今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

鷲峰山 法華寺(長野県諏訪市中洲神宮寺)

2017年11月02日 | 神社・仏閣
鷲峰山 法華寺
諏訪大社本宮からの帰り道にふとした案内板が目に入った



愛知県の吉良町には、今回の旅で立ち寄ったこともあり興味もあった

山門
この法華寺、調べてみると本能寺の変のきっかけとなった事件が起こった場所であることがわかった
武田討伐のため高遠城を落とした織田信忠は諏訪に入り、武田家の守護神である諏訪大社上社本宮を焼き討ちした
織田信長は、諏訪大社に隣接した法華寺に滞在し、武田討伐に加わった多くの武将が謁見に、論功行賞もここで行った



扁額 山号「鷲峰山(しゅうぶせん)」
明智光秀の言葉に激怒した信長は居並ぶ諸将の前で、殴る、蹴る、欄干に頭を押し付けるといった、歴史上でも有名な行為に
この時の恨みが本能寺の変の原因の一つになった



明治維新前の境内図から大きな寺院だったことがわかる。



もう一つの忠臣蔵



本堂
平成11年の放火により本堂などが焼失、山門だけが残ったという



彫刻が好きなので撮ってみた






この時は歴史的背景も放火のことも知らず、薄緑に塗られた本堂前に違和感を覚えていた



吉良義周(よしちか)の墓
義周に対して幕府は「不届き」として、領地を召し上げ、諏訪高島藩にお預けの身となり、高島城南の丸に幽閉される



3年後に病気のために死去。断絶した吉良家に、義周の遺骸を引き取る者はなく、この法華寺に土葬された






忠臣蔵といえば、どうしても浅野家の方に肩入れしてしまうが…



名門吉良家最後の当主の墓に、今も真新しい花が手向けられている



訪れたときには歴史上重要な寺とは知らず、駆け足で戻ってしまった
時代は違うが信長、家康、光秀と同じ場所に立っていたことになる



撮影 平成29年5月19日
コメント (2)
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