生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

David Hull 1974 生命力としての生命

2016年07月29日 00時27分21秒 | 生命論
2016年7月29日-1
David Hull 1974 生命力としての生命


  「
生命力としての生命

 生気論の何人かの擁護者は、生命は、生命的流体ではなく、生命力だと主張した。〔略〕
生命力を〔質料〔実体〕として解釈するのではなく、〕物体の性質として見られるならば、生気論は整合した立場となり、主要な異議を回避できる。鉄の棒が磁化されるとき、磁気は鉄の棒に加えられるなんらかの重さの無い〔軽量できない〕質料ではないのと同様に、生命は受胎のときに生きものに加えられる重さの無い流体ではない。磁気も生命も、物質から作られていて、その編制〔組織性〕からもたらされるのである。鉄のそれぞれの分子は、磁気的効果を示すが、通常の鉄の棒では分子たちはでたらめに配列されているので、これらの磁気的効果は互いに打ち消し合う。しかし、分子たちの極が同じ方向に整列されるように分子たちが配列されればされるほど、その棒は徐々にますます磁気的になる。その状況は、物理学者たちが、時を川のように流れたなにかと見ることを止め、また空間を物体の存在とは関わりなく、すべての方向に無限に延びた容れ物として見ることを止めたときの物理学における状況と類似している。空間と時間の両方とも、今では物体の組織的性質として見られている。すべての性質を虚構だと呼ぼうとしない限りは、空間と時間は虚構ではないのである。
 〔略〕生命が、一定の物質的システムの編制的〔組織上の〕性質と見られるならば、最初の生きものが生命の無い質料から生じたときにどこから生命がやって来たかとか、生きものが死ぬときせはどこに行くのかとかについて思いわずらわねばならないということはない。」
(Hull 1974: 128-129)
[20160728零試訳]。