今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

正宗山 洞春寺(山口県山口市水の上町5-27)

2023年09月02日 | 道の駅
訪問日 令和5年5月31日

正宗山 洞春寺
臨済宗建仁寺派の寺院
国宝の五重塔で有名な瑠璃光寺の隣にある寺院
三矢の訓で有名な毛利元就の菩提寺として、元亀3年(1572年)輝元が安芸の国吉田の城内に開基したのが始まり

山門(重要文化財)
この地には、応永11年(1404年)大内盛見が天下泰平、家内繁栄の祈願所として建立した国清寺があった
大内氏滅亡後、毛利隆元の菩提寺となり、後に元就の菩提寺となり洞春寺と称した
現在の洞春寺本堂は、江戸時代に焼失して再建されたが、山門は国清寺創建当時のものと思われる



山門の扁額には「正宗山 洞春禅寺」






中門
山門脇から境内に入る



参道を進むと中門に突き当たる






中門の額には「通玄」
『禅の極地』という意味があるようだ






鐘楼門(山口市指定文化財)



本堂側から



本堂
洞春寺は大内氏滅亡後、それに代った毛利氏の初代藩公、毛利元就の菩提寺として、元亀3年(1572年)輝元が安芸の国吉田の城内に開基したのが始まり
開山は嘯岳鼎虎禅師(しょうがくていこぜんじ)
禅師は京都の建仁寺、南禅寺に歴住ののち、毛利輝元に請われて元就の菩提寺洞春寺の開山となった



その後毛利氏の居城が移るに伴い広島から萩へと移転
文久3年(1863年)藩庁が山口に移るのに伴い現在地に移転した



本尊: 聖観世音菩薩



現在の本堂は、江戸時代に焼失して再建されたもの
堂内に長州藩諸隊の1つ鴻城隊による刀傷があるとのこと






観音堂(重要文化財)
この観音堂は上宇野令滝の「観音寺」にあったもの
観音寺は大内義弘の子持盛が戦死した後、菩提寺となった
観音寺は後に「勝音寺」と改まり、さらに毛利氏の時代には「大通院」と称していた
朽廃が著しかった堂は、大正4年(1915年)に洞春寺境内に移建された



厨子裏の板銘によると、永享2年(1430年)建立
桁行三間、梁間三間、一重もこし附入母屋造り、銅板葺(修理前こけら葺)の建物






「聖観世音菩薩」が安置されている






岩屋造りの厨子も必見



本堂横に咲いている白い花の前で数人の女性が花の名前について語っていた
「ヤマブキ」の花だという



花には興味はないが、熱心な会話に刺激されて調べてみると本州の中国地方に分布している「シロヤマブキ(白山吹)」らしい
最近、寺社巡りの際、境内に咲く花を撮るようにしている



こちらは「菩提樹」



仏教の開祖であるブッダが菩提樹の根元に座って悟りを得た



撮影 令和5年5月31日
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