花の色は写りにけり 心の花 ~あれから~(4)

2012年10月30日 | 日記
10月も終わりのある晴れた日。山科の小野に度々訪れるお寺があります。

  

 

ここは、一条天皇の頃991年に建立されたお寺で、3月に美しい梅の花々が咲く広い梅林があります。
またこの辺りは、小野小町が暮らしたとされ、朝夕、化粧したという井戸もその近くにあります。

堂内は撮影できませんでしたが、5月には、中庭にシャクナゲやツツジが咲き、杉苔の美しい、
手入れの行き渡るお庭があります。

平安時代の薬師如来坐像や、阿弥陀如来坐像、不動明王立像、ご本尊は、鎌倉時代の如意輪観世音菩薩坐像さま。
弘法大師像や、小野小町の晩年を写したといわれる坐像が安置されています。

本堂前の庭には、池があり、お庭を眺めながら静かに時が流れるのは、格別の心地がします。

駐車場への帰り道、色づき始めた紅葉を横目にして、名残りの金木犀の香りが漂ってきました。
綺麗に刈り込まれた椿には、いっぱい蕾が付いていて、冬にも通ってみたくなりました。

   

昨日の京都は、木枯らし1号が吹きました。秋も晩秋を迎え、庭の花も少なくなってきましたが
キク科の仲間は、今もきれいです。

黄緑色の花は、エキナセア「グリーン・ジュエル」・
白で花びらのふちが緑の花がオーストラリア原産「フランネル・フラワー」
黄色の花は、最後の小さなルドベキア・中心がエンジ色の小さな小花もキク科ですが、お名前わかりません。


 

  

  

名残りの黄色のバラ「クラウン・プリンセス・マルガリータ」とフランスのデルバール社のバラ「レイモン・ブラン」

 

ほんの少し返り咲いた「アンジェラ」
  

「フォール・スタッフ」
  

いにしえを訪ねて、少し調べてみました。百人一首 9番でおなじみの

   花の色はうつりにけりな いたづらに わが身世に経る ながめせし間に

この小野小町の歌は、醍醐天皇の命による勅撰和歌集である「古今和歌集」春113にあります。
六歌仙のひとりであり、17首が古今集に入首しています。

撰者のひとり、紀貫之の「仮名序」によると、「をののこまちは いにしえの そとほりひめの流れなり」

そとほりひめは、記紀に伝承のある方で、「衣通姫」その美しさが衣を通して輝くことからとか。
小野小町が、大変美しい人であったことを示しているようです。



次の歌も小町の歌。 古今集 第五 恋をあつめた歌のなかにあります。

 色見えで うつろうものは 世の中の 人の心の 花にぞありける

 [訳] (草木の花であるならば、色あせてゆくようすが目で確かめられるのに)
      色に見えないで移り変わるものは、人の心という花であったことだ。」『学研全訳古語辞典』より


人の心がうつろいやすいものだと歌に込められているようですが、
そのことよりも、「人の心の花」に思いを寄せられます。

人の心こそ 美しい花のようであるとも・・・・・
そんな心でありたいものです。

花を写すとき、一番の笑顔のような姿に喜び、それを留めたい。
そしていつまでも 心の花を思い出せるように。