transcript/article/423[受信:2016年7月1日。][pdfにした。2014????]

関曠野.2014/3/5.グローバリズムの終焉——経済学的文明から地理学的文明へ.関曠野・ 藤澤雄一郎、『グローバリズムの終焉 経済学的文明から地理学的文明へ』: 1-233.農山漁村文化協会.[B20140526][Rh20140814、Rb20140811]

関曠野・藤澤雄一郎.2014/3/5.グローバリズムの終焉 経済学的文明から地理学的文明へ[シリーズ地域の再生3].279pp.農山漁村文化協会.[2,600円+税=2,808円][B20140526][Rh20140814、Rb20140811]

[た]
平智之.2013/7/5.なぜ少数派に政治が動かされるのか?.180pp.ディスカヴァー・トゥエンティワン.[1,000円+詐欺的税金=1,050円][20130808購入][20130811読了][衆議院議員の経験も踏まえている。役立てたい。][70-74頁に、ベシックインカムについて]

[は]
原司郎・酒井泰弘(編著).1997/11/6.生活経済学入門.xiii+204pp.東洋経済新報社.[本体1,900円+税][B20100722、200円]

*原田泰.2015/2/24?.ベーシック・インカム 国家は貧困問題を解決できるか.183?pp.中央公論新社[中公新書].

*パリース,フィリップ ヴァン.200?(後藤玲子・齊藤拓 訳 2009/6/11?).ベーシック・インカムの哲学 すべての人にリアルな自由を.[6,480円]

[ふ]
藤澤雄一郎.2014/3/5.私にとっての農的生活.関曠野・ 藤澤雄一郎、『グローバリズムの終焉 経済学的文明から地理学的文明へ』: 235-277.農山漁村文化協会.[B20140526][Rh20140814、Rb20140814]

[や]
山森亮.2009/2/17.ベーシック・インカム入門 無条件給付の基本所得を考える.290pp.光文社[新書].[本体840円+税][B2015????、?円]


===
関曠野.2014/3/5.グローバリズムの終焉——経済学的文明から地理学的文明へ.関曠野・ 藤澤雄一郎、『グローバリズムの終焉 経済学的文明から地理学的文明へ』: 1-233.農山漁村文化協会.[B20140526][Rh20140814、Rb20140811]

161頁。金融的経済の廃止。
 「今何よりも必要なのは通貨改革によって金融資本を安楽死させ、浪費的破壊的な経済体制から脱却することである。政府通貨とベーシック・インカムという社会信用論の政策を実施すれば、経済の原則を過剰発展から均衡と安定に変えることができる。」
(関曠野 2014/3: 161頁)。

 「人々は選挙権など法的形式的な市民権をもっているが、経済生活に関与し参加する経済的市民権をもっていない。だから人々は生活様式や社会生活を左右するテクノロジーのあり方を自由に選択することができない。地元の馴染み商店街が郊外型大型スーパーのせいで消滅したり都市再開発で由緒ある建物が取り壊されたり地震多発地域に原発が建設されたりするのは人々が投票した結果ではない。」
(関曠野 2014/3: 161頁)。

 「現代ではマネーを動かす者がすべてを動かす。現代国家の実体は銀行が影の政府として統治する金権国家なのである。だからどんな政党が政権に就こうが現実は何も変わらない。」
(関曠野 2014/3: 162頁)。

 「現代の課題は経済的人民主権の実現である。社会信用論の政策は政府通貨によって銀行による富の集中を排除し、ベーシック・インカムによって富を個人という究極の単位にまで徹底的に分散させる。この点でベーシック・インカムは経済的市民権を保証する政治的な方策であり、生活保護のような福祉の延長線上にあるものではない。人々が所得不足で購買力がないところにまともな消費者主権はありえない。ベーシック・インカムによって人々の購買力が保証されるならば、商品の購入は消費者主権を実現するための投票行動を意味することになるだろう。」
(関曠野 2014/3: 162頁)。

 「経済的デモクラシーは個人の自由と尊厳の原則にもとづいて経済、テクノロジー、生活様式のあり方を自由に選択する権利を人々に与える。そこでは銀行マネーが廃絶されているので、「さらなる経済成長」という選択肢だけは事実上不可能になっている。政府通貨によって生産と消費を均衡させる経済は、おのずとフローの拡大ではなくストックの充実を志向することになるだろう。」
(関曠野 2014/3: 162頁)。


 「 こうして資本主義には、勤労者の購買力の不足で物やサービスが順調に売れないという問題がつきまとう。これは企業にとっては過剰生産の問題であり、勤労者にとっては所得不足による過少消費の問題である。しかし負債と所得不足というこの要因は、つぎつぎに新市場が開拓され経済が成長している間はさほど問題にならない。だがこの要因のせいで勤労者の消費が冷え込む一方、過剰生産ゆえに遊休化した資本は株などの投機に向かい、経済はいわば二極分解する。そして購買力不足で景気が悪化すれば過剰資本が原因の投機ブームははじける。そうなると経済成長を促進していた銀行信用が一転してブレーキになり、企業も会計も国家も負債で動けなくなっていることが判明する。これが恐慌である。
 今回のアメリカの金融危機の引き金となったサブプライム・ローンの場合も、勤労者の所得が伸びない中で銀行が新規の商品の開発や市場の開拓に狂奔していたという事情があった。そしてまともな収入のない低所得層にまで住宅ローンを融資したことが危機の引き金になったのだから、これはまさに経済の二極分解による恐慌のパターンである。」
(関曠野 2014/3: 206頁)。