今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

醫王山 薬師寺 密蔵院(愛知県春日井市熊野町)

2019年06月18日 | 神社・仏閣
醫王山 薬師寺 密蔵院
1328年(嘉暦3年)、美濃御嵩より訪れた慈妙により開創された天台宗の寺院

総門(春日井市指定文化財)
駐車場を探すのに時間を要してしまった。雨が強くなってきたのでしばらく雨宿りをしていたが、止みそうもないので行動することにした
密造院の建築物6棟が市指定の文化財。この総門もその一つとなる



総門から入ると、左手に観音堂、奥にお目当ての多宝塔が見えてくる



観音堂(春日井市指定文化財)



残念ながら施錠されており堂内の様子はまったくわからない



多宝塔(重要文化財)
名古屋港までのフェリー内で重文の多宝塔があることを調べ訪れることにした
境内にあった説明によると、この塔は室町時代のもので、何回も修理されたが昔の姿をとどめているという



禅宗様式の入っている珍しいものだと説明書きにはあったが、雨が強く確認することができなかった



屋根の軒反りや勾配がやや急であり、姿は近江の「石山寺」を思わせるとも



元三大師堂(春日井市指定文化財)
元三大師堂は、第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる



全国あちこちの社寺に見られる「おみくじ」の創始者でもある



開山堂(春日井市指定文化財)



鐘楼






宝蔵(春日井市指定文化財)



山王社(春日井市指定文化財)






本堂・庫裏へと続く門



額には「密蔵院」



本堂(元客殿)
永享末年(1441年)前後に最盛期を迎え、末寺は尾張・美濃を中心に11カ国・700ヶ所、塔頭は36坊にものぼり、七堂伽藍も備わって葉上流の伝法灌頂の道場として重きをなした
当時の学徒は3,000人を超えたとされる。 戦国時代になると織田信長が延暦寺と敵対した影響で衰退し、末寺は約100寺、塔頭も16坊となった



緑の境内の中で一際目立っていたピンクの花









白色の観音像も境内では目立つ存在だ



手前には墓石、奥には多宝塔



多宝塔を振り返りつつ駐車場に戻る



撮影 令和元年5月14日
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