小町の寺に咲く~シャクナゲ~

2014年04月20日 | 日記
4月19日 晴れのち曇り。

昼下がりに、気になっていた時折お訪ねするお寺の庭の木の花がそろそろ咲いているのではと
思い立って、いそいそ出かけました。

3月は梅、4月上旬は桜できれいな随心院ですが、寺の中庭にある低木に蕾が付いている所は
見たことがあるのですが、実際に咲いたところを見たことがなかったのです。

中庭の中央に、咲き揃いかけの薄桃色のシャクナゲ。

  

ズームアップ


真っ白な花。


シャクナゲは、滋賀県の県花です。比良山系に群生しているそうです。

拝観を終って外に出ると、今まで気がつかなかった若い木がありました。そこには、
花梨という札がありました。

  


この札によると、花梨(カリン)は、弘法大師・空海(1)が唐から持ち帰ったもので、
満濃池の改修に赴いたときに宿泊所として供せられた邸の庭に苗木を植樹されたとのこと。

それが由縁で、香川県の満濃町の町木になっていること。

満濃池は、701年から704年頃に讃岐国の国守・道守朝臣が創築したものですが、、
空海が821年に改修しています。日本最大の灌漑用のため池として知られています。

随心院の由緒書きによると、随心院は、真言宗善通寺派の大本山で、弘法大師より
8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基。一条天皇の991年にこの地を賜り一寺を
建立されたとのこと。

ちなみに香川県の善通寺は、807年、空海の父で、地元豪族の佐伯直田公から
土地の寄進を受け、813年に完成。善通寺の名は、その佐伯直田公の法名の善通に
由来するとのこと。(この部分は、wikipedia「善通寺」の項による)


またこの随心院の由緒によると「古来、小野とよばれていたこの地は「和名抄」の
「小野郷」に相当し、小野氏の栄えたところであり、醍醐天皇陵東には小野寺と称する
小野一族の氏寺の遺跡が近年発見され・・・」とあります。

さらに、小野小町は、「『群書類従正編』によれば、小町は小野篁(たかむら)の孫に
あたり、出羽の国司を勤めた(小野)良実の娘であるとされています。」とあり、
「『都名所図絵』には、「小野随心院、勧修寺の東なり。曼荼羅寺と号す。また小町水、
門内南の薮中にあり、此の所は出羽郡領小野良実の宅地にして、女小野小町つねに此の
水愛して艶顔を粧ひし」とあります。」とも書かれています。

敷地の南西角には、小町の化粧の井戸と伝えられる井戸があります。

ここからほど近い六地蔵の地には、小野篁(802-853)ゆかりの大善寺もあります。
小野篁の5代前が小野妹子にあたります。

ついでながら、滋賀県の小野という地に、小野氏の始祖を祭る小野神社があり、小野篁神社
と、小町のいとこにあたる小野道風神社もあります。

このカリンの若木の後ろには、立派な八重桜が満開になっていました。



花咲く春の庭。これからさらに霧島ツツジ、5月には平戸ツツジ、さつきが咲くようです。
美しい季節が続きます。


(1)空海(774-835)が弘法大師と呼ばれるのは、921年に醍醐天皇よりの諡名(おくりな)
によるものです。