荒川豊蔵資料館(岐阜県可児市久々利柿下入会)
道の駅「可児ッテ」の資料で、近くに荒川豊蔵の資料館があることを知った
道路沿いに駐車場があり、そこに車を駐めしばらく歩くことになる
この快適といえる道を歩いて行くが、普段車を利用し、歩くという習慣がないので長く感じてしまった
やっと建物が見えてきて、これだと喜んでいたら違っていた
この階段を上がって-
さらに上がり、息が切れてきた頃に-
資料館の建物が見えてくる。入館料は200円、写真撮影もできるというのも嬉しい
この場所にくるまでの間に、庭の整備をしていた男性と女性に、元気で心のこもった挨拶をされた
受付の女性の対応もすばらしく(歓迎されていると感じてしまい)来て良かったと思った
館内では企画展として「桃山と昭和にひらいた華」が開催されていた
荒川豊蔵が収集した作品
1 「総織部菖蒲刻文皿」(桃山 17C初 元屋敷窯)-当館が誇る逸品のひとつとの説明書き
2 「青花花鳥文皿(芙蓉手)」(明 17C 中国)
3 「織部葡萄文大鉢」(江戸 多治見)
4 「備前四耳壺」(桃山 16C後)
5 「青花山水文瓶」(李朝 韓国)
6 「志野織部笹透長角向付」(桃山 17C初 元屋敷窯)
7 「瀬戸黒茶碗」(桃山 美濃古窯出土)
荒川豊蔵の作品
8 「瀬戸黒茶碗」(昭和10年)
9 「志野茶碗 銘 里帰り」(昭和17年)
10 「志野茶碗 銘 瑞雲」(昭和35年)
11 「月照陶片歓触図」(昭和50年)
12 「黄瀬戸竹花入」(昭和28年頃)
13 「瀬戸黒金彩木葉文茶碗」(昭和40年)
旅先での茶を楽しめるようにと、妻・志づへ贈られたもの
陶芸作品を観る機会などまったくないが、この茶碗には魅了された
14 「染付山水図四方飾皿」(昭和46年)
陶房
戦後、住居から陶房機能を切り離した後に、新たに構えた陶房
昭和30年代以降のロクロ場に近い状態に復元
陶房内には、機械類は存在せず、昔ながらの手作業での制作工程であった
昭和40年代には西側に高床式の書斎部分を増築し、現在の姿となった
旧荒川豊蔵邸
牟田洞古窯跡での志野筍絵陶片発見を契機として、豊蔵は志野の再現を志し、ここ大萱牟田洞の地に移り住む
石柱には「うらぐち」と刻まれていて、茶目っ気のある人物と感じた
昭和7年には、入手した古民家を移築。戦後は陶房の機能を切り離し、居住空間として多くの来訪者を迎えている
歩いてくると奥の方にあるのが表玄関になる
荒川豊蔵の号である「斗出庵」の字が刻まれている
帰り際に気付いたが、陶房の門も周囲の景色に調和していていい雰囲気を出している
道沿いには石仏も置かれている
撮影 令和元年5月16日
道の駅「可児ッテ」の資料で、近くに荒川豊蔵の資料館があることを知った
道路沿いに駐車場があり、そこに車を駐めしばらく歩くことになる
この快適といえる道を歩いて行くが、普段車を利用し、歩くという習慣がないので長く感じてしまった
やっと建物が見えてきて、これだと喜んでいたら違っていた
この階段を上がって-
さらに上がり、息が切れてきた頃に-
資料館の建物が見えてくる。入館料は200円、写真撮影もできるというのも嬉しい
この場所にくるまでの間に、庭の整備をしていた男性と女性に、元気で心のこもった挨拶をされた
受付の女性の対応もすばらしく(歓迎されていると感じてしまい)来て良かったと思った
館内では企画展として「桃山と昭和にひらいた華」が開催されていた
荒川豊蔵が収集した作品
1 「総織部菖蒲刻文皿」(桃山 17C初 元屋敷窯)-当館が誇る逸品のひとつとの説明書き
2 「青花花鳥文皿(芙蓉手)」(明 17C 中国)
3 「織部葡萄文大鉢」(江戸 多治見)
4 「備前四耳壺」(桃山 16C後)
5 「青花山水文瓶」(李朝 韓国)
6 「志野織部笹透長角向付」(桃山 17C初 元屋敷窯)
7 「瀬戸黒茶碗」(桃山 美濃古窯出土)
荒川豊蔵の作品
8 「瀬戸黒茶碗」(昭和10年)
9 「志野茶碗 銘 里帰り」(昭和17年)
10 「志野茶碗 銘 瑞雲」(昭和35年)
11 「月照陶片歓触図」(昭和50年)
12 「黄瀬戸竹花入」(昭和28年頃)
13 「瀬戸黒金彩木葉文茶碗」(昭和40年)
旅先での茶を楽しめるようにと、妻・志づへ贈られたもの
陶芸作品を観る機会などまったくないが、この茶碗には魅了された
14 「染付山水図四方飾皿」(昭和46年)
陶房
戦後、住居から陶房機能を切り離した後に、新たに構えた陶房
昭和30年代以降のロクロ場に近い状態に復元
陶房内には、機械類は存在せず、昔ながらの手作業での制作工程であった
昭和40年代には西側に高床式の書斎部分を増築し、現在の姿となった
旧荒川豊蔵邸
牟田洞古窯跡での志野筍絵陶片発見を契機として、豊蔵は志野の再現を志し、ここ大萱牟田洞の地に移り住む
石柱には「うらぐち」と刻まれていて、茶目っ気のある人物と感じた
昭和7年には、入手した古民家を移築。戦後は陶房の機能を切り離し、居住空間として多くの来訪者を迎えている
歩いてくると奥の方にあるのが表玄関になる
荒川豊蔵の号である「斗出庵」の字が刻まれている
帰り際に気付いたが、陶房の門も周囲の景色に調和していていい雰囲気を出している
道沿いには石仏も置かれている
撮影 令和元年5月16日